恋熱 コイネツ

それは二月の半ば、何でもない冬の日のこと。
金子光伸の両手には、寮の友人達が大喜びしそうな、酒の瓶が握られていた。
彼は勿論、これを彼らにあげてしまうのだが、
その日本酒の瓶は、一種の「囮」だった。

彼は今もっと大切なもの、どうしても、寮の仲間に奪われたくないものを
持っているのである。
そしてそれは、同じく酒瓶なのであるが。

光伸を見るやいなや、予想通り群がってきた男どもを何とか煙に巻いて、
囮の日本酒だけをその場に置いて、彼は部屋を出た。
大切なものは、懐に隠し持っている。
こうやっていると己の体温で酒が温まってしまうが、致し方ない。
そして、目的地に辿りつく。何といっても「隣」だ。
抜け出せたなら、数秒しかかからない。

相手は光伸を見るや、黒目がちな目を少し丸くして、驚いたように言った。
「金子?隣で、酒盛りをしているのではなかったのか。」
憲実にも、壁を通してあの喧騒が聞こえたらしい。
光伸は、少し笑って髪をかき上げてから、答えた。
「あぁいや、あれは単なる足止めだ。その為に、日本酒を少し買ってきた。」
「?何のことだ?」
「お前と、これを飲もうと思ってな。邪魔されてはかなわない。」

彼は懐から細身の瓶を取り出して、目の前の青年に見せる。
そして説明した。
三鞭酒シャンパンだ。上物だぞ。」
「シャンパン?どんな酒だ、其れは?」
「炭酸の入った白葡萄酒さ。まぁ飲んでみろ。」

憲実にも、瓶の外見から酒であることは理解できたようだ。
彼らは二人とも左党であるから、当然、ミルクホオルに行くよりは、
互いに酌をして、酒を飲んでいることが多い。
それが、リーベの行動として正しいかはともかく。

光伸はこれを、勿論あの”由緒正しい家柄”から貰ったのだが、
そんな事はこの際、思い出したくなかった。
考えれば、この学校を卒業した後、どうするのか、
「彼」と離れなくてはならないのか、
そんな終わりの無い迷路に迷い込んでしまうからだ。
光伸は今は唯、旨い酒を彼と二人で呑みたいだけで。

こういった時憲実は、分かっているのか分かっていないのか、
元から寡黙なのも手伝って、三鞭酒シャンパンをどこから仕入れてきたのかという、野暮なことは聞かない。
ただ自分の部屋にある、湯飲みを二つ取り出して、その一つを相手に渡すだけである。
本来ならその透明な酒は、綺麗な硝子の容器で嗜むものなのだろうが、
狭い寮部屋では、元よりそんなことは望まない。
肴も無いが、言うではないか。
旨い酒を呑むには、一緒に呑んで楽しい相手を探せ、と。

二人はそうやって、不恰好な容器に上質な酒を入れて、
しばらくそのまま呑んでいたのだが、光伸はふいに気づいた。
憲実の顔が赤い、と。
自分もかなり酒には強い方だが、憲実は本当にザルである。
その彼が、まだ瓶を半分ほどしかあけていないのに、顔を赤く染めている。
おかしいと光伸は思い、彼の傍に寄った。

「土田?・・・っ、お、おいっ・・・!」
身を寄せると彼は、いきなりもたれ掛かってきて。
それだけなら眠いのかとも思えたが、光伸のシャツの襟元に、手をかけてきたのだ。
光伸は、慌てた。
いや別に、嫌とか、そういうことではなくて。
ただ突然だったので、驚いて。
彼がそういう気分になっているとは、思っていなくて。

しかし憲実は、光伸の心配をよそに、違った行動に出るのだ。
光伸のシャツの釦を、器用に片手で、全部「かけた」。
そして相変わらず、彼にもたれ掛かっている。
肩の上に顔があるので、光伸に相手の表情は読めない。
光伸は彼の態度に拍子抜けして、そして同時に腹が立ったので、くっついている 相手を引き剥がした。
そして、憲実の顔を見た。

この男は、珍しい舶来品の酒に、酔ってしまったらしい。
やはり、顔が赤い。耳まで真っ赤だ。
目が空ろでぼんやりしている。どうやらこちらを見ているようではあるが。

光伸はそこまで考えてから、こう思った。
別に彼まで三鞭酒シャンパンに酔って、言語中枢がおかしく なったわけではないのだが、他人に言えばそう疑われるだろう。

可愛いなぁ。

可愛いなぁと、光伸は目の前の青年を見て、思った。
繰り返すが、光伸は酔っているわけではない。
常時、眉間に皺をよせているようなイメェジの憲実が、トロンとした瞳でこちらを見つめているから。
だから、可愛いなぁと思ったのだ。
元々、俺はやつより年上だ。年下のリーベのことを「可愛い」と称しても、構わないだろう?
そう、光伸はひとりごちた。
おそらく聞いているものがいたとしても、示される対象から考えて、賛同してくれる人間は居まいが。

一度引き剥がした相手の身体を、もう一度自分の方に倒れかけさせた。
数秒後には、すーすーと寝息が聞こえる。
やれやれ、と光伸は”年上ぶって”、自分の碗を少し離れたところに置いた。
三鞭酒シャンパンは、パチパチと小さな音を立てている。

水泡に帰すという言葉があるが、まさにそれだな。
憲実は明日目覚めたら、きっと昨晩のことは覚えてはいないだろう。
まぁいいさ。貴重な、彼の違った一面が見られたのだから、と、
光伸は考えて、肩の上の相手の頭を撫でた。

<了>



一応、バレンタインネタ。
メジャーなチョコレートは避けて、シャンパンでいってみました。
「ぬる甘い」という言葉が私は浮かびましたが、どうでしょう(^^) 2004.2.15



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