もしも願いが叶うなら
***
「何が欲しいですか?」
と聞かれたのに、シルバーはしばらく返事をしなかった。
「・・・隊長?」
怪訝そうにそう言う部下の顔を発見して、やっとシルバーは、
「ん?あ、あぁすまない、私に言っていたのか。」
とつぶやき、何だ?と尋ねる。
「だから、クリスマスプレゼントは何が欲しいですか、と聞いて
おります。」
無視されて、質問していた方・・・エドワルド・ストーンズ大佐は、
ちょっとすねている。子供のように、頬を膨らます仕草をした。
その様子に薄く笑ってから、黒い長い髪の憲兵は、答えた。
「フフ、この私が欲しいものを聞かれて、酒以外の回答をするわけないだろうが?
そうだな、クリスマスならシャンパンか、白ワインが良い。」
そこまで言ってからシルバーは、矛盾したようにこうつぶやくのだ。
「あぁ、もうすぐクリスマスなんだな・・・。」
***
12のつきになったら、まどがらすのちかくに、おさらをおいておくの。
いいこには、よなか、ようせいさんが、ぷれぜんとをくれるのよ。
それがここテルミネに伝わる、クリスマスの逸話だ。
あとは、そんな妖精がプレゼントを与える対象から外れてしまった大人たちが、
それぞれ、親しい友人や恋人などに、思い思いの贈り物をする。
元は宗教掛かった行事だったのだろうが、今はその印象は、薄い。
クリスマスは年の瀬の、老若男女が楽しみにする「お祭り」になっていた。
シルバーは、勤務表を眺めている。
少し前にこの、重要かつ面倒くさい処理・・・出勤体制のリスト化を、第三小隊外の
庶務係に委託することにした。だからシルバーは現在、誰を何日に何処に配備するか
頭を悩ませなくても良い。
だがシルバーには、気になることがあったのだ。
それは珍しく、己の休暇の予定であって。
「・・・何をお考えですか?」
難しい顔をして見ていたからだろう、リッテルがそう声をかけてきた。
優しい副官に小さく微笑んでから、シルバーは、素直に答えを言ってしまうのだ。
「こどもにプレゼントをくれる妖精が、私にも、望みのものをくれたらいいのにな、と
思ったんだ。」
私は、幼い頃にも何も貰ってはいないのだし。とシルバーは冗談めかして続ける。
何か欲しいものが?とリッテルが聞き返すと、黒髪の憲兵は答えた。
「この忙しい時期に、貰えるはずは無いんだがな。
もしも願いが叶うのならば、一度25日を、まる1日休んでみたい。」
セイナルヨルニハ キセキガオコルト イウ
ソレナラバ イチド イッテミタイ バショガ アッテ
クリスマスに休暇が欲しいというシルバーの、本心を知ることが、リッテルには
出来なかった。
そのときには。
・・・
24日。
寒い日で、外には雪が降っていた。リッテルは、窓から外を眺めて考える。
思ったより、平和だな。と彼は思った。
12月は何かと犯罪が多く、それに比例して憲兵達も忙しい。
だが聖夜を控えたこの日に、街は嬉しいことに平和であって。
(これならば、大丈夫かもしれない)
リッテルはそう、心の中でつぶやく。
彼は今、出来るならば自分の上司に、明日休暇を与えたいと思っていた。
与えたいも何も、そういった事は長(おさ)であるシルバーに権限があるのだが。
彼の人は、わがままは言わない人だから。
私用で休暇が欲しいとは、(他隊員がごく一般的に希望することなのに)決して言わない。
だからこそリッテルは、シルバーを明日、非番にさせてあげたいのだ。
