愛しい人の名前
漆黒の闇の中にある気配を感じて、水の守護聖リュミエールは、寝台の上にその上半身を跳ねるように起こした。
「……オス…カー……?」
何故かリュミエールの口を突いて出た名前は、彼が最も『不得手』とする炎の守護聖の名前。
「……いったい、彼に……何が……?」
リュミエールは胸騒ぎに居ても立ってもいられず、そのまま寝台から滑り降りると、急いで執務服に着替え、まだ少しも白むことのない夜空の下、宮殿へと馬車を走らせた。
「リュミエール!そなた、何故ここに?」
宮殿の玄関の前に立ち尽くすリュミエールを見て、やや遅れて駈け付けた光の守護聖ジュリアスは驚きの声をあげる。
「ジュリアスさま……。」
「……いや、程なく皆も駈け付けるであろうな……炎のサクリアの変調は、守護聖であれば誰にでも感じられるはずのこと。……そなたは対のサクリアを持つ水の守護聖、誰よりもそれを敏感に感じ取ったのに相違ない。」
炎のサクリアの変調……。
そうだ、そのせいだ、この胸騒ぎは。
リュミエールは無意識に両拳をぐっと握り締めていたのに気がついてはいない。
辺境の惑星に出張中であったオスカーが主星に戻ってきたのはそれから1時間あまり後、聖地の空が漸く白んできた時分だった。
何はともあれ、オスカーは自力で帰ってきた。サクリアの変調を知った女王が、シャトルで帰るべきところを時空の扉を開いたお陰で何とか帰ることが出来た、という状況であった。
「オスカー!」
時空の扉の前にはジュリアスとルヴァ、オリヴィエとリュミエール、そしてディアがいた。彼らは思わず口々にその名を呼ぶと、オスカーは壁に手をついてかろうじて立っている状態でありながら、苦しそうな息の下で気障な微笑を浮かべる。
「……ああ、お出迎え…ご苦労さま……ん?なんだ、リュミエール…まで居るのか……、珍しいな…ッ…は…ぁ、ジュリアス…さま、申し訳ありません、どうも……任務は…何とか果たしはした…のですが……こんな…体たらく……あッ!!」
思わずオスカーに駆け寄ってその体を支えようとしたジュリアスが彼に触れたとたん、オスカーは体を大きくビクリと震わせて苦しげに呻き、倒れ掛かったのだった。
「…どうした、どこか痛むのかっ……?」
そういいながらジュリアスがオスカーの体を抱きとめる。
「い、いえ……あ、…あぁっ……は……ッ、う……っ…」
オスカーの体が跳ねるように震える。
「オスカー、どうしたのだッ?!オスカーッ!」
搾り出すような呻き声とともにオスカーはジュリアスの腕の中に崩れ落ちた。
オスカーが目覚めると、そこには水の守護聖の姿があった。
「……リュミ…エール、か……」
「気分はどうですか?オスカー。」
「……最悪、かな?」
オスカーの顔は笑ってはいるが、その青ざめた顔色と、ぐっしょりと汗でぬれた肌、そして何よりその不安定極まりないサクリアが彼の不調を雄弁に物語っている。
「……いったい、何があったのですか?」
リュミエールはついに意を決して尋ねた。
「………あ、あの…いえ、お話したくなければそれでもよろしいのですけれど…」
オスカーの体は、いまだに小刻みに震えている。本当に苦しそうだ。だが一見したところ外傷はないし、誰もが彼の不調の原因を測りかねていた。
毒でも盛られたのではないか、とルヴァは言った。命に別状がなければいいんだけどね、とオリヴィエは言う。
ディアのはからいで、オスカーは宮殿の客用寝室をあてがわれた。ジュリアスの提案でもある。少しでも女王の近くにいれば、最悪の事態だけは免れるような気がする、と。
「………いや……何も…ない…」
オスカーはそう言って、苦しそうな息をひとつ吐く。
どう見ても嘘である。リュミエールはやはり自分などには話したくはないのだろう、と思い、哀しそうにため息をつく。
「…ジュリアスさまを……お呼びしましょうね…」
そう言って、リュミエールは立ちあがりかける。だがその時、オスカーの顔色が更に蒼褪めた。
「い、いや……、だめだ、ジュリアスさまは……呼ぶな!」
「……オスカー?」
「いま……あの方に…お会いしたら……」
「オスカー?」
リュミエールは思わずオスカーの頬に触れた。そして思わず覆い被さる形になり、長い髪の先が首筋にかかる。と、オスカーの体が跳ねた。
「はぁ……ッ…!」
「オスカーっ!…どうしました、オスカー?!」
「……あ、ああ……はっ…やっ……やぁ……ッ」
「オスカー!」
「もッ……もう…あっ…あ…ふっ…く…っ…」
オスカーは体を海老のように丸め、寝台の上で、がくがくと震えた。そして思わず上掛けが寝台から落ちる。その時リュミエールの目に移ったのは……。
「オスカー、血が……っ!?」
オスカーは堅苦しい衣装を脱がされ、下着の上から薄い肌襦袢のような夜着を着せられていたが、その、腰のあたりとシーツに、小さな赤いしみが広がっている。
「オスカー……これは…」
だがオスカーは答えない。答えることができるような状態ではなかった。
「……い…いや……だ…、や、やめ…ふッ…ふぅ…んん……」
いつのまにかオスカーは、その両手を腰のほうに伸ばしかけていた。しかしその手は何かに逆らうようにひどく強張っている。
「いったい……何が…?」
そしてその手がついに彼の腰の下、足の付け根のあたりに伸びようとしたとき、リュミエールは理解した。オスカーは、自らの体躯を慰めようとしていることを、そして、同時に彼の理性が必死にそれに抵抗していることも。
「オスカー、だめです、オスカー!」
