祝詞(イワイノコトバ)  後編

+++++++++++++

 その不機嫌がいつもと違うと言うことには薄々気がついていた。


 ただ、不機嫌の原因が分からずどうすればよいのかずっと考えていた。
 金子光伸という人物が非常に高い矜持をもっていること同時に非道く傷つきやすい繊細さを併せ 持っていることも知っていた故に迂闊に介入しても良いのか迷いもあった。
 おかげで結果はこれだ。
 憲実は赤く腫れた手の甲を見つめる。
 一瞬では理解不能の事を喚き散らす光伸をとにかく落ち着かせようと差し出した手を 思いっきり弾かれたときのものだ。
 本人も自覚もあったモノではないだろうからまさか憲実に手を腫れさせるほどの力で 叩いたことなど気がついては居ないはずだ。
 今は誰もいない校舎裏で随分長い時間憲実は立ったまま難しい顔をして手を見つめていた。

『貴様のせいだ!! 貴様が鈍いから、悪いのだ!!』

 とにかく、自分があの不機嫌の原因だとわかった。

『おまえはどうして俺の誕生日に何もないのだ!!』

 そして、誰が何をの何をという部分は光伸の誕生日に自分が何もしないかららしい。
 そこで憲実の考えは止まる。
 何故、誕生日に何もしなかっただけであんなに不機嫌になっていたのだ?  それも、こちらが本気で案じるほどに。
 わからないと唸る。既に何度唸ったことか。
 西洋に誕生日に贈り物を贈るという習慣があることを要と抱月のやりとりで知った。
 誕生した日を祝うと言うことは悪いことではない。だが、憲実にはいまいちピンとこない。
 元士族である土田家内では未だ年を数え年で数えていたりする。元旦のその日を保って一つ 歳をとるそんな数え方をまだしている憲実にとって生まれ年、生まれた日でもって年を数えたり 祝うことが実感として彼の身に迫ってこなかったのだ。
 憲実は考える。
 そして、相手の気持ちになってみようとする。
「……」
 また、唸る。今度は溜息混じりに。
 誕生日など。年など重要な……例えば七五三や成人など重要な歳になったときに気にすれば いいことではないのか。それを毎年毎年し祝っても何時しか祝う価値が下がってくるのではないだろうか。
 その場に抱月が居れば少し怒り気味で説教されそうなことをついつい考えてしまう。
 第一人は平等に年を重ね老いていく。格別祝うことでもないと思う。
 勿論、祝うことが嫌だからそう考えるわけではない。
 どんなに光伸の気持ちになろうと考えても、気がつけば自分の価値観で全てを図ってしまうだけなのである。
 彼と光伸が如何に両極に位置するか、憲実自身重く実感してしまう事実だった。
 何故、自分と金子はあんな関係になってしまったのだろう。
 成り行きと応えてしまえばあっけないモノだが、時折不思議に思う。
 始まりは多分、というか光伸が言う通り憲実の欲求を解放させることだっただろう。だが、それだって リーベだと端から見られている関係によく似ている。
 一体、自分たちの関係は……。
 漠然とだが答えがでかかったときだった。
「土田さん。どうしました?」
 肩を叩かれた。
 はっとして振り返ると、いつの間にか傍まで来ていたのか彼のすぐ真後ろに日向要が立っていた。
不安をその綺麗な顔全面に浮かべて。そして、
「つ、土田さん!! て、どうしたんですか!!」
 ぐいっと要は憲実の手を強く握りそのまま彼を引っ張り、どこかへ連れて行こうとした。
「か、要……!!」
「こんなに真っ赤になってるんです、冷やしてお薬塗りましょ!!」
 強く睨み叱るような調子で言われた憲実はこれ以上何も言えず黙ったまま要に全てを任せた。
 要に引っ張られて憲実はまず井戸で手を冷やし、その後小使い長の部屋に引っ張り込まれてそこで湿布を施された。
 慣れた手つきの要に感心しつつ、幼い頃から惹かれていたその整った顔に一瞬見とれた。
 その後非道く苦い痛みが胸に広がる。
 要は他の人の物になった。
 決して、憲実の思う形で目の前の青年と付き合うことは出来ない。
 結局何もできず、見ているだけだった己が招いた結末だと、胸の痛みを感じながら何百回と しただろう心の中だけの要を諦める儀式を行った。
