黒いバイオリン弾き

三千院 泉。職業:ヴァイオリニスト。33歳、独身。
恋多き男性として有名で、マスコミ業界を賑わせている。
そんな彼の、12月24日、25日のスケジュールは、意外にも毎年決まっている。
クリスマスコンサートだ。

***

明るい茶色の髪の青年が、新聞を眺めながら、眉間に皺を寄せた。
そして彼は言う。
「僕のコンサートは、S席が12,000円もするのか?」

事務所のソファーに足を組みながら座り、新聞を読んでいるこの男性が、 世界を股にかけたヴァイオリニスト、三千院泉である。
聞かれた、彼の従順なるマネージャーは答えた。
「はい、一番良い席のSが、12,000円、
A席が10,000円、B席が8,000円となっております。」
抑揚のないその言葉に、泉は小さくチッと苛立ちの舌打ちをしてから、
「高いな。」とつぶやいた。
そうでしょうか?とマネージャーは、ぼんやりと答えている。

自分の意図を解さない相手に幻滅しつつ、泉は新聞を置いて、
テーブルをバンと叩いてから、言った。
「2,000円安くしろ。」
突然のその言葉に、マネージャーはえっ!?という声を上げた。
「聞こえなかったのか?チケットの値段を2,000円安くしろと言っている。全席だ。」

マネージャーは何も、この近距離で、彼の言葉が聞き取れなかったわけではない。
泉のわがままは日常茶飯事だったが、今回は、言い出すことが突拍子もなかったからだ。
自分のコンサートチケット代を、安くしろと言っている。
それも、開催時期が迫った、クリスマスコンサートのチケットを。
新聞広告に、残りわずかと書いてあるように、これはこの値段で、売れ行きが好評であるのに。

マネージャーは小声で、言った。
「このお値段でも、泉サンのコンサートチケットは、よく売れておりますよ。
それに、今からチケット代を変更するというのは、物理的に問題が・・・。」

「問題があろうとなかろうと、やれ。
時間がないなら、今すぐ取り掛かれ。」
どこぞの魔王かと思えるような、言動である。
しかしこのヴァイオリニストが、周りのスタッフから完全に嫌われないのには、訳があるのだ。

「僕は、僕のヴァイオリンが好きな人に、演奏を聞いてもらいたいんだ。
この値段じゃ、音楽のおの字も分からないような、バカな金持ち連中が、席を埋め尽くすだけだろう。
だからチケットの値段を、下げろと言っている。
・・・会場の代金やら、スタッフの人件費やらが賄えないだと?
確かに、1万人収容の東邦ドームで、2日間開催のコンサートチケット代を2,000円安くしたら、 単純計算で、4000万の赤字だな。
その分は僕が出す。文句無いな?」

その青年は卓越したヴァイオリンの腕の他に、異常なる黒い優しさを兼ね備えていた。

***

「・・・と、いうわけ。」
「はー、そりゃ〜泉さんも無茶したなぁ。やっと理由が分かったぜ。
どの店行っても、黒ペンで1200010000円って訂正してあるから、 何があったんだろうって。」
「シロウ君、僕のコンサートに興味あったの?
言ってくれれば、チケット用意したのに。」
「いやいやいや、コンサートはいいよ。
俺、バイオリンとビオラの区別すら出来ない素人だから、そんなヤツが行っても、申し訳ないし。」
「そう?いつか僕のヴァイオリン、聞きに来て欲しいんだけどな。
クリスマスとは言わないけど。」
「考えとくよ、じゃあな〜。」

そう言って、青年は電話を切った。
泉とこの青年は友人なのだが、一般的にメールでやりとりすればいいような話題を、 電話で会話して、伝えている。
それは、泉が視力が悪いため、視覚を使うメールというものが、好きでないからだ。

青年は仕事用・プライベート用と2つの携帯電話を持っているのだが、 先ほど泉と喋っていたプライベート用の携帯電話が、また鳴り出した。
発信者名は、彼の恋人。

「はい、俺だけど。」
「あー、私。」
いくら先に出る相手が分かっていると言っても、気の抜けた応対だ。
すでに熟年夫婦の会話に近くなっていることを、本人たちは気付いていない。
電話越しの女性は、青年にこう尋ねた。

「アンタ、バイオリンって興味ある?」
「・・・バイオリンとビオラの区別すら、ツキマセンケド。」
わざと丁寧語を使って、青年はそう答えた。
楽器に興味はないが、お前と一緒なら、何をやるにしても楽しいなどという、 浮かれた台詞は吐けない体質である。

自分と同じく、音楽に関しては相手が素人だという事を知り、彼女はホッした。
そして、本来の用件を告げた。
「24日の東邦ドームのさ、三千院泉のコンサートチケットを、2枚、買ったんだけど・・・。
何か気付いたら、割引になってたのよね。」

それを聞いて青年は、片手に電話を持ちつつ、微笑んだり苦笑いをしたり、
一人で百面相をしてから、答えた。
「おぅ、たまには音楽も、いいかもな。」

聖なる夜に・・・
メリークリスマス♪


「創  作」
サイトTOPへ
2005.12.4 Yosuke Sasaki