青信号

***

ダンダンと扉を叩く音。そしてシルバーの声。
「おいリッテル、いい加減、ふてくされるのは止めて出てきてくれ。
お前が居ないと、仕事にならん。」
それに対し部屋の中の男は、
「ふてくされているわけではありません!
隊長、お願いですから私をしばらく独りにしておいて下さい〜!」
と返す。リッテルは胸に手を当てた。相変わらず、鼓動が速かった。

・・・

どうしてこんな事態に陥っているのかといえば。

数十分前、リッテルはシルバーの部屋を訪れたのだ。
ノックをして、部屋のドアを開けた。
それが、そのノックが半ば形式的なものになっていたのが、いけなかったのだろう。
開けてもいいか、聞くべきだったのだ。
隊長は、部屋で何をしているのか分かったものではないのだから。

結果としては、わわわわとリッテルは慌てながら開けたばかりのドアを閉める
ことになる。
黒髪の憲兵は、着替えをしているところだったから。
着替えと言ってももう終わりにさしかかっていて、下着の上にカッターシャツを羽織って、
そのボタンを留めようとしていたばかりの頃だったのだが。
だから別に、裸を見たわけではない。

ともかく着替えの最中にドアを開けてしまうという失態をおかしたリッテルは
慌てて閉めたドア越しに、真っ赤になりながら告げた。
「し、失礼しました!すみません隊長!」
「リッテル?何故閉めたんだ、入っていいんだぞ?」
そう、彼の上司の憲兵は言う。何故閉めたって・・・理由はあきらかなのに。
私でなくとも、エドワルドやウィルヘルムやクリストファーだって、あの状況に
おかれていたら、ドアを閉めるだろう。まさか「入る」奴も居るまい。
そう、リッテルは思った。

シルバーは中からドアを開けて、ひょっこりと顔を見せてから、不思議そうな表情で
告げた。
「何してるんだ、そんなところで。例の書類を持ってきてく」
シルバーの言葉は途中で途切れる。副官の彼がバッと回れ右をして、後ろを向いたから。
話している最中、そのように顔をそらすのは失礼だ。特に、上司に向かってなど。
だがシルバーはその点には触れずに、続けた。
「リッテル?どうして向こうをむく?」

「たたたたたた隊長!前、閉めてください!!シャツの前、あいてますっ。」

あ?あぁこれか・・・とシルバーはつぶやいてから、しばらく黙ってボタンをかけた。
彼が視線をそらしている理由も分かったので、シルバーはボタンを全部かけ終えてから、
もういいぞリッテル、とつぶやいて、相手をこちらに向かせる。
それにしても、先ほどの彼の慌てぶりといったら、なかった。
年頃の少年でもあるまいし、あんなに恥ずかしがらなくても、とシルバーは思う。
恥ずかしがるべきなのは自身の方だということを、この憲兵は分かっていない。

どうやら正視出来るようになったようなので、リッテルは当初の目的、
シルバーが「例の」と言っている書類を、手渡そうとした。
したのだが・・・・。
シルバーは、ニヤニヤしている。
良からぬことを思いついた時の顔だ。リッテルも付き合いが長いので、
分かっていた。だが、分かっていたからと言って、その危険が回避できる
訳でもないのだが。

シルバーは先ほどシャツのボタンを全部かけてしまったのだが、一般的に
失礼にならない、一番上のボタンだけを外した。
そして意味もなく少し屈んで、上目使いに相手を見る。
第3小隊の隊長と副隊長の身長差は10センチなので、リッテルは普段、
そんなに見上げられているという印象は受けないのだが、こうやって
シルバーが身を屈めれば、話は別だ。
そしてそんな状態であるから、分かること。

「・・・・・!!」

薄い茶色の髪の穏和な青年は、いきなり駆けだして、行ってしまった。
シルバーは頭に手をやって、少しふざけすぎたかなと思う。
首もとのボタンを開けて、彼に見下ろす形を取らせた。
・・・胸元が見えたに、違いない。
さっきのリッテルの反応がオーバーすぎておかしかったので、これならば
どうなるかと思ってやったことなのだが、まさかあんなになるとは。
本当に、思春期に入ったばかりの子供のようだな。
そうシルバーは思って、フフと笑う。副官が居なくては仕事がつとまらないので、
からかいすぎたリッテルに謝罪に行こうかと、ジャケットを羽織って
身なりを整え、部屋を出た。

そしてシルバーは、自室に籠もってしまったリッテルに、廊下から
声をかけている。
「リッテル。からかったのは悪かった、すまないと思っている。
いい加減、機嫌を直して出てきてくれないか。」
鍵のかけられたドアをノックしながら、シルバーはそう言う。
告げられた言葉に、ご丁寧に毎回返答しながらも、彼はドアを開けない。
何故かヘソを曲げてしまった副官に、シルバーは困ったように腕を組んだ。

「・・・副隊長の部屋の前で、何を?」
通りすがりのエドワルドが、隊長にそう声をかける。
リッテルが出てきてくれないんだ、とシルバーが言うと、それが事実なら
理由はそれだけでは無いだろうから、エドワルドは詳しい事情を聞いた。

「はぁ・・・それは隊長、貴方はリッテル先輩を放っておくべきです。」
何故だ?とシルバーは、いつもの聡明さはどこへやら、訳が分からないという
顔をしている。少ししたらそちらに行くよう、自分が誘導しますから!と
エドワルドは言って、シルバーを己の部屋に帰らせた。
しばらくしてから、部屋の中から声がする。
「隊長は、行ったか・・・?」
えぇ、とエドワルドは答え、自分がここにいるのも格好悪いだろうから、
彼も無言で、リッテルの部屋の前を去った。

はぁとリッテルはため息をつき、壁に寄りかかっていたところを、ずるずると
身を降ろして、座り込んだ。
まだ、動悸がする。
リッテルは、自分のそれが、あまり強くないことを知っている。生物学的、
精神学的な考え方をしても、強くない理由はおそらく生まれつきだろう。
しかしだ。
リッテルにだって、色欲は存在するのである。彼は非常な照れ屋なので、異性との
付き合いが少なかったが、好きな相手のそういう姿を見て、興奮しないわけではない。
ものすごくドキドキした。
上目遣いで自分を見つめる彼の人は・・・”狙った”のだろうが、まつげが揺れて、
とても色っぽく見えた。
駄目だ、マズイ。
人払いをしたのは正解だった。本人はもちろん、誰にも会いたくない。
会えたものではない。
リッテルは両足の間を見つめた。
「・・・・。」
無言で、手のひらにある神経を落ち着かせるツボを押したりしてみた。

警鐘が鳴り響いている。線路の前にいるようだ。
己の心臓の音だと気づくのは、数秒後。
目眩がしそうだ。
注意警報。ライトは赤。眩しいくらいに光り騒いでいる。
シグナルが青に変わるのは、いつになるだろう。

<了>

<<<お題創作青トップ
<<<ホーム