Round.12 ドイツグランプリ
28.Jul.2002 : ホッケンハイム・リンク


◇予選グリッド

 コースの大改修により、超高速サーキットから中速サーキットに姿を変えたホッケンハイム。記念すべき新コースの初ポールは、年間チャンプを決めたフェラーリ・シューマッハー兄。2位にはウィリアムズ・シューマッハー弟がつけ、母国GPでシューマッハー兄弟が1-2をとります。3位はフェラーリ・バリチェロ、4位は6戦連続ポールを逃したウィリアムズ・モントヤ。以下マクラーレン・ライコネン、ジョーダン・フィジケラ、BARホンダ・パニス、ルノー・トゥルーリ、マクラーレン・クルサード、ザウバー・ハイドフェルドのトップ10となります。
 ジョーダン・佐藤は、自己最高の12番手からのスタート、トヨタは、マクニッシュの17位が最高でした。なお。ミナルディー・ユーンは、107%ルールにより予選落ちしています。


◇決勝

 スタートでは、アロウズ・フレンツェンが動けないトラブル、またジャガー・デ・ラ・ロサもミッショントラブルにより、早々にストップしてしまいます。それ以外では、大きな混乱もなく、フェラーリ・シューマッハー兄、ウィリアムズ・シューマッハー弟、フェラーリ・バリチェロ、マクラーレン・ライコネン、ウィリアムズ・モントヤ、ルノー・トゥルーリ、マクラーレン・クルサード、ジョーダン・フィジケラ、BARホンダ・パニス、ルノー・バトンのオーダーで、コントロールラインへ戻ってきます。
 序盤での最大の見所は、モントヤとライコネンによる4位争いでした。接戦を演じていた両者でしたが、11周目、モービルコーナーでモントヤがライコネンに並びます。ライコネンも粘り、続くザクス、アジップ、スッドのコーナでサイド・バイ・サイドのバトルを演じますが、最後は加速力に勝るBMWウィリアムズに先行されてしまいます。
 17周目、ルノー・バトンのピットインを皮切りに、1回目のピットストップが始まります。上位陣では26周目にバリチェロとライコネン、27周目にシューマッハー兄、29周目にシューマッハー弟、クルサード、30周目にモントヤと、それぞれピット作業を行います。ピット作業後の順位は、シューマッハー兄、シューマッハー弟、バリチェロ、モントヤ、ライコネン、クルサード、パニス、ザウバー・マッサ、同ハイドフェルド、ジョーダン・佐藤となります。
 レース中盤に入ると、トラブルの発生が目立ちはじめます。まずは4位走行中のライコネン。パラボリカでリアタイヤがバースト、タイヤを交換し周回に復帰したときには、最下位の14位まで順位を落としてしまいます。40周目、今度は6位パニスが単独スピン。そのままリタイヤとなります。46周目、2回目の給油でピットに入ったバリチェロでしたが、給油リグが入らないトラブル。これにより21秒ものタイムロスとなります。続く47周目にトップのシューマッハー兄、48周目にシューマッハー弟、49周目にモントヤ、クルサードと上位陣のピットインが続きます。が、トラブルは留まるところを知らず、ピットアウトしたクルサードの直前で、アロウズ・ベルナルディーがエンジンブロー、60周目には12位(最下位)ジャガー・アーバイン、61周目には10位ジョーダン・フィジケラ、62周目には10位のライコネンと、続々と戦列を去ります。63周目、2位のシューマッハー弟がニューマチックのエア補充のために緊急ピットイン、3位に順位を落とします。
 結局完走9台のサバイバルレースを制したのは、トラブルフリーで走りきったシューマッハー兄でした。2位はモントヤ、3位はシューマッハー弟のウィリアムズ勢が占め、4位はバリチェロとなりました。以下5位クルサード、6位ハイドフェルド、7位マッサ、8位佐藤、9位トヨタ・サロの結果となります。


◇感想

 タイトルを決め、母国凱旋となったミハエル・シューマッハー。その凱旋GPに優勝で花を添えた結果となりました。意外にも、95年以来の母国優勝、フェラーリでははじめての母国優勝だったのですね。ニュルブルクリンクではあれほど勝っている(94、95、00、01年の4勝)のに。
 それにしても、いったい何勝するのでしょうね、この人は(笑)


[ Back ]