給料に関するエトセトラ


憲兵中佐であるウィルヘルム・カールバッハは、ある日、
第3小隊・隊長:ノエル・シルバー中将の「給料」が、不当に安いことを知った。
そして、何とかそれを改善したいと考え、クロード・リッテル少将に、相談を持ちかけた。

***

「・・・困ったことになったな・・・。」
そう、リッテルはつぶやいた。他の3人の男性も、その通りだと首を振った。
そこに現れたシルバーが、自分の副官から話を聞くと、黒い髪の憲兵はクククと笑ってから、こう言うのだ。
「ほぉう、それはめでたいではないか。
いっそのこと、部隊でも率いてみたらどうだ?」

「・・・そういう意地悪をおっしゃらないで下さい。」
リッテルはまた、ため息をついた。


クロード・リッテルは部下から話を聞いて、ある論文を書いた。
最終学歴によって、給与体制が形式的になってしまっている問題点等を 説いたものだ。
彼らは憲兵隊であるから、やれ給料をあげろ、休みをふやせとデモ活動を することは出来ない。
だからリッテルは、冷静に考えてレポートを出す手を考えた。
これは、正しい案だったと言える。
現に、彼の書いたものは上層部まで通達して、来月には該当者に反映されるという話だ。
そこまでは良かったのだ。問題は、その論文提出に対する評価である。

優秀な論文を書いた彼に、1階級昇格の褒美を与えようというのだ。
これには、リッテルも参った。
彼は今現在、少将なのである。彼らの属する第3小隊は奇妙な編成を組んでいるので、 上司と部下の階級差が狭い。
1階級上がったら、隊長のシルバーと並んでしまうのだ。
同じ階級の者を、副官に付けることは出来ない。
「下」で無ければいけないのだ。
何故そのような決まりなのかと聞かれても、常識的に考えても、その方が自然であるし。
普通の小隊なら、隊長が将官でも、副隊長は佐官あたりだから、こんな問題は起きなかったのであるが。

ともかく、少将の階級を持つ副隊長のリッテルが、 ひとりだけ昇進の機会に恵まれて(?)、話を聞かされた部下達は、一緒に悩んでいるわけだ。
途中からやってきたシルバーには、リッテル自身が、
「論文を出したら、昇進だと言われました。」
とだけ、話した。
隊長の事がきっかけとなって・・・という事情を説明すれば、 恩を売っているように思われるからだ。
だからリッテルは、理由は特に延べないで、ただ結果だけを報告している。

ただし、事情を知らないシルバーが、
”隊長の自分と階級が並んだのなら、別部隊でも率いてみるか?”
というタチの悪い冗談を延べたので、リッテルの直属の部下である、エドワルドは言ったのだ。 おせっかいを承知の上で。
「隊長。副隊長は、隊長のような方が・・・」
「エドワルド!」
リッテルは、当然彼のセリフを途中で遮ったが、勿論そこまで聞こえたなら、シルバーは尋ねる。
「私のような者が、何だって?」

しょうがないのでリッテルは、隊長の給料が不当に安いという話を聞いた、 というネタばらしをした。
黙って、シルバーは聞いている。
話さねばならなくなった事に対して、リッテルは、エドワルドを恨んではいない。
元より、この正義感溢れる青年が、先ほどのような状態で、黙っているとは思わなかった。
本当に知られたくないのなら、エドワルド達にも秘密にしておけば良かったのだ。
最初から事情を知るウィルヘルムはともかく。

リッテルが話し終えると、黒い髪の憲兵は意外な行動に出た。
一礼したのだ。謝罪の礼だった。
頭を戻してから、自分の副官の方を向いて、呟く。
「事情は分かった。
私・・・達の為に、お前は尽力してくれたというのに、
くだらない戯れ言を言った。すまない。」
先ほどのような、意地の悪いセリフを吐くことは、少なくない。
しかし、ここでリッテルに詫びなければ、彼自身が部下に示しがつかないと、 シルバーは感じた。だから謝った。
謝られた方は、当然のごとく、わわわわと慌てふためいていたが。
お前は優しいから。とシルバーは思った。
それはリッテルを指した言葉であり、同時にエドワルドをも指していた。


さて、昇進が嫌なら論文を取り下げればいいとも思えるのだが、
論文は論文で、今のような情況に、メスを入れて欲しいとも思っている。
つまり、堂々巡りで、話は何ら進展しない。
しばらく無言で考え込んでいた中、ウィルヘルムがポツリと呟いた。

「すみません。俺・・・余計なこと言いましたね。」

リッテルを苦悩させたのを申し訳なく感じ、黙っていられなかったのだろう。
だがウィルヘルムがそう言った途端、シルバーもリッテルも、エドワルドも、 困った顔をして目を見開いた。
彼の、言いたいことは分かった。
だが、ウィルヘルムのその言葉に対して、どうフォローしたらいいか、分からない。
肯定したにしろ否定したにしろ、失礼な言いぐさになってしまうからだ。
皆が刹那、考えあぐねている間に、見事なタイミングで、合いの手が入った。

