棘〜イバラ〜



植物のバラは美しい花を咲かせるが、その茎にはトゲがある。
バラを摘む者は、その腕から血を流す。
価値有る物を得る為に、傷つくことが代償となる。

ここに花はない。
花はなく、ただ棘のついた緑があるだけ。
蔦は絡まり、周りを覆う。
傷つき、出られなくなったのは、俺か、あいつか。

***

気づかなかったわけではない。
それほど、愚かであるつもりはない。
奴の事は何故か、憎らしいほど分かるようになっていたし。

七条臣が俺に誘いをかけてきたのには、訳があるに決まっていた。

それも、本人も気づいているに違いない。
悟られないだろうと、低く見られるのも癪だ。
七条は、裏に何かを隠し持っている。
それを、俺が気づいているのを知っていて、そのくせ平気な顔をして、言う。

「僕と、寝ませんか?」

「どういった風の吹き回しだ?」と俺は低い声でひとつ問うた。
中嶋英明と七条臣は、仲は悪い。
それは学園中の常識として知られていて、そしてそれは、間違いではない。
俺は、七条と仲が悪い。
七条は俺を見るたび、ひくついた笑みをその顔に浮かべる。
きっと、顔も見たくないという意味なのだろうが。

その奴が、自分と寝ないかと、誘いをかけてきた。

俺はクッと小さく笑って、七条に言った。
「俺を組み伏せるつもりか?」
すると奴は口元だけで笑って、声だけは楽しそうに、答える。
「いやですね、そんなことは狙っていませんよ。」

奴の言葉は、信じられない。

それは、何故だろうか。
七条臣が特別、嘘つきだという噂など流れていないが、
俺は七条の言葉を信じることはない。
ひとはそれぞれ違う価値観を持っていて、価値観のずれた人間を、「自分とあわない人間」だと思う。
俺と七条は、価値観が離れているから、
だからその言葉が、たとえ真実だとしても、鵜呑みにすることが出来ないのだ。

腕力で、負ける相手ではない。
七条の方が、俺より少しだけ身長が高いが、丹羽に比べれば、小さく細い。
俺はその丹羽にすら、負ける気はない。
俺を組み伏せて、その征服感に酔うつもりか?
七条が俺に近づいて、得られるものが有るとすれば、それくらいだろう。
される気など、微塵もないが。

目の前の男は、相変わらずにこにこ笑っている。
奴の微笑みには、何の意味もない。
黙っていた俺に、七条がかけた言葉は、こう。

「・・・・怖いのですか?」

そう言って、やはり笑う。
俺は頭に血がのぼってしまった。
相手の思うつぼだと、気づいていたのに。

薄笑いをする男の襟元を掴んで、乱暴に口付けた。
床に押し倒して、服を剥ぐ。
七条は、さして顔色を変えもしない。
いつもの微笑みを浮かべて、こちらを眺めている。

「どうして、誘った。」

俺は尋ねた。奴は答えないかもしれないとは思ったが。
だが、七条は答えた。俺の背中に、腕を回しながら。
「誘うのに、理由がいるんですか?
僕は貴方と寝てみたかった。それだけです。」
嘘だ。それは多分嘘だろう。
だが、それに騙されたふりをしてやるのも、面白い。

思い切り優しく、首筋を唇でなぞった。

気に食わない人物が、
己の一動にひとつひとつ反応し、吐息を漏らすのは、
面白い、見世物だ。
もっと声をあげてみろと、七条の体全体を手で探る。
さすがに余裕が無くなったのか、奴の顔にはりついた笑顔はとれている。

一時的な快楽に溺れたかったのなら、わざわざ俺のところになど来なくても、よかっただろう。
それに七条は、抱かれるのが好きだとは思えない。
試してみたかったという奴の言葉に従えば、俺は随分、忠実なパートナーというわけだ。
奴の本心が何であれ、今は俺の腕の中だ。
十分に、溺れるがいい。

頬を赤く染め、その紫の瞳にうっすら涙を浮かべている七条は、
普段のあいつとは、違って見えた。

その瞳は、切なげだ。
誰かに、救いを求めているような。
何が苦しい?今の状況か?
辛いなら、声を出して叫んでみろと言いたくなる。
七条は俺の頭を両手で抱えて、そして言った。

「中嶋さん・・・・キスを・・・っ!」

それが、お前の本心か。
いつだって本当の自分を隠している、七条。
その男が今、確実に本心をさらけ出したと感じた。
口付けた程度で、体を裂く痛みがやわらぐとも思えないが。
それがお前の「真実」なら。
実に貴重なものを見せてもらった代わりに、俺はお前の望むものをやろう。

体を伸ばして、下にいる七条の唇に、己のそれを重ねた。
・・・・体じゅうが、痺れた。

口移しに、何か薬を飲まされたのかと思った。
しかし、そうではない。
混じったのは、自分と相手の唾液だけだ。
だが確実に、今、全身に電流が流れたように、痺れた。
これは何だと、考えている暇もない。
次々に、痺れが俺の体を襲ってくる。甘い痺れが。

何ということだと、思わず頭をかかえそうになる。
酔っている。この俺が、抱いた相手に酔っているのだ。
この手が震えるほどに。
止まった俺の、顔に手をあてて、七条は言う。
「どう、しましたか?」
どうもこうもないと、吐き捨てたかったが。

遊びともいえない、冗談だとも言えぬ、
ただ「試した」だけの相手に、
こんなにも夢中になっている、自分が嫌だった。
悟られたくないことだった。特に、この男には。

貴様など、めちゃくちゃに壊して、
二度とその薄笑いで、俺の目の前に立てなくしてやろう。
そう思って、七条の肩に手をかけたが、
今は違う理由で、奴の名を呼ばずには、いられない。

「七条。」

名を呼ぶと、奴はひどく嬉しそうな顔をして、俺に向かって微笑む。
・・・溺れているのは、俺の方か。


蔦が絡まって、この身の動きを封じる。
逃れられなくなる。
ここに花はない。花はなく、棘だけが残る、茂った蔦と共に。
すでに半身を、絡め取られたと言っていい。
逃げ出す術はない。
俺は、奴の策に嵌ったか。
それとも俺達は、ともに堕ちたか。

棘が、この身を切り刻む。
傷つき血を流し、そして甘い痺れに酔う。


<終>