才(サイ)



嫌い、なのではない。
少々恥ずかしい台詞で形容すれば「イイ奴」だし、彼の素質も、性格も認める。
だが、やはり思うのだ。

・・・乾は、不二が「苦手」である。

***

彼、不二周助は、実に人をよく見ている人物だ。
そう、乾貞治は推察する。
自分だって、よく人を観察している方だとは、思っているが。

不二は、元から細いその目を細めて、楽しそうに他の部員のプレイを眺めている。
その笑顔が「油断」させるのか、誰も不二が見ていても、緊張したり身構えたりしない。
自分が見ていれば、「データを取られる」と、表情を変える人間は、少なくないのに。

乾は、不二が苦手だ。
何と言うのだろうか、嫌いなのではない。
嫌いなのではないが、苦手なのだ。
この2つの言葉は大きく違うのだな、と、国語辞典を引かなくても実感できる。

不二は、よく言われるように「天才」だが、
最もやっかいな点は、全くと言っていいほど「データを取らせない」ことだ。
不二が、どのコースが得意だとか苦手だとか、どの部員も知らない。
誰も、不二の考えていることは分からない。
彼はただ、クスクスと笑って微笑んでいるだけ。

・・・実に、苦手だ。

不二ではなく「他の人間」のデータを研究していたのに、
いつのまにか不二の事で、頭がいっぱいになっていた。
これはまずい、と乾は眼鏡を直して、考え直す。
「彼」のプレイを見られることは、そうそうない機会なのに。

「・・・手塚、やってるんだ?」

そういう声がした。振りかえらなくても誰だか分かる、優しげな声。
ふーん、珍しいね、と不二は続けて、乾の横に立つ。
自分よりは随分下にある、その顔を眺めて、乾は「あぁ」とだけ、返事をした。

部長の手塚は、やはりその「立場」からか、・・・決してその才能を
「出し惜しみ」しているわけではないと思うが・・・、
他の部員が、彼のテニスをしている姿を、見られることは少ない。
乾でなくても、その希少な機会を逃すまいと、コートに群がるのは当然だ。

だが不二は、彼を見にきたのではない、と乾は思った。

それは、直感である。
対「不二」ではなく、一般的な。
「手塚、やってるんだ?」という声のかけ方から、
不二が求めてやってきたのは、今、テニスコートにいる人物ではなく、
・・・・自分だ、と。

目の前の「華麗」とも言えるプレイも無視してか、
不二は、乾に話しかける。
顔だけは前を見ているが、彼は細い目で、自分の方、横を見ていると思う。

「・・・今更だけど、手塚って上手いねー。」

そう言う、不二。
何をもって、不二は手塚を「上手い」と称するのだろうか。

乾が思うに、確かに手塚は、素人的な言い方をすれば、
「上手い」プレイヤーだ。
そんなことは自分でなくても誰でも、近所の、テニスを知らないおじさんおばさんだって、分かることだ。

問題は、手塚が上手いかどうかではなく、
彼、「天才」の不二が、そのような言葉を使ってきたこと。

・・・珍しく、動揺してしまう。
だから、不二は苦手なのだ。

ごく普通の顔を「作って」、乾は不二の方を見て、聞いた。
「アップ、は、してきた?」
聞かなくてもいいことを聞いている時点で、動揺しているのがバレそうだ。
そう、乾は思う。
「うん、やってきた。」と笑顔で答える、彼。

それから不二を目を見開いて、また目を細めて、笑った。
今の「間」は、何だ。

「手塚、うまいねぇ。」と不二。
「そうだな。」と乾。
「手塚、じょうずだね。」と不二は、同じ意味のことを繰り返して言う。
「・・・?・・・そうだな。」と乾。
「乾は、アップはしたの?」と不二。
「あぁ。」と乾。
「今日、良い天気だね。」と不二。
「あぁ。」と乾。
「乾は、手塚、好き?」
「あぁ。・・・・・・・・・・・・・・?!!」

最後におそろしいことを聞いてきた相手の顔を、乾は思わず覗き込んだ。
不二は、クスクス笑っている。彼は言った。
「そう。僕も好きだよ、手塚は。」

それから楽しそうに、小柄な彼はくるくる回っている。
皆コートにくぎ付けだが、そうでなかったら、不二は何をやっているんだ、と思うところだ。
まわるのをやめてから、不二は依然微笑んで、言った。

「父さんの書斎にさ、‘YESと言わせる話術‘っていう本があったから、
読んでみたんだけど、
ひとは、肯定の言葉を続けて口にしていると、
質問が変わっても、否定の言葉が言えなくなるんだってね。
裕太に、電話をかけてやってみたけど、やっぱり‘言った‘よ。」

面白いね、と不二は言って、少し頭をかきあげた。

問題は、どこだろうか。
不二に見事「だまされた」ことか。
いや、だまされたという言葉は、正確ではないのだが・・・。
不二の「弟君」が可哀相だということか。
それは違う。
「ふざけている」自分たちを、顧問なり誰なりに発見されたら、
注意されることか。
それも違う。
不二が、「手塚好き」と言ったことか。
菊丸あたりも、言いそうな言葉だが・・・。

顔が赤く染まらずに、ただ、背筋に冷や汗が流れた。
特異な性分で、良かったと乾は思う。とりあえず平静を繕えるから。

不二は、‘そういう‘意味で聞いたのではないと称しつつも、
自分が、‘そういう‘意味で答えてしまったのだと、気づいている。
気づいているのに、知らない振りをして、
「手塚は体力もあるなぁ」なんて、前を見てつぶやいている。

確か、昔の中国の軍師だっただろうか。
自分に才能があると自負しつつも、他の軍師の「天才」ぶりに恐れおののき、
天は何故、自分と彼2人に「才」を与えたのか!と叫んだのは。

不二は天才だ。
データ収集を主にし、努力でカバーをする自分は、言うなれば「秀才」。
とても中学生には見えない、完成された美技を披露する、 手塚も「天才」だと、乾は思う。

乾が思うことは、
「テニスの神は、各自にいろいろな才を与えたようだ」
「やはり俺は、不二が苦手だ」
「この、微笑む彼が‘そういう意味‘でのライバルでなくて良かった」
の3つだった。


END



三国志ネタということで。
しかし何で私、乾塚書いてるんだろ、おかしいなぁ(笑)