「展示飛行」


「我々は素直に感嘆した。1944年、我が祖国・アメリカによる本土空襲開始直前に講話を申し込んできたこの国が、短期間のうちにこれほどの復興を見せていたのだ。巨大なオリンピック・スタジアム、そして頭上を飛行する戦闘機。
この事実は、先ほどの青く塗られた戦闘機同様、『青い衝撃』となって我々の精神を駆け抜けていったのである。」
H・J・スミス(ニューヨークタイムス記者)の手記より抜粋

1952年の東京オリンピックは、「東洋の奇跡」とまで言われた日本戦後復興の集大成であった。この時展示飛行を行った海軍航空隊の教導航空隊・第一中隊は、これ以降、ニューヨークタイムスのコラムで紹介された「Blue Impulse」の名称で親しまれることとなる。(フィクション)



 九州一八試局地戦戦闘機「震電」は、前翼・推進式プロペラが最大の特徴の戦闘機です。全長9.76m全幅11.114mのコンパクトな機体に、三菱「ハ四三」2000馬力発動機を載せ、最高時速750m/h(計算値)の高速性能を誇る機体になる予定でした。しかし1号機の完成が1945年6月であり、わずか3回の慣らし飛行しかできず、その能力を発揮する事はありませんでした。仮に量産がなっていれば、機首に集中配備された30mm機関砲×4門の重火力で、対爆撃機戦闘に大きな戦果をあげたのではないでしょうか。
 絵はその震電にブルーインパルスカラーをまとわせてみた物です。いまいちスモークが格好悪いですね(笑)。

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