全てを手にするという事は、何も手にしていないのに等しい
矛盾したようで、それは真実
all or nothing

           残酷な君 ザンコクナキミ


忍足が、菓子を食っている。
そう、跡部景吾は気が付いた。
氷帝学園の運動部には、ロッカーの置いてある部室の他に、
ミーティング用の会議室が与えられるのだが、
彼らは今そこにいて、忍足は、先ほどから何やら、焼き菓子を
食っているように思える。

「何食ってんだよ、アーン?」

飲食していることを責めているわけではなく、
しいていえば忍足が、クッキーの粉を机やら床にこぼしているのが
気に食わないだけだ。
ちゃんと掃除しておけよ、と続けようと思ったのに、こぼれているのを
察知してか、すでに下級生の樺地が、ホウキとちり取りを持ち出している。

「止せ、樺地。」
「ウス」

本人にやらせろ、という意図が声に出さずとも分かったらしく、
樺地は忍足の席の後ろあたりに、持ってきた掃除用具を立てかけた。


何食ってるとは口にしたが、跡部はそれが何かということは、理解している。
今日は、ホワイトデーだ。
ホワイトデーが、1ヶ月前のヴァレンタインデーのお返しの日だという事も、
ホワイトデーには、「男子」から「女子」へ贈り物をする日だという事も、
常識として、知っている。
それを踏まえて、忍足のような男が、今日スウィーツを食うはめになっている
理由も、分かる。
それは氷帝学園で、半ば風習になっているようなもので。

ホワイトデーに、(律儀にも1ヶ月前のお返しをした男は)、
その女子から大抵感激されて、男が持ってきた菓子なり何なりを、
「半分こ」にしましょう、と提案される。
だからお返しをした男は、ホワイトデーに、キャンディやクッキー等の
スウィーツを食っている。
裏を返せば、氷帝学園の女子は、
半ばお返しを期待せずに、ヴァレンタインデーに贈り物をしているということだ。
熱狂的なアイドルがかった集団が、運動部に存在するのが、原因だと思えるが。

1ヶ月前、忍足がヴァレンタインにチョコレートを貰っていたのは、
知っている。
見たのもあるし、本人がそういうことを言いふらすタイプだからでもある。
ちなみに跡部自身は、1つもプレゼントを貰っていない。
彼に贈ろうとする女子はもちろん多くいたが、跡部はそれを、一蹴していた。
1ヶ月後のお返しをするのが嫌なのではなく、
2月14日以降、甘いもの漬けになるのが嫌なのではなく、
それは・・・貰えない気がしたから。

「うぜぇよ、お前ら。」の一言で片付けた真実は、
本当に欲しい相手は、唯一人、で。

部屋を出た跡部は、廊下の突き当たりに人影を発見し、形の良い眉をひそめる。
あの体躯は、樺地だ。
さっきまであの部屋に居たのに、いつの間に外に出た?
自分の許可も取らず側を離れたことが、気に障るのではなくて。
確かに、部活時間中に樺地が、何も言わずにどこかに行くということは無かったけれど。
窓から半分身を乗り出して、何かをやっている彼に、声をかけた。

「オイ樺地、何をしている。」
「・・・跡部さん。」

大柄な2年生は、驚いたようだった。
跡部が部室から出ないと踏んで、こっそりと抜け出してきたのだから、
跡部に知られたくないことが有ったのだということは、明白だ。
樺地のその大きな手には、小さな包み。
ラッピングは半分剥がされていて、中身がクッキーだということが分かる。
水色の、可愛らし過ぎない程度に包装された、どう見てもホワイトデーの
プレゼントである、それ。
それをこの男は、開けてしまっている。
跡部は少し考えた。

「買ったのか、それ。」
「ウス」
「やるんじゃなかったのか、誰かに。」
「・・・・・。」

お返しをする為に、買ったのであろうホワイトデーのプレゼントを、
何故贈らずに、自ら開けてしまうのか。
理由は唯一つ、・・・・贈れなかったからだ。

「やらねぇのか?自分にチョコレートくれた女に、お返しとして
買ったんだろ?」

首を縦にふる樺地。もちろん、そのつもりで買ったのに違いないが、
出来なかったから、処分してしまおうと考えているのだろう。
ものは食品であったから、もちろん食べてしまうとして・・・。
跡部が知りたいことは、2つだった。
樺地が女に贈れなかった理由と、
自分に隠れて、それをしようとしていたこと。

部室で忍足のように、食べていても問題はない。
贈って喜ばれて、半分こになって返ってきたものか、
プレゼントを贈り損ねて、余ってしまったスウィーツか、
他人から見れば、分かるものではない。
それなのに樺地は、自分の目の届かないところで、そのスウィーツを
処分しようとしていて。
飲食を咎(とが)めているわけではないことは、 樺地であれば、分かっているはずだが。
「部室で食べると、こぼして部屋を汚しますので。」なんていう、嘘はつかない男だから。
食べていることを、知られたくなかったに違いない。

何故に?

跡部景吾は考えた。
ヴァレンタインデーに、樺地もプレゼントを貰っているのは、知っている。
今さらその身辺に対して、誤魔化そうとしてもしょうがないことだ。
それなのに。

何故、贈らなかった。
何故、贈れなかった?
それはおそらく、・・・ひと月前に、自分が、誰からもプレゼントを
貰わなかった事と、理由は同じ。

単なる挨拶、遊びも同じ。
くだらない、習慣だ。
ただそれを、半ば宗教がかったように重要視して、
簡単に、受取れなかった男。
それと、同じくそう思っていたのに、断り切れずにいくつか受取った男。

「優しいよなぁ、お前は。」

自嘲気味に、跡部はそうつぶやいた。
樺地がおそらく、それを相手に渡さなかったのは、
渡せばまるで、返事が”YES”であるかのようだから、だろう。
そんな誤解を抱かせないためにも、一度は買った「お返し」を渡さずに、
自らの手で処分する。
不要なら普通は捨てるものを、食品だからと隠れて食す。
跡部は、樺地の横に並んだ。

「クッキーの材料の小麦だって、無駄にできねぇからな。
小麦の大半は輸入されてるって、社会で習っただろ?」
「ウス」

2人は窓から半分身を乗り出して、外を眺めつつ、乾いた菓子を食った。
半分こ、だなと思ったのは、どちらであろうか。


誰にでも 優しき君
己に向けるその視線が 特別なものか知れず
我は全てを手にしているが それは何も手にしていないに等しく
1か0か 心は分からない

残酷な君


<END>