今までずっと黙っていたクリストファーが、持っていたバインダーで 軽く親友の頭を叩いてから、こう告げたのだ。
「ウィルヘルム。
火事が起こったからといって、太古の人類が火を発見したことを 悔やむような言い方をするな。
論点は、そこでは無いだろう。
見てみろ、お前のせいで、皆困っておいでだろうが。」

白っぽい髪の中佐の言葉は、普段あまり喋らない分、とても重い。
そして、優しい言葉だとシルバーは思った。
あえて、お前のせいだと茶化すことで、ウィルヘルムの気を楽にしている。
そして、ウィルヘルムの「上司」であるシルバーたちには言いにくい事を、 友人の間柄であるクリストファーなら言えるという事。
それを、先ほどの数秒間で、この中佐は感じ取ってくれた。
その心遣いが、ありがたかった。
無論、騒動の原因を作ってしまったと、謝ってくれたウィルヘルムも、優しい男だと思った。

(私は、本当に恵まれている・・・)

比較したことなど無かった。する気も起きなかったし、そもそも何と比べたらいいのか 不明だ。
しかし多分、いや絶対に、自分は恵まれた環境にある、隊長だと思った。
シルバーは知らず微笑んでから、依然眉間に皺を寄せている部下たちに、こう告げた。
「なかなか、良い案が出ないが。
今日はこれくらいにしよう。明日また考えれば、何か浮かぶかもしれぬ。
返事を出すまで、数日の猶予はあるのだろう?」
えぇはい、というリッテルの声を聞いてから、シルバーは自室に戻った。

***

自分たちだけで悩んでいても、らちがあかないので、部外者の意見を 聞いてみようかと思った。
といっても、シルバーは特に顔が広いわけでもないので、知り合いといえば 限られているのであるが。
(そうだ、良い機会だから、ヤツに電話しよう。)
そう思ってシルバーは、他の管轄の憲兵隊に連絡を入れるために、 統括本部に電話をかけた。

「第6小隊の・・・えぇと、大尉?少佐だったか?」
オペレーターは、シルバーが呼び出す相手の階級を言えないので、いぶかしげに思い、
「どなたをお呼びするのですか。」
と、若干キツイ調子で問う。
結局、思い出せなかったシルバーは、相手が怪訝に思っていることを承知の上で、言った。
「すみません、ヘル・フレデリック・シェリーをお願いいたします。
こちらは第3小隊所属:ノエル・シルバー中将です。」

出ていて不在かと思っていたが、相手は数十秒後に電話口に出た。
「・・・シェリー中佐です。」
「シェリーか、シルバーだ。急に呼び立ててすまない。
本部にいたんだな。」

彼はシルバーの最後の言葉にだけ、答えた。
「お前と違って後方勤務なんでね。出ることは少ない、大抵ここに居る。」
そうか、と小さく言ってから、シルバーは続けた。

「あぁ、この間はシャンパンをどうもありがとう。美味しく頂いた。」
「一気に開けるなよと書いておいたが、守ったんだろうな?」
そう言う彼に、黒髪の憲兵は自信満々で答える。
「言われた通りにしたさ。2日に分けて飲んだぞ。」
「それは分けたとは言わん。」

呆れたような声が、電話ごしに返ってきた。しかし、怒っているのでは無いだろう。 小さな笑い声も聞こえる。
シルバーは思い出したように付け加えた。
「すまん、最初に言うのを忘れていた。久しぶりだな。」
久しぶりに会った同期に、久しぶりと言うのを忘れるとは、つくづくコイツらしいなと、 シェリー中佐は思っていた。
「あぁ、久しぶりだな。」
と、あいづちを打つ。
シルバーは先ほど彼の階級を知らず言えなかったから、その話題を持ち出した。

「そういえばお前は今、中佐なんだな?早いな。」
「・・・かくいうお前は、3年前から中将閣下だろう?何だ、皮肉か?」
そう言われて、シルバーは珍しくシュンとした。声のトーンを落として、言う。
「そのように聞こえたなら、すまない。」
すると相手の青年はゲラゲラ笑って、
「ははは、冗談だよ。からかってみただけだ。
お前が、その手の皮肉を言わないことくらい、分かっているさ。
・・・誉めてくれて、ありがとうな。この間中佐に上がったばかりなんだ。」
と答えた。

「レポートで?」と短く聞くと、「レポートで。」という言葉が返ってきた。
それは別段、シルバーにとって、不思議な事ではなかった。
己も若い頃、「佐官までなら、論文で上がることが出来る。
功績をたてられる職場にないからといって、決して諦めることのないように。」
と、敬愛する上司に教わったから。
だから最初、産婦人科などという奇妙な勤務地にあったシルバーが、現在小隊を任される、 地位にまでなることが出来たのだ。
昔を思い出すのは止めて、シルバーは相手に聞いた。
「お前の知恵を借りたい。
少し、私の話を聞いてくれるか。」
何だと彼は優しく、何事もないように呟いた。

