「Sukhoi P-4」

 今回は旧ソ連の爆撃機計画案からスホーイP-4を描いてみました。付け合せは小走りセレ。最近セレが続いておりますが、まあ比較的描き易いキャラなので(笑)。ちなにみ一番描き難いのはフェニです。
 スホーイP-4は、すらりとした機首に翼面積の大きなデルタ翼、機首のカナード、そしてポット式のエンジンが格好良い。円谷特撮に出てきそうな形状に一目ぼれして描きました。この時期の計画には、スホーイI-2とか、ツポレフ135/137とか、素晴らしく格好良い飛行機がたくさんあるので、こいつらもいつか描いてやりたいです。
 なおこのイラストは、内藤魅亜さんが運営しております、「Eccentri-City」との相互リンク記念にお送りしたものです。


スホーイ P-4

スホーイP-4は、アメリカのノースアメリカンXB-70と同時期に計画された、プロジェクト100という計画案の一つです。このプロジェクト100というのは、100トンの搭載量、マッハ3の最大速度(巡航速度はマッハ2.8)、6000kmの航続距離という爆撃機の計画案で、スホーイはT-4、I-2、K-2といった34の主要設計案を作成していました(細分すると、300 を超えたそうです)。
そのうちの一つがP-4で、1964年4月に予備設計が完了した試案となります。カナードにデルタ翼というレイアウト、そしてエンジンには、ツマンスキーR15BF-300(MiG-25のエンジンと同一)を2基一組で2組、計4基装備する計画でした。
結局これらの試案からは、T-4案(P-4との外見上の大きな違いは、エンジン位置が翼下から胴体下部に移ったこと)が選択され、1972年8月22日に初飛行を行うまで開発が進みます。
しかしMiG-23(フロッガー)に代表される戦術爆撃機に空軍の注目が移動したこと、またツポレフTu-22M(バックファイア)が運用を開始したこと、これらの要因により、1974年に計画はキャンセルされてしまいます。


参考文献

MIDLAND.INC刊 Tony-Buttler Yefim-Gordon共著 「SOVIET SECRET PROJECTS BOMBERS SINCE 1945」

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