「桜の咲く頃」
「敵爆撃機発見。高度4000m、予想進路東京」
敵機発見の報に色めくピスト。何と言っても今は真っ昼間である。しかも侵入高度は4000m。8000m前後の高度では、この二式戦「鍾馗」でも満足な機動を行うことができず、毎度忸怩たる思いを抱いていた。今日こそいつもの鬱憤を晴らせる、そう確信して各員出撃していった。
滑走路脇では、得られるべき戦果を祝福するように、満開の桜が揺れていた。
1945年4月7日。第73爆撃航空団所属のB-29約90機の編隊は、東京の工業地帯を壊滅させるべく、昼間中高度爆撃を敢行した。迎撃に上がった日本陸海軍の戦闘機隊は、この日から戦闘に参加した第7戦闘航空集団のP-51D戦闘機約100機に阻まれ、多数の機体とパイロットを失なった。(一部フィクション)
ちょっと気が早い桜です(笑)。最近まともな背景を付けた絵を描いていなかったので、リハビリがてらに木を描いてみたのですが、どうも桜っぽくないですね。幹の感じはこんなものだと思うのですが、花が酷いような・・・(笑)
ついでに鍾馗のアップですが、キャノピーのスライドレールと防弾板が全く不明だったんで、想像入っています(涙)。つうか、鍾馗に見えますか?(見えないでしょうねぇ・・・)
4月7日の空襲は、それまで護衛なしの爆撃だったB-29に、初めて護衛機が付いた攻撃でした。そのため爆撃機のみを相手にするつもりで飛び立った多くの機体が、P-51との戦闘で失われました。このときの損害は、陸軍機11機、海軍機9機。中には彗星夜戦のように、昼間対戦闘機戦闘が難しい機体も含まれていました。
中島二式単座戦闘機「鍾馗」/キ44
キ44は、日本で初めて重戦闘機として開発された機体です。開発は1938年より始まり、最大速度600km/h、上昇性能5分/5000mという性能を満たすため、当時最大の出力を誇っていた爆撃機用のエンジンハ41(1250馬力)を採用し、また翼面荷重を大きくすることで軽量化と空気抵抗の減少をはかった機体となりました。
試作1号機の完成は1940年8月で、同年10月より軍の審査が始まりました。その結果気化器やカウルフラップの改良が行われ、1942年2月に2式単座戦闘機(注)として制式採用されました。ドイツから輸入したBf109E-7戦闘機との模擬戦では、同機を凌ぐ性能を見せつけ、また初戦ではかわせみ部隊が本機を集中運用し多大な戦果を上げています。一方、軽戦闘機による格闘戦に慣れたパイロットからは、格闘戦能力に劣ることから不評だったとされています。
絵の二型甲は、エンジンをハ109(1450馬力)に換装した機体で、最大速度605km/hを誇りました。武装は7.7mm機銃と12.7mmm機銃をそれぞれ2丁、計4丁装備していました。同時期の海軍戦闘機である零式艦上戦闘機と比較して貧弱の感がありますが、その上昇力と加速力で、主に対爆撃機戦で活躍しました。戦争後期になると、40mmロケット砲を装備した二型乙、12.7mm機銃4丁の二型丙等の改良機も投入されました。
(注)同年、キ45改(屠龍)も制式採用されたため、鍾馗を二式単座戦闘機、屠龍を二式複座戦闘機として区別しました。
参考文献
グリーンアロー出版社 野原茂著 [図解]世界の軍用機史6「日本陸軍軍用機集」
大日本絵画 H.サカイダ著 世界の戦闘機エース「日本陸軍航空隊のエース」
原書房 松崎豊一編著 「第二次世界大戦軍用機ハンドブック 日本篇」
文春文庫 渡辺洋二著 「重い飛行機雲 太平洋戦争日本空軍秘話」