突然,仔猫は胸から飛び出していった. 迷子になるなよ,そう声をかけようとして足が止まる. 丘はすっかり春に包まれていて, 謳歌する緑と風が静かに彼女を見守っているかのよう.
明るく長い髪,ちょっと着古したデニムのジャンパー. 明日は,お菓子が空から降ってくるとでもいうのだろうか. 突然重く感じる足を進めて,僕はゆっくりと彼女のもとへと歩く. 無くしてしまった時間を,すこしづつ取り戻していくように.
僕はまた代償を払うのだろう.
騒ぐ彼女を苛だたしく思い,
つまらない悪戯の被害者になり,
わがままにつき合わされて辟易して.
おかしいな.それはとても,とても楽しいことに思えて.
たとえどんな代償でも,微笑む瞳がそこにあるのなら.
仔猫は久しぶりに会う相棒に嬉しそうだった.早速傍らに場所を見つけると, 体を華奢な腕に預けて,満足げに一緒に昼寝を始める. 手にはあの日空に舞ったはずのヴェールが握られている.全く,奇跡と言う奴は.
大体,あの日の祝詞を覚えているのかい.見守ってくれた雪だるまはもういないけど, この丘はきっと忘れないでいてくれるだろう.僕は,今度こそ.
彼女の側に膝をつき,少し暖かい顔にそっと触れる. 眠りから目覚めれば,僕達はまた旅に出る. ありふれた日常,ささやかな幸福.そんなものを分かちあいながら. お願いです.今度は,長い,長い旅になりますように.
「さあ,もう帰ろう」そう言ったつもりだけどうまく声にならなくて. 涙が穏やかな寝顔の頬に落ちると, 彼女は懐かしい口癖を小さく呟き, 僅かに身じろぎをして,
鈴が鳴った.