怒られるのを承知で、休暇願を代筆してしまおうかとまで思っている。
シルバーが、やけに遠い目をして、外を見ていることが多いから。
その視線の向こうに何が見えているのか、リッテルは薄々感づいていた。
隊長のそれと同じような目をした人々を、リッテルは昔、実家である病院で
見かけたことがある。
あれは、もうこの世には居ない人を、思っている人間の目だ。
病院というのは、どんなに医学が発達しても、名医が居ても、人が死ぬ場所である。
同じく、憲兵や軍人は、志半ばにして、その命を落とす者が多い職業だ。
・・・あの人は、知っているだろうか。
我が弟が、12月生まれだったことを。
おそらくご存じなのだろう、とリッテルは思った。
黒い髪の憲兵は、その瞳に亡き友人の姿を映している。
うわのそらで、仕事に支障をきたすという訳ではない。
そうではないが、リッテルはそんな目をするのを、止めさせたかった。
一日の休暇で、それが叶うなら。
元の「貴方」に、戻ってくれるのなら。
「隊長。」
そう言いかけて、無情にも緊急事態を知らせる呼び出しのベルが鳴る。
明日までに解決できるものであれば、とリッテルは願ったが、そうもいかなかった。
・・・
25日、昼。
一般的にはクリスマスの祝日だが、憲兵隊はもちろん日常勤務だ。
運良く、この日が休みに当たった隊員もいたが。
シルバーとリッテルは昨日の夜から始まった籠城騒ぎの後始末をしているところ。
といっても書類書きだから、場所は憲兵隊詰所で行われている。
「・・・・・・。」
薄い茶色の髪の、長身の青年は時計を見上げて、小さくため息をついた。
もう、午後になってしまっている。
やけに時間を気にしていそうな青年に、シルバーは声をかけた。
「リッテル?どうした?何か約束でもあるのか?」
そう言われて彼は慌てて「え、あ、いえ、何でもありません!」と答えたが、
シルバーはニヤリと笑って、
「分かった。デートだな?」
と茶化して、言う。そんな上司の様子にリッテルは、ハハと軽く笑ってから、
「隊長、それは”せくはら”ですよ。」
と答えた。
最近”せくはら”という外来語が憲兵の中に流行っていて、デートやら恋人の有無やら
言われた際には、”せくはらですよ!”と言うのが、半ば決まり事になっている。
リッテルは単語の意味自体を知っていたのだが、実際にはデートの約束でなくとも、
つっこんで欲しくない話題だったので、そう言って、ていよくそれ以後の言葉を封じた。
せくはらだと叫ぶ副官にシルバーも少し笑って、彼に告げた。
「フフ、それはすまなかった。
・・・少し疲れた。休憩にしないかリッテル。」
息抜きの為に2人分のコーヒーを淹れる隊長。
そんなことよりも、行きたい場所があったのでしょうと、リッテルは声に出して
聞きたい気持ちだった。
・・・
26日。
クリスマス祝日の2日めである。皮肉なことに忙しくて、リッテルは
シルバーの視線まで、気にしている暇はなかった。
それにシルバーとて、ふとした合間以外には、気の抜けた表情を見せない人物だったから。
時間は、刻一刻と過ぎていく。
リッテルは特に信仰心を持っていなかったが、この時は神を呪った。
(何故あなたは、ひとりの人間の希望も叶えてくれないのです。)
冗談めかしてシルバー自身が告げたように、幼い頃から何も望まなかったのに。
与えられていないのに。
良い子には、プレゼントをくれるのでしょう?
