「ソロモンの落日」


1943年2月、ガダルカナル島は米軍に完全制圧された。
それに伴い、ここブーケンビルへの米軍の攻撃も激しくなっていった。
度重なる空襲。疲労。マラリア。
ここで多くの搭乗員が、戦闘で、爆撃で、戦病で死んでいった。
そして同年10月、ついにブーケンビルの海軍航空隊は壊滅したのである。
これより、長く虚しい、敗戦までの道のりが始まる。



 1942年夏から1943年秋にかけての、ソロモン諸島をめぐる日米の戦いは、空母戦ほどの派手さはなかったものの、戦争の行方を決定づけた戦いでありました。南海の死闘で、物的・人的に甚大なる損害を受けた日本軍は、以降、技量、物量、性能で勝る米軍の攻撃を支えることができなくなるのです。
 絵は、最期まで日本海軍の主力戦闘機であった零式艦上戦闘機の二一型と、米陸軍においてP-51やP-47が配備されるまで主力を努めたP-38Lライトニングです。
 この時期の零戦は、二二型が主力でしたが、ここではあえて二一型にしています。ライトニングは・・・・ちょっと細かい部分が判りませんでしたので、誤魔化しをかけています。多分L型だと思うのですが、所々にG型とかJ型とか混ざっているかも(笑)。

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