「トップエース」
1940年9月15日。イギリス・ハンプシャー、ワイト島上空。
第2戦闘航空団「リヒトホーフェン」第T飛行隊長・ヘルムート・ヴィック大尉は、この日3機目の獲物を見つけ、愛機を急降下させた。彼の愛機・He100D-1は速度をあげ、獲物−スピットファイアとの距離がみるみる縮まる。射撃直前、速度差を埋めるため、フラップを一瞬開く。クンと上を向く機首を、エレベーターで無理矢理修正する。が、まさにその一瞬をついて、スピットファイアがロールをうち射線を外す。なかなかの手練れである。
その時のヴィックは知る由もなかったが、そのスピットファイアのパイロット、第609飛行隊ジョン・チャールズ・ダンダス大尉とは、2ヶ月後の11月29日、同じワイト島上空で相まみえることとなる。そしてその戦闘の結果、ドイツ、イギリス両国のトップエースは帰らぬ人となるのである。(ほとんどフィクション)
掲示板でのリクエストから、He100D-1です。そのまま描いても面白くないので、ドイツのトップエースの一人たるヘルムート・ヴィックの乗機というifでアレンジしてみました。機体のカラーリングは、I./JG2飛行隊司令官時のBf109E-4を参考にしています。
一方、相方のスピットファイアは、ジョン・チャールズ・ダンタス大尉カラーのスピットファイアMk2です。実は大きな間違いがありまして、この機体、史実ではMk1です。しかも9月15日は、別のパイロット(ゴーント少尉)が操縦しており、ケンリー上空で撃墜されています。まぁifということで許して下さい(笑)。
9月15日の戦闘はフィクションですが、11月29日の戦闘は史実です。この戦闘でダンタス大尉は、ヴィック少佐を撃墜したものの、直後にヴィックの僚機ルドルフ・プフランツ少尉に撃墜されてしまいます。もちろん史実では、ヴィックの乗機はBf109E-4ですのでお間違えないよう(笑)
ハインケル He100D-1
ハインケルHe100は、Bf109の採用に不満を持つハインケル社が、自主開発した戦闘機です。徹底した小型化と空気抵抗減という設計で、Bf109Eと同じDB601Aaエンジンを搭載しながら、Bf109Eより100km/hも優速でした。しかしナチスに批判的なハインケル社長へのあてつけもあり、僅か12機の購入(写真宣伝用)のみで正式採用されませんでした。
仮に正式採用されいれば、670km/hに及ぶ最大速度と、700kmの航続距離(Bf109Eは540km)で、バトル・オブ・ブリテンの様相は様変わりしていたかもしれません。半面、空気抵抗減のため採用した蒸気式表面冷却ラジエターは、被弾耐性に疑問が残り、高性能ではあるが打たれ弱い、そんな飛行機になっていたかも知れません。
参考文献
グリーンアロー出版社 野原茂著 [図解]世界の軍用機史7「ドイツ空軍軍用機集」
モデルアート社 モデルアート1991年8月号臨時増刊「メッサーシュミットBf109B-E」
大日本絵画 J.ウィール著 世界の戦闘機エース「メッサーシュミットBf109D/Eのエース 1939-1941」
大日本絵画 A.プライズ著 世界の戦闘機エース「スピットファイアMkI/IIのエース 1939-1941」
新潮文庫 R.ハウ D.リチャーズ共著 「バトル・オブ・ブリテン イギリスを守った空の決戦」