妖精でも神でも何でもいい。とにかく、この限られた日に。
アナタハ ドコヘ イキタイノデスカ
勤務日程を決めた庶務係の責任ではないだろう。
こんな時期まで、つめて働かなくてはならない理由は、しいて言うならば、
第三小隊の担当地域の、治安が悪すぎることくらいだ。
だから隊長は、クリスマスを非番日に当てられない。
納得出来るようで、出来ない事由だった。
「遠いのですか。」
2人きりになった時、リッテルは尋ねてみた。
おそらくシルバーは、何処かに行こうとしていると思ったから。
まる一日休みが必要なのは、離れた場所であるからだろう。
その場所は遠いのかと、リッテルは突然尋ねた。
目を見開いて、驚きの表情で副官の顔を見つめ、
シルバーは、ぽつりと言った。
「あぁ、割と距離がある。・・・だがなリッテル、例えこれから行こうと
思っても、無理な話さ。
クリスマスで道路は渋滞していて、車は進まないだろう。」
しようのないことだ、と黒髪の憲兵は言って、寂しげにうつむく。
その顔を眺めて、リッテルも思わず顔を曇らせてしまった。
行きたかったのだ。
本当に行きたかったのだろう、その場所に。
叶わないと分かっていても、見ていた夢だったのだ。
確かにクリスマスの渋滞は、ひどいものだ。そんなこと、交通課の警察官で
なくとも、十分知っている。
リッテルはぎゅうと両の拳を握り締めて、そして、つぶやいた。
「バイク・・・・。」
思わずシルバーは聞き返す。
彼が”バイク”と言った気がした。
二輪車がどうしたのかと尋ねる前に、リッテルは胸のポケットから鍵を取りだした。
「隊長、これは軍医に支給されている、エアバイクの鍵です。
ご存知だと思いますが、エアバイクは歩道を走ってよい規則になっています。」
「それは”緊急時”の話だろう?」
真面目にシルバーが返すと、リッテルは薄く笑った。
「今が緊急時でなくて、何なのですか。」
鍵を相手に差し出して、リッテルは一歩下がる。バイクの止めてあるのはあちらです、
と言って指差す。
鍵を持ち唖然としているシルバーに向かって、薄茶色の髪の青年は告げた。
「行ってください、隊長。」
「だが・・・!」
「行ってください。」
「リッテル、お前・・・。」
それ以上の反論を許さないかのごとく、リッテルは大声で言った。
「Fahren Sie!」
行け!などと乱暴な言葉を使い、副官は隊長を送り出した。
リッテルは思わず空を見上げる。
己の瞳から、涙が零れ落ちるかと思った。
去っていくシルバーが思わず漏らした一言が、重くて。
”世話焼きめ。そういうところが、弟のアレスとそっくりで、嫌になる・・・。”
・・・
時刻はもう遅く、車のライトとクリスマスのイルミネーションだけが、やけに眩しい。
シルバーは、借りたバイクで渋滞している車の間をぬって、目的地に向かった。
××シティ南、第2××地区、東××、3−A。
行ったことは無いが、所在地の名前だけははっきり覚えている。
今を遡ること11年前、軍戦闘機の発着場だったここで大きな爆発事故があり、
若い命が、多数奪われた。
それを紙切れ一枚で知らされた、副官の男の顔を、よく覚えている。
今その場所は使用されておらず、閉鎖中のはずだ。
フェンス越しにでも、見えるだろうか。
友が、夢半ばにして散った、場所が。
クリスマス。
幼年学校最上級生だった年の12月、アレスが自分にこう言った。
「聞いてよノエル!君の名前はね、古語で”幸福”以外にも、意味があったんだよ。
なんと、西の言葉でクリスマス、聖夜を表すらしいんだ。
すごいだろう?なんて素敵な名前なんだろう!」
我がことのように喜んでくれたアレスの様子が、印象的だった。
そうなのか?とシルバー自身は、あまり感動を示さなかった。
嬉しさがよく分からなかった。
ただアレスが、ノエルという自分の名前を、とても気に入ってくれていたので、
優しげに何度も呼んでくれるので、
黒髪の子供はただ、笑った。
着いた。
バイクを一旦脇に止めて、シルバーはその場所に近づいた。
予想通り、中に入れないよう、高い垣根が出来ている。
これでは中の様子もうかがえないなと思っていた時分、シルバーは、己以外の人が
いることに気がついた。
70歳くらいの老女だった。
手には花束を持っている。いや、花のリースと言うべきか。
