雨天

シトシトと、静かに雨が降っている。
もう何日も、雨天続きだ。
梅雨であるのだから、当たり前のことではあるが。

金子光伸は、窓から外を眺めている。
特に紫陽花が見えるだとか、そんな事ではない。
ただ単に、雨の降り続いている、つまらない情景を眺めている。
ちなみに同室の男は、珍しく本を読んでいた。
自分の寝台の上で胡座をかいて、その大きな手に文庫本を持っている。
本は勿論、光伸のものだ。
お前もたまには本くらい読めと彼に言われて、真面目に読書にいそしんでいる。
読書中の憲実をちらと眺めてから、また窓の外に目をやると、光伸は突然”思い出した”。

窓の方を向いたままで、光伸は呟く。
「なぁ土田。お前、五月生まれだったよな。」
手元から視線を外して、同輩に顔を向けて、憲実は答えた。
「あぁ。・・・五月九日の生まれだが。」

すると光伸は、その形の良い眉をひそめて、こう呟いた。
「俺はお前の、誕生祝いをしていない。」
「・・・・・・。」
憲実は黙ってしまった。困ると沈黙するのが、彼の癖だ。
相手の言っていることが、分からなかった。
いや、正確に言うと”意味”は理解できたのだが、”意義”が理解できなかった。

己の、誕生祝いをしていない。
確かにその通りだ。していない。光伸の言っていることは、正しい。
唯、今更そんなことを言うからには、奴は祝いを「したかった」ということだ。
何故?

理由が分からなかったが、憲実はその理由を、直接本人に尋ねてみることは、しなかった。
だからまた、沈黙した。
黙って、窓際の椅子に座っている光伸の顔を、眺める。
そのうち聡い彼が、己の疑問を察して、自ら話してくれた。

「何で、誕生日なぞ祝おうとするのだ、とでも言いたげだな。」
「・・・あぁ。」
「西洋では、祝う習慣があるんだぞ。」
「知っている。・・・以前、繁に聞いた。」
「では、お前は何を疑問視している?!」
光伸が声を張り上げてそう問うと、憲実は答えた。

「お前が何故、”俺の”誕生日を祝おうとするのかと・・・。」

あぁもう!!と光伸は頭をグシャグシャと掻いて、椅子から立ち上がった。
そして、憲実が座っている位置の横に腰掛ける。
鈍いとは思っていたが、これほどまでとは。
呆れて光伸は、顔を左右に振った。そして、言い放つ。
「愛する者の記念日を祝いたいと思うのは、感情を持った人間として当然のことだ!」
そこまで言われると、流石の憲実も理解できたので、
「そうか。」
と端的に答えた。いや、答えただけではなかった。

この青年・・・憲実は、ここ数ヶ月のうちに、意外なことに、
相手を喜ばせる手法、というものを身につけている。
それは、本人の知らないところで発揮されているのであるが。
そうかと言った後、薄く微笑んだ。
本当に軽い笑みなのに、その効果は絶大である。
興奮して立ち上がった光伸を、大人しくさせるくらい余裕なほどで。
その笑顔に拍子抜けしてしまった光伸は、まぁ、と意味不明な声を発してから、 元の椅子に腰掛けた。

離れた位置から光伸が、再度言う。
「俺は、お前の誕生日を祝いたかったんだ。
不覚だった、すっかり忘れていた。」
また、「そうか」と憲実は呟く。忘れていた、に対しての返事だろう。
少しの間を空けて、祝おうと思ってくれた、その心遣いに感謝の意を延べた。
勿論、そんな事を言われて光伸が黙っているはずがなく、
頬を少し赤らめて、バタバタと手を振る。
そして照れ隠しに、急いで聞く。
「な、なぁ土田!何か欲しいものは無いかっ!」

贈り物をする習慣くらい、繁から一緒に聞いているはずだから、
相手にも、自分の言いたいことが分かるだろう。
ただ、こいつは物欲というものが薄いし、具体的な物の名前が出てくるのは 難しいか・・・と、光伸は思っていた。
予想通り、
「別に欲しい物など無いが・・・」
という声が聞こえる。
無いが、の後に言葉が続きそうだったので、光伸は先を促した。
寡黙な青年は、希望を述べる。
言葉足らずなせいで、また誤解されそうな「お願い」を。

「金子。・・・少し黙ってくれ。」

それは俺が五月蝿うるさいと言う意味か!?と光伸は叫びたかったが、 「黙る」ことが彼の望みだったので、素直にそれに従った。
しぶしぶ、相手の顔を黙って睨みつける。
憲実も、相手の顔を見ていた。
対照的に、穏やかな目をして。

数分、怒り顔の朋友を眺めてから、種明かしをするように、憲実は呟く。
「お前は・・・綺麗な瞳をしていると思っていたんだ。
しばらく、見ていたかった。」
機会が与えられて、憲実は満足したらしい。
手元にある文庫本に、意識を戻そうとする。
別にその本がすごく読みたい訳ではなく、せっかく借りたのだから読まないと申し訳ない、という 考えがあるに過ぎないのだが。
彼の声を聞いて光伸は、
「ちょ、ちょっと待て土田。」
と、また慌てて言った。

つかつかと歩み寄って、顔を近づけて彼に問う。
「そういう事は、こう、傍でやるのが普通じゃないか!?」
「傍に居ては、お前は静かにしていないだろう。」
相手の性格を読んで、もっともな事を憲実は言ったが、光伸は反論する。
「黙っていろと言われれば、そうする!」

「・・・声は出さなくても、手を出そうとする。」

憲実の言葉に、確かになと納得してしまった。
可愛いリーベの顔が近くにあるんだ、手出ししないでどうする?
やめんかと注意されたら、「お前は声を出すなとは言ったが、 手を出すなとは言っていない」と反論するに決まっている。
そこまで読んで憲実は、あんな遠くから、自分の顔を眺めていたのだ。

瞳が。瞳が綺麗だから、見ていたかったと言って。

光伸は、顔に両手を当てた。今更恥ずかしくなった。
お前の、誕生日祝いだと言っただろうが!
俺を喜ばせてどうする!
笑いが止まらなかった。おかしかった。
真剣に、そのようなことを望む憲実が。


外は、相変わらず雨が降っているが、
こんな時間が続くのなら、当分止まなくてもいいと、青年たちは思っている。

<了>
2006.07.02
無駄に長くなってしまいました。スミマセン。
推敲すりゃあもっと短く簡潔になるんでしょうけど、書きたかったからイイや。
あ〜、バカカップルバカカップル。


back   index