リュミエールはオスカーのその手を掴む。オスカーは全身でそれを振りほどこうと暴れ、そして叫ぶ。
「……助け……て、た……すけ…て…あ、ああ…ッ、リュミ……っ…」
オスカーの夜着の赤いしみは更に広がっている。
(これは……まさか、そんな……恐ろしい……)
オスカーは何者かに陵辱されたのだ。
しかも何か、麻薬のような効果を伴う催淫剤のようなものを使われたに違いない。確かにオスカーのような屈強な大男を支配するためには、そういうものを使って体の自由を奪うしかないだろう。
リュミエールは全身の力を込めてオスカーを押さえつけると、その唇にくちづけた。
「ふ……んんん……くふ……」
オスカーの抵抗が少し弱まる。リュミエールはそれに気づいて更に強くくちづける。
「……ん……んん……っ、は……い…ぃ…ィ…」
オスカーはほとんど抵抗を止めた。全身の震えも止まり、ただ、リュミエールの唇とその口腔を貪るのに必死のようだ。
リュミエールの頭の中はぐるぐると回っていた。
思わずオスカーを助けるために何をしようかと考えた結果がこの口付けであった。確かに効果はあったのだが、もうこのままやめることは出来ない、と感じた。
(けれど……いったい……どのようにやればいいのか……)
リュミエールはしかし、本当はどうすればいいのか知っているのだ。
……オスカーを、どうすれば楽にしてやることができるのかを……。
ずっと、この正反対の属性を持つ赤い髪の青年に惹かれていたことを、リュミエールは今初めて、そして非常に強く自覚していた。
惹かれていたことを意識したくないがために避けていたことも。
(オスカー……)
リュミエールは片手でオスカーの背中を支え、もう片手で、オスカーのその傷ついた場所にそっと触れた。オスカーは微かに身じろいだが、特に辛そうな風もなく、半分意識を飛ばしたようなその濡れた硝子のような瞳でリュミエールを見た。
「……い……ィ、リュミ…エール…、は……ぁ…ぁ…」
リュミエールは、その手でオスカーの傷ついた場所をそっと庇うように覆い、オスカーを寝台に横たえた。そしてもう片方の手をオスカーの股間に伸ばす。
「はぁ、……く…ふッ……」
オスカーのそこは、酷く張り詰めて、あきらかに解放を求め、震えている。
「可哀想に、オスカー……わたくしが…楽にして差し上げます。」
そう言うと、リュミエールはその長い指でオスカー自身を柔らかく包み、そっと刺激を与え始めた。その先端から滴る露で、リュミエールの指が濡れそぼる。
「は……あ、あ、……い、いい……っ…」
オスカーは、無意識のうちに腰を揺らし、切なげな声を上げ続けた。
「オスカー……オスカー…ああ…」
リュミエールはそんなオスカーの顔をうっとりと夢見るように見つめながら、更に刺激を与え続け、ついにオスカーのその張り詰めたものを解き放った。
「ああ……ッ!……ひ、う…ん……は……ぁ…」
オスカーはやっと許された解放に、とても嬉しそうな微笑を見せ、そのままリュミエールの腕の中でゆっくりと眠りについた。
「……オスカー……」
リュミエールは安らかな寝息を立てるオスカーを愛おしむように抱きしめ、優しくその頬や唇にくちづけた。
オスカーが再び目覚めたとき、そこにリュミエールの姿はなかった。
「……リュミエールは……」
「うむ、あの者は先ほどまでそなたを看ていたな。小一時間ほど前に私と交代したばかりだ。どうだ、オスカー。落ちついたようだな。」
「は、はい、おかげさまで。ご心配おかけしました。」
「何があったのかは、そなたが落ちついて話せるようになってから訊くことにしよう。とにかく体力を回復させることに専念することだな。とりあえず任務のほうは無事済んだようだし、残務のほうには王立研究院と派遣軍を行かせる故、心配せずともよい。ゆっくり休め。」
「はい、お世話を掛けます、ジュリアスさま。」
その時、オスカーは傷ついた場所が手当てされていることに気づいた。
「あ、あの……」
「どうした?」
「……手当ては……誰が…?」
「……手当て……とは…怪我をしたのか?」
「えっ……あ、いや……その……大丈夫です、かすり傷が少し…。ああ、リュミエールがきっと薬でも塗っておいてくれたのでしょう。」
「そうか?本当に大丈夫なのだな?……なら良いのだが、本当に無理はせずとも良いぞ。休養に専念してくれ。良いな?」
ジュリアスは何度もそう念を押すと、オスカーのいる部屋をあとにした。
ひとり部屋に残ったオスカーは小さくため息をつくと、あらためて記憶を辿る。
それが派遣先の星で自分一人の身に起きた禍禍しい事件まで辿りつくと、オスカーは思わず身震いをした。彼らから逃れるために、ついにサクリアを私用してしまったこと、彼らの命までは奪ってはいないものの、加減がうまく行かず、力のバランスを崩してしまったこと。きっとジュリアスたちも薄々は気がついているのだろうが、まさかオスカーがあれほどの目にあっているとは知るまい。
「だが……リュミエールにはきっと気づかれてしまったな……ふふ…」
オスカーは体から薬が抜けて、ずっと楽になっていることに気づいていた。そしてそのための行為をリュミエールがしたことも、はっきり覚えていた。
「……リュミエールで……良かった…。」
オスカーはほうっとため息をつく。
リュミエールの行為はあくまでも優しく、オスカーを包み込むように行われた。それを思うと、オスカーの心と体が少し、熱くなる。
「リュミエール……」
オスカーはそっと、愛しい人の名を呼んだ。
次に逢う時を、心待ちにしながら……。
END