落 日 =ラクジツ=


サイアリーズは目を開けた。

いつの間にやら、眠っていたらしい。
腰掛けているのは、ギゼルの私室のソファー。
向こう側に見えるのは勿論、この部屋の主。
彼は本を読んでいる。こちらの事など、気にも留めない様子で。
しかし実際には、眠りに落ちていた彼女のことを気にしていたようで、
本から視線を外さずに、青年は、こう言った。

「・・・随分と、疲れておいでのようですが?」

本来なら目線を合わせずに言うなんて、行為として失礼な事だろう。
慇懃無礼なギゼルにその行動は似合わなかったが、目を見て直接言うと、
互いに苦笑いをしたくなるから。
だからわざと、そのように告げたのだろう。
確かに、疲労は溜まっている。
銀の髪の王子との戦いが、熾烈を極めているからだ。
しかしそんな事を言えば、目の前にいるこの男も、同じ事。
だから今更、言い出すことじゃない。
「深酒が、たたってね。」
そうやって、軽く冗談めかしてサイアリーズは答えた。
全くの嘘では無く、飲まないと眠れなくなっているのだから、
理由としては正しい。
もっとも、正しい睡眠なんてものは取れていなくて、
夜、眠ったつもりになるくらいの効果しか、無かったが。

そうですか、とギゼルは抑揚のない声をあげた。
彼は弱音を吐かない。それは、昔からだった。
昔から。
サイアリーズが刹那考え、唇をぎゅっと噛んだ。
今更、感傷に浸ってどうする。
そう、自分に言い聞かせた。

だが、目の前の金髪の男は、そんな彼女の心を見透かしたかのように、
「昔・・・」と言いかけたのだ。
驚いてサイアリーズは、聞き返した。
「昔が、何だって?!」

「昔、貴女に言いたい言葉があったんですよ。
言いそびれてしまいましたが。」

彼はそれだけ告げて、部屋を出ていった。
その言葉が何なのか、サイアリーズに教えられることは、無かった。
その時も、その後も。

***

ギゼルは目を開けた。

寝室の椅子に腰掛けて考え事をしていたのだが、いつの間にか
眠っていたらしい。
半日ほど前、ソファーで眠る彼女を眺めていたところだったから、
お揃いですねとギゼルは、内心笑った。

夢を、見ていたような気がする。
過去の、昔の夢を。

今の、現実から逃れたいわけではないが、過去の思い出を夢に見る。
それは、どういった深層心理の現れだろうか。
ギゼルに占いの趣味は無いので、分からなかったが。
大事なのは過去ではなく、現在、そして未来だ。
その未来が明るく輝くものであるかは、誰にも分からない。
・・・・大いなる力を持った熱き太陽は、
全て見通しているのかもしれないけれど。

誰が正しかったかは、後世の歴史家が決めることだ。
いや、今は事の是非を説いているのではない。
只、己の信じるがままに。

昔・・・

矛盾するように、ギゼルは自分の幼少期を思い出した。
名門とうたわれるゴドウィン家に生まれ、裕福な家庭環境で育った。
しかし、重要なのはそんな事ではない。
ギゼルにとって、勿論一番重要だったのは、王家の姫君と婚約して
いたことだ。
ギゼルは、フフと笑った。
全てが過去形で語られるのが、可笑しい。
今現在もその関係が続いていたなら、戦いに身を投じることなど、
無かっただろうに。
・・・嘆いているわけでは、無いけれど。

巻き毛の、笑顔の素敵な少女と、婚約していた。
とても光栄で、晴れがましいことだった。
子供らしい表現をすれば、「楽しかった」。
”サイアリーズ様”
気づいた時には彼女の事をそう呼んでいたが、
彼女に、告げたい言葉があった。
それは、機会を見計らっていたわけではなく、
もう少ししたら、時期が来たら、「言える」言葉だと思っていた。

関係がもろくも崩れ去ったから、言いそびれてしまった。
今言っても良かったが、それでは昔自分が告げたかった頃と、
意味合いが違ってしまう。
単なる冗談としか、受け取ってもらえないだろう。
もしくは、皮肉か。
「タイミングとは、大切なものなのですね。」
青年は、ひとりごちた。

***

銀の髪の王子は、予想を遙かに上回る力で、この王宮に舞い戻ってきた。
それと対峙した己の、妙な高揚感に驚く。
こんな最期を待っていたのかと、ギゼルは自分に問いただしてみる。
答えなど、出るはずもなく。

床に倒れたままで、目の前に立つ少年にありったけの負け惜しみを言い、
ギゼルは目を閉じた。
やはり、言えば良かったと後悔した。
笑われても。罵られても。呆れられても。
言ってみたかったのだ。

何かのパーティだっただろうか、もう覚えてはいないが、
彼女の従姉にあたる女性が、彼女のことを愛称で呼んでいた。

サイアちゃん
サイアちゃん
サ イ ア

サイア、と呼んでみたかった。
不敬な、と罵倒されない身分に、自分が成長したら。
サイア、と愛する人を呼んでみたかった。
時期を待たずとも、こどものくせに!と彼女が頬を赤らめて
言う年頃にだって、言えたのに。
タイミングを、間違えてしまった。
作戦失敗ですね、とギゼルは嘲笑した。


・・・・大人になりすぎてしまったんでしょう。
私も、貴女も。

呼んでみたかった、貴女を、その名で。

*FIN*

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