 要は俺のモノにはならない、と。
「……」
 何度もしているせいだろうか、それともよく言う時が解決しているからだろうか、要が抱月と 付き合っていることを知った頃より随分楽になっていることに気がついた。
 まるで、この儀式も反射反応のような機械的な作業をしているのではないかとすら思うようになっていた。
 要のことを若い頃の青い思い出になろうとしているのかもしれない。
 僅かだが憲実の口元に笑みが浮かぶ。
「剣道で?」
「え?」
「ですからこの腫れ、剣道の……小手でしたっけ? で、こんなになったのかな、と」
「ああ、それは違う」
 小手は手首で腫れるなら親指の延長に当たる部分だと指差してやると、要は「ああ、そこなんですか」 と純粋に感心していた。そういう幼い反応に目を細めて見つめる。要の良さの一つだな、と微笑ましく思う。
 笑いながらふと気がついた。昔ならそう思いながら胸がざわついたものだが今は下の兄弟達を見つめる時の 気持ちに似ている、と。
 諦めや時間というものは随分、都合のいいそして凄い力を持つのだなと感心する。
「じゃあ何で? 見た感じでは何か強く打ち付けられたあとのような気がしますが」
「要は、本当に頭がいいな」
「からかわないでくださいよ」 「そういうつもりでは……」
「あ、すみません。土田さんは人をからかうなんて事しない人なのに……でも、気恥ずかしいですよそういう言葉」
「すまない」
「あ、いえ……その……」
 困ってしまった要を見て思わず吹き出した。一瞬、不快そうに唇をとがらせた要だったが憲実と一緒に しばらくの間笑い合った。
 何とも自然に笑いあえている。
 憲実は途中そういう不思議な気分を抱きながら屈託なく笑う。
「それより、どうしたんですか?」
「ああ、金子にな」
 金子さんが?! と、息が止まってしまうのではないかという勢いで要が驚いた。その大げ過ぎる程度に 憲実も逆に驚く。
「そんなに驚くことか?」
「だって……。金子さんには悪いですけど、ああ見えてちゃんと紳士らしい所があるのでまさか、 手をあげるなんて思わなかったんですよ」
「そうなのか?」
 事ある毎に紳士らしからぬ事をする光伸と一緒に居るのにいまいちピンとこない。
 首を捻る憲実に要は柔らかに微笑む。
「まあ、土田さんならあり得るのかな」
「何故?」
「だって、金子さん。土田さんだけには心許しているようだから」
「え?」
 驚いた。
 確かに光伸は周囲の人間に心を開いているわけではなかった。それは以前の事で今は随分周囲に 自分を出して、昔と違って見かけ倒しの友人関係ではないようだった。
 それは、身体まで結んでいる自分たちと同等といえないが少なくともただの知り合いというモノではない。 そして、身体を繋いでもただの知り合い以上の関係だと憲実は思っていた。
 抱き合っている居ないか。そのぐらいの差だと思っていた。
 強いて差を付けるなら要のことに関して案じられている……というぐらいだろうか。
「といってもこ……リーベの関係なんですから当然ですよね」
 自分も年上の恋人が入るのに真っ赤になる。
「ああ、まあ」
「なんですか、土田さんは木訥な方だってわかっていますけど、こういう場合そんな風に曖昧に 応えたら金子さん怒りますよ」
「そう……だろうか」
 そうですよ!! と、要は断言する。
 そんな要に「だがな」と心の中で反論する。端からはそう見えるが(確かにやることはしているが) 真実そういう関係ではない。……とは言えなかった。
「あれでしょ? 最近の金子さんの不機嫌って土田さんが原因じゃあないんですか?」
「っ……」
 思わず言葉に詰まる。
「え? あたりなんですか?」
 大きな目を丸くする要。
「当てずっぽうで言ったんですけど……」
 頭を掻きながら要の表情は暗くなった。そして、手に視線を感じた。憲実が要の視線を察したと同時に要は訊ねる。
「その手も金子さんの不機嫌が爆発しちゃったからなんですね」
 断言系の言葉に憲実はうんと頷いた。
 そんな憲実の心臓が止まるほどの言葉を要は吐く。

「金子さんが暴力振るうほど、土田さんの手をそんなにするほど金子さん、土田さんのこと想って居るんですねえ」

 俺のことを想う?