彼女の方が、シルバーに声をかけてきた。
「おや軍人さん、貴方も昔ここであった・・・・の、見舞いに?」
事故と言わないのは、その過去が辛いからか。服装から軍人だと判断されたシルバーは、
素直に「えぇ」と返事をした。
「同じ年の友人が死にました。20歳でした。」
「まぁ、それはそれは・・・・。あたしはね、ここで息子が散ったんですよ。
まだ、31歳でした。」
31といえば、今のシルバーと同じ年である。もちろん、生涯を終えるには早すぎる年齢だ。
非常口のような小さな鍵つきの扉の前に立つ老女は、その足元にリースを置いた。
「クリスマスですからねぇ。神様が奇跡を起こして、息子に会わせてくれないかと
思ってるんですけどね。
・・・ここに置いておくと、しばらくしてから守衛さんが片付けてくれますよ。
貴方もプレゼントを置くのでしたら、どうぞ。」
そう言われたが、シルバーはその場所に捧げるものなど、持ってきていない。
しまったと舌打ちをするのもつかの間、海辺の方から閃光が上がった。
花火だった。
「花火・・・・あぁ、あの頃を思い出しますねぇ。」
老女はそのように言った。彼女は現場を見たのだろうか、とシルバーは思う。
ここでは大きな爆発事故があって、
保管していた火薬にも引火して、大惨事に。
その時は本当に大きな閃光があがったに違いない。
クリスマスを祝う花火。
もう少し日が立てば、年の変わり目に、新年を祝う花火も上がるだろう。
その花火を。
これからの花火も、この女性は、ずっとそんな思いを抱いて見続けるのかと。
そう思うとシルバーは、むしょうに悲しくなった。
こんなところに来ても、どうしようもないのに。
ただ自分以外にも、その過去を悲しむ人間が居ることが分かっただけで、
何も得られないのに、何故ここへ来たのだろうか?
己もこの老女と同じく、どこかで内心、祈っていたのかもしれない。
クリスマスに神様が、奇跡を起こして
若くして散った友に、もう一度会わせてくれるのではないかと。
信仰心も無いのに、それは無理な話だと、シルバーは自嘲した。
しばらく何も考えずに、空に上がった花火を眺めていた。
人工的に作られた明かりのせいで、星も見えなかった。
・・・
「ただいま。」
誰もいない憲兵隊詰所の部屋に、ひとりごとを言ってシルバーは、
長テーブルの上に、バイクの鍵を置いた。
意味のなかった遠出のように思えるが、ひとつだけ得たものがある。
それは「何も無い、ことが分かった」という点だ。
自分はあの場所に、夢を見ていた。
距離的に遠くて、今までずっと確認しにいけなかったから、
少しの希望を持っていたのだ。
もしかして、事故の情報は間違いで。
今でも盛んな発着場として利用されていて。
そしてそこには彼がいて・・・・・そんなことを思っていた。
だが、実際に自分の目で確かめてみて、分かったのだ。
あそこには何も無いのだ、と。
大惨事が起こったのは本当で、あの場所は廃墟で。
友は、いないのだと。
やはり彼に会うには、集合墓地のあの石の前に行くしかないのだと、理解した。
一度鍵を置きはしたが、シルバーは思い直した。
これは、リッテルの大切なものだ。
いくら何でもここに置きっ放しはまずいかと考え、シルバーは直接返そうと、
一旦自分の部屋へ戻った。
シルバーは自分の部屋で、事務机に小さな箱がひとつ置いてあることに気がつく。
開けてみると中身はオルゴールで、かわいらしい金属音が鳴り出した。
箱がおもしをするように、白い紙が一枚添えられている。
生真面目な、自分の副官の字だった。
Frohe Weihnachten!.....Noel,
クリスマスおめでとう、ノエルと、そこには書かれていた。
ノエル、と。
それは普段彼が、絶対に使わない自分の呼び名だ。
だからこそ、使ったのだろう。今夜だけ。今夜だから。
弟のふりをして。
最後の,(カンマ)が、何か続きを書こうとしてやめたのだと分かり、
その様子が容易く想像できたので、シルバーは少し笑った。
もしも願いが叶うなら
大きなことは望まない
ただこの私を思ってくれる
優しい仲間を失いたくない
もしも願いが叶うなら
大切なものを守りきれる
強さをください
END
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