ドクン、ドクン

鼓動が、速い。大きく、脈打つ。
困りましたね、と臣は思う。
本当は、そんな冷静にしてはいられない状況なのだが。

体が、熱い。
臣は思うのだ、「男というのは、困った生き物ですね。」と。
体が熱くて、
愛しいひとが欲しくて、たまらない。


コンコン。
「郁?」
声をかけると、ドアの向こうから、「臣か?」という返事がある。
そんな、優しい声を僕にかけないで下さい。
僕が何を望んで、貴方の部屋まで来たか、分かってるんですか。
そう臣は内心思って、ひとりで笑う。
部屋に通されると、今は真夜中なのだから当然だが、郁は夜着の姿だった。

「どうした?」

そう、ソファに腰掛けて、部屋の主は問う。
いくら彼といっても、真夜中に訪ねてくるのは珍しいことだったし、 緊急事態のようにも見えなかったので、聞いたのだ。
すると臣は、こう返す。
「別に。単に郁の顔が見たかったんです。」

言われた方は、ちょっと目を見開いてから、フと笑って、言った。
「そんなことでお前が、夜中に訪ねてくるわけないだろう。本当のことを言え。」
確かに、郁を慕っている臣が、わざわざ彼の睡眠を妨害してまで、そんな行動に出るとは 考えにくい。
本当のことを言えと言われて、臣は微笑んでから、相手に尋ねた。
「怒りませんか?」
「怒る?私が怒りそうな事を、お前は言うのか?」と郁。
「そうですね、怒るかもしれません。」と臣は、あいまいなことを言う。
怒るかどうかは、聞いてみなければ分からない、と、郁はもっともな意見を述べた。

そうですね、と臣はつぶやいて、しばらく黙ってから、小さく告げた。
「・・・・貴方が欲しかった」

臣はゆらりと立ち上がって、彼の言葉に驚き、一瞬固まった相手の元へ移動する。
ソファの隣に腰掛けてから、頬に手を添えた。
「郁、僕は貴方が好きです。前も告げたと思いますが、覚えていますか。
僕は郁が好きで、・・・貴方の体が欲しいと思っています。」

言い終えてから臣はにっこり笑って、
「怒りたくなる話題でしたか?」と尋ねた。
そんな風に、ふざけている余裕など、本当はないのに。
添えられた手をそのままに、郁は相手の顔を見ていた。
一度も視線を外さず、ずっと相手を見つめている。
少しの沈黙のあと、郁はつぶやいた。

「本気だったのか・・・。」

その言葉に、冗談だと思ってたんですか?と臣は言って、笑う。
確かに、告白としては間が悪かったと思う、あの時は。
それに自分も、どうやって告げたらいいか判らなかったので、曖昧になってしまったのもある。
しかし、今は判る。自分のうちにある、強い想いも。
はっきりと好意を告げることもした。望んでいる、ものも。
目の前の、普段通りの笑う七条臣に対し、西園寺郁は、珍しく頬を赤く染めた。

「郁?」
その変化が嬉しくて、思わず声をかけてしまう。
手を戻したが、代わりに、思わず抱きしめてしまおうかと思ったくらいだ。
何やら、やはり珍しく口ごもっている相手の様子に、臣は声が聞き取れるように、顔を寄せる。
「・・・何ですか?」
郁が言った言葉は、こうだ。

「臣。
・・・・・・・・私は、お前に抱かれるのは嫌だ。」

嫌いだと言われるのと、どちらがショックだっただろうか。
どちらも拒絶の言葉には違いはないが、でも、郁の言ったことには、まだ救いがあるのだ。
抱かれるのは嫌だ、と、郁は言った。
人間性がどうとかは言っていない。告白が迷惑だとも、もう来るなとも。
ただ、お前に抱かれるのは嫌だ、と言っただけだ。

「・・・嫌ですか。」
別段いつもと変わらない顔で、ほんのちょっと眉をひそめただけで、臣はそう聞き返した。
ここで自分が落ち込むべきなのか、笑うべきなのか。
よくわからないから、とりあえず普通の顔をしている。
泣きたいとは思わないが、他の人間ならこういう時、どうするのだろう。
他の人間のことなど、どうでも良かったが。

郁は、臣の出ている首筋に手で触れて、その脈動を再確認し、彼に問う。
「速い、な。お前、興奮しているんだろう?」
そうかもしれません、と臣は答える。
「おさめたかったのか?私の体で?」
そう聞く郁に、素直に臣は首を縦に振った。