「私の副官の階級は現在少将なのだが、その彼が、
さっきお前が言ったのと同じ理由で、1階級昇格に決まった。」
「へぇ、そりゃめでたいじゃないか。
新しく部隊でも率いらせてみたらどうだ。」
今度は、シルバーが笑った。
「フフ、事情を知らない私と同じことを言う。
もっともな意見だが、彼は私が過去、無理を言って別の所属から引き抜いた男でな。
階級が並んだからといって、軽々しく外に出すことは出来ないんだ。」
ならば論文を取り下げたら?という、またも正論が返ってきたので、 シルバーは薄笑いを浮かべて、話す。
「それが、論文の内容が、処遇改善にかかるものでな。
該当する者たちの為にも、その意見を取り消すわけにはいかないと言っている。」

「難しいな。」と、彼は言った。
だから自分に相談する気持ちになったのだろうとは、予想がつくが。
シルバーは電話ごしに、ペラペラという、小さな紙をめくる音を確認した。
本のページをめくって、何かを探している音だと思った。
数秒後に彼は、こう言った。

「あぁ・・・、あった。お前、俺に相談してきて正解だったぞ?
運良く俺は、こういう事例があることを知っている。」
そして続けて、数秒話した。

その話が終わった後、感謝しろよと中佐は茶化して言ったのに、シルバーはまともに受け止めて、
「ありがとう、恩に着る!本当にすまない、感謝する。
この埋め合わせは、いつか必ず!」
と言いつつ、見えない相手に何度もおじぎをした。
またこの、妙なところだけ真面目な憲兵が、自分の言葉を鵜呑みにしていると思って、 中佐は説明した。
「シルバー。こういう時は、
”あぁ分かったよ。感謝する感謝する”
って軽く流すのが普通なんだぞ?」

そうなのか!?という本気で驚いた声が聞こえたから、思わず中佐は微笑んだ。
ついでに、関係ないことを聞いてみる。
「ところでお前、俺と1歳差だったと思うが、まだだろ?
イイ話は、ないのか?」
流石のシルバーでも、相手が、まだかと尋ねている事柄が分かった。「結婚」だ。
勿論この憲兵には、彼いわくイイ話など全くないのだが、「ない。」と言い切る代わりに、 最近覚えた冗談で、返した。

「シェリー、それは”せくはら”だぞ。」

急に返ってきた変化球に、後方勤務の中佐は、またゲラゲラ笑った。

***

クロード・リッテルの手にはメダルがある。
そして、報奨金の200万TG(テルミネゴールド)の小切手。
軍服の階級章は、少将のままだ。
堅苦しい式典の会場から、走り出してきたかのように急いで、リッテルは戻ってきた。
慌てずとも、副隊長の席は彼のために、今まで通り用意してあるのに。

「ただ今戻りました。」
そう丁寧に告げて、リッテルは軽く礼をして、憲兵隊詰所の控え室に入った。
中には、いつものメンバーが居る。
上司のシルバー、部下のエドワルド、ウィルヘルム、クリストファー。
リッテルは授与されたものを、そのまま両手に持ち歩いていたため、しまおうかと刹那考えたあと、思い直した。
頂きましたと言って、メダルと報奨金を見せる。

”功を立てた人間が、階級を上げずに、一時金としてその報奨を受け取ることが可能だ。 本来、定年の近いじぃさんなんかがやる事なんだが、希望すれば、幾つの奴だって請求できる。
お前のその、たいせつ〜な副官サンに、その話をしてみろよ。”
それが、シェリーから教わった、問題の打開策だった。

金額的な事を言うと、200万TGでは、中将に昇格した場合の利益を考えると、損なのだ。
だが、本人が昇進を望んでいないのだから、リッテルはこれで満足している。
論文も通って処遇改善にもなり、一挙両得である。
「あぶく銭」の使い道を皆に聞かれたのでリッテルは、少し考えた末に、
「新しい蓄音機を買おうかと思います。」
と答えた。
リッテルの趣味はレコード集めだ。音の記憶媒体としては、他にもっと良いものがあると 分かっているが、「古き良き音楽」を楽しむのに、レコードを用いてしまう。
当然、それ用のプレイヤーは骨董品扱いで存在し、多少値もはる。
それを買う予定だと、リッテルは言っている。
ここで変に遠慮すると、逆に周りの人間が恐縮すると分かっていたから。
だから彼は、買う物を告げておいた。

リッテルは、嬉しかった。
それは勿論、報奨金やメダルが手に入ったことでは無くて。
シルバーが”解決策”を告げた際に、発案者の口調を真似ていたことが。
モノマネ自体が似ているかどうかは、シェリー中佐を知らないリッテルに判断は出来ない。 ただ、隊長が口にしたことが、嬉しくて。

たいせつ。
己が大切だと、シルバーが言ってくれたから。

<了>

「創  作」