Round.4 サンマリノグランプリ
20.Apr.2003 : アウトードロモ・エンツォ・エ・ディノ・フェラーリ
◇予選グリッド
ヨーロッパラウンドの開始。ここではフェラーリが強さを見せました。ポールは1日目、2日目ともフェラーリ・シューマッハー兄。僚友バリチェロも1日目2位、2日目3位と、好位置につけます。そのフェラーリに割って入ったのがウィリアムズ・シューマッハー弟、また同モントヤも4位につけ、ようやくウィリアムズの調子が上がってきた感があります。
以下、5位ジャガー・ウエーバー、6位マクラーレン・ライコネン、7位BAR・ビルヌーブ、8位ルノー・アロンソ、9位BAR・バトン、10位トヨタ・パニスとなります。
◇決勝
ウィリアムズ・シューマッハー弟が好スタートを決め、やや加速が鈍いフェラーリ・シューマッハー兄を抑えて1コーナーを制します。次いでフェラーリ・バリチェロ、ウィリアムズ・モントヤ、マクラーレン・ライコネン、ルノー・アロンソと続きます。一方5位スタートのジャガー・ウエーバーはグリッド上で立ち往生、これで11位まで順位を落としてしまいます。またその直後グリッドだったBAR・ビルヌーブもあおりで13位までドロップしてしまいます。
トップの興亡は熾烈を極めます。4周目あたりから、シューマッハー兄弟の距離が縮まり、テール・トゥ・ノーズ状態になることしばし。しかしながらシューマッハー弟はこれを巧くブロックし、オーバーテイクを許しません。数周に渡るバトルも、後続のシューマッハー兄が自ら距離を取り、決着はピットのタイミングとなります。
16周目、そのシューマッハー弟がピットへ。リスタートでエンストしかかり、若干のタイムロスをしてしまいます。18周目、バリチェロとモントヤが同じタイミングでピットインし、19周目にはシューマッハー兄もピットインします。これで暫定首位はライコネン、ついでマクラーレン・クルサード、シューマッハー兄、シューマッハー弟、バリチェロ、モントヤ、ビルヌーブのオーダーとなります。しかしながらそのビルヌーブは21周目にスローダウン、リタイヤとなってしまいます。またウエーバーがピットレーンのスピード違反で、スルーペナルティーを負います。
22周目、ようやくマクラーレンが動きます。まずはクルサードを、翌23周にはライコネンをピットに入れます。その結果シューマッハー兄、バリチェロ、シューマッハー弟、ライコネン、モントヤ、クルサードのオーダーとなります。
30周目からはウィリアムズ、フェラーリが相次いで給油を行います。30周目モントヤ、31周目シューマッハー弟、34周目バリチェロ、35周目シューマッハー兄と、ピット作業を終えます。しかしながらモントヤは、給油機のトラブルから33周目に再度ピットインをしており、優勝争いから脱落してしまいます。
ピット作業はまだまだ続き、45周目ライコネン、46周目クルサードと続けて2回目のピットイン、48周目シューマッハー弟、49周目シューマッハー兄、50周目バリチェロと、3回目のピット作業が続きます。ここでミスをしたのがフェラーリ。バリチェロの左フロントタイヤの装着に手間取り、コース上で1度は抜いたシューマッハー弟に先行されてしまいます。この時点でのオーダーは、シューマッハー兄、ライコネン、シューマッハー弟、バリチェロ、クルサード、アロンソ、モントヤ、バトンとなります。しかし53周目、最終コーナーでバリチェロが再びシューマッハー弟をかわし3位へ。そしてこのままレースは終幕を迎えます。
こうしてシューマッハー兄が、今期初の表彰台を初優勝で飾りました。2位にはライコネン、3位にはバリチェロが入り、以下4位シューマッハー弟、5位クルサード、6位アロンソ、7位モントヤ、8位バトン、9位トヨタ・パニス、10位ザウバー・ハイドフェルドのオーダーとなりました。
◇感想
レース当日の朝、癌を患っていた母親が逝去。喪章を腕にレースに臨んだシューマッハー兄。普通であれば、レースに集中できる状況にはないはず。それでもシューマッハー兄弟はレースに出場し、1位と4位との結果を残しました。こう言うときに、プロ意識を思い知らされます。
今回ばかりは、シューマッハーに拍手を送ります。そして、母親エリザベス・シューマッハーさんのご冥福をお祈りいたします。