「お前に抱かれるのは嫌だ。」

また、その言葉。何度聞いただろう。
心の中でエコーするから、もう、何百回も聞いた気がする。
相手に拒まれたことよりも、それを聞いてショックを受ける自分が、
心より、目先の肉欲を望んでいるようで、自分の想いはそんなものだったのかと、己が憎たらしく思う。
ただその欲望を埋めたかったのなら、わざわざこんな「お堅い」人物の部屋に来ずとも、 割と人気のある臣の、相手をしてくれる人間は、いくらでもいたのに。
自分がこのひとの元に来たのは。
それは、・・・彼が好きだからだ。彼でなくては意味がないと思った。だから。

「臣」
呆けている相手に向かって、郁はひとつ名前を呼ぶ。
「お、み。」
耳元で、繰り返した。

「熱い体は、私が冷ましてやる。」

相手を向こう側に押し倒して、上方から彼を眺めて、郁は言った。
臣は愛しい相手の顔を見上げて、少し驚いた様子で、言う。
「郁?まさか・・・」
まさかと言ったが、状況が分からぬほど、臣も愚かではない。
見上げたままの体勢で、臣は尋ねた。
「僕の想いが邪魔なのではないのですか。」

「誰も、そんなことは言っていない。」と郁は答える。
「でも、僕に抱かれるのは嫌だ、って・・・。」
「だから!!その・・・・。」

視線を横に外して、郁は続けた。
「・・・お前に抱かれるのは、恥ずかしい・・・・。」
我慢できないんだ、次の日どんな顔をして会えばいいのか分からない、と郁はつぶやく。
どんな顔って、普段通りの顔をすればいいんですよ、と臣は言いたかったが、やめた。
とりあえず、今の状況をもう一度考える。

これはやっぱり、
郁が僕を抱こうとしている・・・んですよね?

ソファに寝そべって、相手の顔を見上げたままで、臣はそう思う。
彼はいつでもどこでも笑うことが出来る体質らしい。こんな時でも薄く笑う。
あははと声をあげて笑ってから、臣はひとこと告げた。

「郁。僕はできたらベッドの上がいいです。ソファは狭い。」

彼の言葉に、郁は目を丸くしている。そして聞いた。
「嫌じゃないのか?」
「何がですか?」
臣はそう聞き返した。答えになっていないが、そういうことだ。
臣の希望は「ソファよりはベッド」であって、それ以外のものではない。
”変わり者”の友を見やって、郁は言った。
「来い、こっちだ。」

子供のように手を引かれなくても、寝室の場所くらいは分かっているつもりだったが。

***

「お前、抱かれたことは、無いのか。」
「ありません。」

そう、きっぱり、臣は答える。まぁ、そうだろうなという顔を、郁もしている。
郁が驚いたのは、次の言葉を聞いてからだ。

「抱いたことはあるのだろう、もちろん?」という郁に、臣の答え、
「ありません。」

・・・・・・・・・・・・・・・・。

無い?無いのか?と郁は、その性格に似合わず何度も聞いている。
そのたびに臣は「無いんです。」と答えている。
郁があんなに驚いた顔をしているところを、初めて見たと臣は思った。

「そんなので、私の部屋に来たのか?」と郁が言ったから、臣はこう切り返す。
「誰も、貴方を抱きにきたとは言っていないでしょう。」
「でも、抱かれたかったわけでもないんだろう?」
「さぁ、どうですか。」
ベッドの上で裸で抱き合っているのに、はぐらかすばかりだ。

ふふ、と臣は少し笑って、それから告げた。
「郁、僕はね、
男のそれに、どれだけの重要性があるか分かりませんが、
僕は、捧げられるものは全て、郁に捧げようと思っていましたから。
だから、誰とも寝たことがないんです。」
ナイショですよ、と最後に彼は付け加えた。

「・・・嘘だろう?」と郁は言い、「嘘じゃありませんよ。」と臣は言う。

相手の頭の後ろに手を回して、臣はつぶやいた。
「郁、貴方のうなじに触れることが出来るのは、僕だけですよね・・・?」


つまらない嘘と、つまらない真実。どちらが重要だろうか?
嘘も真実も、善も悪も、この身も魂も全て、貴方に捧げよう。


<了>