 金子が?

 俺を?

 まさか………………とは思えなかった。
 それが自惚れだと思いながらも、あれの優しさだと誤魔化しながらも、そして、本人が言わずに いても薄々わかっていた。
 光伸がどんな言葉を費やしても、鈍い自分でもわかることだ。
 自分たちの関係が見た目とは違う、やっていることと真実が違う。それと同じだ。
 真っ赤に腫れた手の甲を見る。この程度の痛みはどうということもない。だが、今この瞬間鈍く 熱を持った痛みに強く感じた。
 とても歪んでいるな、と思った。
 今まで考えることが出来ても敢えてしなかった。
 それが、互いに最も都合がいいとわかっていたからだ。
 互いにまだうち明けていない心の憶測にあるものから目を逸らすために。だから歪んでいる。
 憲実は腫れた手を強く握る。そして、要を見る。
「金子には……その西洋的なことをしてやる方が正しいのだろうか?」
 その言葉に要は頭を上げ憲実をまじまじと見る。
 そして、ニッコリと笑う。
「まあ、そうじゃないと思いますが、多分……土田さんから何かして欲しかったんじゃないでしょうか?」
「そうなのか?」
 多分、と頷く。
 要は言う。
 贈り物が欲しい訳じゃない。
 祝ってもらいたい訳じゃない。
 ただ、いつも『君』を想っている、という証が見たいだけ。
 日常はあまりにも何もなく過ぎて、何かを続けていてもそれすらいつものことになるから。
「いつものこと……」
 鬱陶しいぐらいじゃれあってくるのもそれはいつものこと。既にそれは形式化しているのだと悟る。
 憲実にとっていつも気恥ずかしいものだが、確かに言われてみれば毎日こなしている日常の一つなのだ。
 きっと、光伸が夜這いをかけてくるのもそれかもしれない。
 また、自分たちの歪んだ関係を保つための行動ともとれる。
「いつもと違うこと……が大事なのか?」
 要は小さく頷く。
 目の前の想い人もきっと抱月と日常と非日常を繰り返しながら彼らなりの関係を築いているのかもしれない。
 憲実たちの今までは『日常』しかなかったのかもしれない。
 だから、光伸は苛立ちを鬱積させ爆発させてしまった。憲実に当たる形で。

 彼らも要と抱月の関係と同じ言葉で表す関係故に。

 本人達は『そう見える』とそれぞれの経緯や考えからそう思いこんでいるが。
 憲実は黙って胸に手を当てる。
 要に手を引かれた時のことを思い出していた。
 確かに憲実は要に失恋した。その疵は確かに憲実に存在していた。今でもその疵は残存して要に会う度疼く。 だが、最初の頃に比べてどうだろう? 痛みは同じか?
 要と会うとき落ち着かなかったあのざわめきはどれほどになったか?
 そして、そうなれた原因は?
「何をすればいいだろうか?

 俺は、金子に、何をすればいいだろう?」

 あそこまで光伸を追いつめた詫びではなく、純粋に光伸に『特別な何か』をしてやりたいと 憲実はこの時強く思った。
 理由は……漠然として全く掴めなかったが。
 そんな憲実を一瞬唖然と見ていた要だったが、大きくそして嬉しそうに頷いた。


