月を観て、彼の人を想う 2
さっきも言ったが、先代は元神官である。
だから、先代は剣を扱えない。サクリアを発するのに、形式的に剣を持つが、それは木刀。
誰かと手合わせがしたいと思っていた俺に、先代は、水の守護聖をすすめた。
「彼は、ここに来る前は剣で生計を立てていた人間だからな。
腕は立つぞ。」
剣を持って彼の館を訪れたとき、水の守護聖はホースに穴を
開けて、噴水を作っていた。
「あぁ君か。僕に用?」
手合わせを・・・と言う俺に、
「ちょっと待ってね。」
と言って、今度はせっけん水を作って、シャボン玉を飛ばしはじめた。
いつまで待ってればいいんだ、と少し苛立つ俺を無視して、
水の守護聖は誰もいない館の2階の窓に向かって、手を振る。
このひとは本当に何をしてるんだろう・・・
失礼ながら、頭がおかしくなったのでは、と思ってしまった。
それに気づいたのか、水の守護聖グラディウスは、シャボン玉をやめて立ちあがった。彼は言う。
「あそこに僕の後継者がいるんだよ。こっちからは見えないと思うけど。」
そういえば、俺とほぼ同時期に聖地にやってきたはずの、新しい水の守護聖の姿を、俺は見ていない。
「会ったことないよね?まぁ当然なんだけど。
僕が、館から出してないから。」
・・・もしかして彼は、自分の後継者を監禁してはいないか?
水の守護聖は「おしゃべり」だ。彼は続けて言った。
「別に、僕がいじわるして、彼を閉じこめてるわけじゃないんだよ。
君と違って、繊細で優しいコだからさ、いじめられたら困ると、
そう思って。
サクリアが安定してきたら、皆に会わせようかと。」
俺は、自分が「繊細でなく、優しくない」と彼に評価された事に
気づいたが、黙っていた。
言いたいだけ言った水の守護聖は、一応俺の用件を覚えていたらしく、
「剣の稽古だね?いいよ、やろう。」
と言って、歩き出した。
***
「僕はね、ここにきてから真剣は持たないことにしたんだ。
だから木刀で失礼するよ。あ、君はその剣のままでいいから。」
木刀相手に、刃はつぶしてあるが剣を持って戦えるわけがない。
そう俺が言うと、グラディウスは、
「あ、そうだ。君、防具つけたほうがいいかもね。」
と言った。はっきりいって腹が立った。
完全に馬鹿にされているのだと思った。
*
・・・・・・・・・・・・痛い。
自慢じゃないが、今まで剣の稽古で負傷したことなどなかった。
それが、何という事だ。
水の守護聖は、「僕もだてに、剣(グラディウス)なんて名を持ってるわけじゃ
ないんだよ?」と言って、ケラケラ笑う。
彼の剣技は凄い。何と言うか、殺気だっている。彼いわく、
「僕はさ、君と違って騎士ではないんだよね。
勝負は勝てばいいと思ってるわけ。勝ち方なんて気にしないんだよ。
だから、頭とか首とか心臓とか、直接的な所を狙って、打ってる。
君は剣筋が非常に良いけど、甘いんだよ、剣が。」
これほどの腕を持つ人間が、優しさをもたらす水の守護聖なのだ。
俺は一瞬、先代と彼が、逆のサクリアだったら良かったのでは、と思った。
俺の瞳がそれを物語っていたのだろうか。
水の守護聖はにっこりと微笑んで、言ったのだ。
「今の炎の守護聖はね、とっても強い人だよ。
僕なんかより、よっぽど強い。剣は持たなくても。」
***
彼と別れて、俺は先代の部屋へ行った。
「やぁオスカー、これはまた派手にやられたな。
あざだらけだぞ、お前?」
そう言って、カルマは楽しそうに笑う。
俺はさっき、あの人が言っていたことを尋ねてみた。
「水の守護聖・・・サマ、が言っていました。
貴方のほうが自分より、よほど強い人だと。剣は持たなくても。」
それを聞いた先代は、急に真剣な目になって、つぶやいた。
「強さを与える炎の守護聖は、剣をふるうべきだと思うか・・・?」
先代は続けた。
「わたしの前の炎の守護聖も、剣が扱えた。
だからサクリアを発するのに、剣を構える形を取るのだ。
わたし自身も、「軍神」である炎の守護聖は、剣を持つのが当然だ、と思っていた。ここに来る前まで。
だがな、オスカー。
強さを与える守護聖自ら、戦いを引き起こすような真似をしていいと思うか?
