ふわふわ



僕はその時、会計室のドアに鍵をかけた。
それは、相手を逃がさない為ではなく、
大切な時間を、他人に邪魔されたくなかったから。

***

会計室で、愛を告げた。
郁は、黙ってそれを聞いてくれた。
告白したことで、今の幸せが壊れてしまっても、それはそれで良いと割り切って考えていたけど、 もちろん、幸せが続く方が良い。

これからもずっと貴方のそばにいて、今以上の、これ以上の幸福を。

僕はそう願っています、と相手に告げた。
郁は、何も言わずに僕の背に腕をまわしてくれた。
・・・・・嬉しかった。

”郁の髪、ふわふわして気持ちいいですね。”


僕は会計室のドアに鍵をかけたけど、
それは相手を逃がさない為ではなく、
この大切な時間を、他の人間に邪魔されたくなかったから。
郁は、逃げないひとだ。
たとえ答えが僕の望んだものでは無かったとしても、逃げることはしないと思ったから。
だからドアに鍵をかけた事に、大した理由はなくて。

でもそれが、少しの誤解を生んだことは事実だ。

「臣。」
僕の名を呼ぶ郁。
抱きしめて、肩に顔を乗せていたから、その表情は見えなかった。
一旦少し離れて、正面から相手の顔を覗き込むと、郁は薄く口を開けて、口付けをねだる。
僕は郁に口付けた。
いくら僕が、挨拶としてのキスを一般的にする生活を送っていたとしても、僕は「郁」に、 キスをしたことは無かった。
思えば、どうして今までしたいと思わなかったのだろう、と考える。
東屋でうたた寝をしていた郁を見つけた時は、誰かが悪さをしないかと、横で見張りながら 郁が起きるまで、待っていたけど。
その時僕も、戯れに眠る郁に口付けていたら、告白する時期は多分、今では無かったと思う。

唇を離して、たまに見る不遜な笑みを浮かべて、郁はこちらを見ている。
改めて美しいひとだと思う。その容姿も、揺ぎない精神も。
「臣。」
郁はもう一度僕の名を呼んで、それから僕のネクタイに指をかけるから、
僕は思ったんだ、”この会計室で、そんなことをしてもいいものか”と。
だけど、僕自身の郁が欲しいという欲求の方が強かったから、
僕も郁の、詰襟のカラーに手を伸ばす。


会計室の、床は冷たい・・・。


「しょうがないだろう。そんなことの為に、カーペットをひいておくのもおかしいだろう?」
そう言って、郁は笑う。
僕の上着を、と言ったけれど、郁は首を横に振って、
「臣。そういうことを気にしている場合ではない。」
と答えた。確かにそうだ。
こういった状況にあっても、慌てることのない郁は、
・・・少し予想はしていたことだけど・・・同じことをされた経験が、有るのだと思う。
それは、どうしようもないことだ。

僕はずっとこのひとのそばにいたけれど、
「僕」は、郁のものであっても、
「郁」は、僕のものではないのだから。

だけど今、全てではなくても、
その一部分でも、大切な郁が、僕の手の中にあるのだから、
僕はそれを、幸運だと思わなくてはならない。

「郁、好きです。」
さっき聞いたと言われるかもしれない、と思った。でも声に出した。
僕の言葉を聞いた彼のひとは、微笑んで答えてくれた。
「ありがとう。」と。


相手の首元に、顔をうずめて、
首筋のラインを、優しく唇でなぞる。
僕は急いでいたのだろうか?郁の着ている上衣の前を、全て開けて。
「自分の服を脱がないのは、悪い癖だぞ。」と郁に注意された。

何だか、体がふわふわする。
誰かと体を合わせた時に、こんな印象を受けたのは、初めてだ。
ふわふわする。郁の白い肌は、熱い。
相手の体じゅうに手を滑らせて、僕はこの、奇妙な浮揚感に酔う。
一歩身を進めて深く重なれば、郁は、苦痛にその美しい眉を寄せるけど、
「臣、臣。」
と必死に僕の名を呼んでくれるから、僕はなお深く沈む。


ここは会計室。対立する学生会と、予算でつながる神聖なる場。
ここは会計室。
狭く冷たい部屋の中で、僕たちは愛を紡いだ。


<了>