「今日父から電報が届いて了承を得た。だから、俺が二十歳までは大人ではない」
「はあ?」
 いきなり人気のないところに呼び出されて何を言い出すのかと光伸は正直混乱していた。
 何でも、憲実は十四の時に古風にも元服をしていて一応大人だということらしい。
 だが、それを取り消して欲しいとわざわざ実家の父親に電報を送りそれが帰ってきた事を ご親切にも光伸に報告してきたのだ。
「それが、俺とどう関係する?」
 彼から自身のことを聴けるのは嬉しい。
 だから……と口ごもる。喋るのが得意ではない彼らしく必死に言葉を探している。そんな憲実を見るのは どんな状況にあっても心ざわめくものだと自分の節操ナシ加減に呆れつつその気持ちに少しだけ身を委ねて 居見る光伸だった。「ちょうどこの時期に成人の儀式をする事が多いと聞いた」
「そうだな」
「それでだ……」
 頭を掻く。
 言葉が見つからないのか、言おうとしている言葉が言いづらいのか微妙なところだ。どちらにしても困り 果てている憲実は可愛いと光伸はついつい思ってしまう。
「金子はその……近いのだろ?」
「何が?」
「その…………二十歳に」
「……まあ、確かに遠くはない。が、それは一つ下のおまえでもわかることだろ。今更何を言い出す?」
「その……だ。少し早いが金子の……成人の祝いをしたいのだが」
「はあ?」
 声が裏返った。
 何を言い出すのだ、と思った瞬間自分の頭の回転の良さに泣きたくなった。
 土田の考えそうなことぐらいすぐにわかる。
 嬉しいやら腹立たしいやら。自然額に手を当てて笑う。笑うしかないじゃないか。
 此奴の律儀加減やらバカさ加減やら呆れる。そして、何よりも愛おしいと思う。
「おまえ本当に莫迦だな」
「……ああ、莫迦だと思う」
 だが、これしかなかった。と、不機嫌そうに呟いた。
 そして、光伸に聞こえるか聞こえないかの声で言い訳じみた理由を語ってくれた。
 誕生日を逃し祝うとしたら一年も先で、その間ずっと不機嫌な光伸を相手にしなければならない、それは非常に困るからなるべく早く光伸を祝ってやれるようなことはないかと要に考えてもらった、と。
(メートヒェン……要に考えてもらったというのは結構癪だが)
 少し眉を上げて聞きながらそれでも口端が笑みで自然上がってしまう。
(……勢い、言ってしまって後悔していたが……いい方向に転がって良かった)
 多少気恥ずかしさやら感情にまかせて怒鳴ってしまった事は不本意だったが結果は思いもよらぬ形で形は違ってしまったが欲しいものを得ることになった。
「で、御祝いは?」
「あ……」
「祝ってくれるんだろ? 俺の成人祝い?」
「ああ……」
 そういって、憲実は姿勢を正した。

「金子光伸、本日この時より汝を成人したと認める。……その、だ。成人……おめでとう」

「……」
 最後は耳まで真っ赤になって言った憲実を目を見開き見ていた光伸だったがやがて吹き出し弾けるように笑い出した。
「か、金子!!」
 俺は真面目に!! と怒鳴るのも気にせず彼は笑い続けた。
「た、確かに祝いだな!!」
「なんだ、その言いぐさは!!」
「いや……何か暮れるかなと思っていたが」
「あ、すまん。ない」
「いや、いいんだ。物が欲しかった訳じゃない」
 気持ちでは既に押さえられない笑いの中で光伸は努めて真面目に話そうとする。
「寧ろ物をもらったらこんなに嬉しいとは思わなかった」
「金子……」
「有難う。……って、笑いながらじゃ心こもってないように見えて悪いが……」
 ぎゃははは!! とこらえられず本格的に笑い出す。
 そんな光伸の姿に憲実は深く息を吐く。
 光伸の機嫌が直ってくれてよかったと思う。そして、言葉だけだったが、光伸の口から嬉しいやら有難うという返事をもらえるとは思わなかったので驚きつつそれが何ともこそばゆく感じた。
「土田ー!! 今日から俺大人でおまえ子供だな!!」
 あはは、と笑う光伸の背中をやれやれとまた憲実は溜息をついた。


 ほんの少しだけ彼らの関係の歪みが修正された瞬間だった。
 そして、二人は無器用者同士彼らなりの方法でその歪みをただして……。

 終り。



金子光伸トトカルチョで、賭けに勝ったのに土金を書いてくださった
優しいふうりえさんvありがとうございました〜!
のりー男前っす!