わたし達は、軍神とあがめられてはいるが、実際の所、神なんかじゃない。
もちろん、戦いは今もどこかで起こっている。
だがそれを、あおってはいけない、と思うのだ。
わたしは剣が扱えない。
強さの象徴の炎の守護聖が、剣を持たないのだ。
人は、戦わなくても決着をつける方法を、いくらでも持っている。
それに気づくべきだとは思わないか?
水の守護聖のグラディウスは、剣の達人だ。素人のわたしでも分かるほどの、な。
彼は、「優しさ」が「人に甘くすること」ではないと分かっている。
だから戦うんだ、妥協を許さずに。
そうやって、わたし達は炎と水のバランスをとってきたんだよ。」
一息ついて、先代はくるりと後ろを向いた。
「ところで、腹減ってないか?実は、新しいのを作ってみたんだ。」
そう言って先代はどんぶりを出す。すっかり、いつもの食い道楽の目だ。俺は尋ねた。
「何ですか、これは。」
カルマは自信ありげに答えた。
「オムソバ、だ。」
調べ方が悪かったのではないだろうか・・・と俺は思った。
俺はオムソバが何か知らないが、目の前の物体が、違う料理であることは分かる。
偶然知っていただけだが、
それ、月見そばだぞ、先代。

***
俺は気づいてしまった。先代を見つめる、優しい目を。
先代から教わることは、もうほとんど終わった。
ということは、先代はもうすぐここを去るということだ。
先代は視線に気づいているのだろうか。いや、どうでもいい。
俺は何故、その視線に気づいてしまったのだろう。
気づきたくなかったのに。
俺は、視線の主のところを訪ねにいった。
「あぁ、オスカー君、どうも。」
俺が何を言いにきたか、分かったらしい。
水の守護聖グラディウスは言った。
「僕に何をしろと?いや、何もするなと言いたいのかな、君は。」
彼も多分、自分の後継者の指導を終えて、もうすぐ聖地を
去るのだろう。(あいかわらず、新しい水の守護聖には会って
いない)
去る・・・もしかして。
「あぁ、それは断られた。」
またも、俺が言う前に、言いたいことを理解したらしい。彼は言った。
「クーはね、ああ見えて、結構さとい人なんだよ。
僕が全部言う前に、拒絶された。まぁ、しょうがないね。」
彼は手をくるくる回して、言う。
「この地を一緒に出られるなんて、すごく幸運なんだけどな。
その後、一緒に歩いていけるわけじゃないんだよね。ある意味、
逆に辛いねぇ、あははは。」
水の守護聖は笑う。とても悲しい笑い声だ。
それでも彼は続ける。
「炎の守護聖は強い人でしょ?
彼はね、ずっと独りで生きてきて、
この聖地でも独りで、そしてこれからも、独りで生きていくつもりなんだよ。
強いね、本当に・・・。」
水の守護聖は初めて下を向いた。俺は、かける言葉が見つからなかった。
*
俺は正式に炎の守護聖に任じられ、先代は聖地を去った。
先代は門をくぐる時、満足そうだった。
先代の同期の水の守護聖も一緒に聖地を出たが、行き先は同じでなかったらしい。
日の曜日、良い天気だ。小鳥のさえずりが聞こえる。
俺はラフな服装に着替え、帯剣し、館を出た。
俺を見つけたオリヴィエは、マニキュアや指輪で派手に飾った
手をヒラヒラさせて俺を呼び、リュミエールは、笑って茶を淹れる。
いつもの光景。平和な光景。
あのひとは、俺の剣を甘いと言った。
確かにそうなのかもしれない。
「軍神」は剣を持つべきか、持たざるべきか。
先代の意見も、もっともだ。
だが、俺はこの剣で聖地を守る。
見ていてください、先代。
俺は貴方より、いや貴方達より、強い人間になってみせますから。
END