Round.15 イタリアグランプリ
04.Sep.2005 :アウトードロモ・ナツィオナーレ・ディ・モンツァ


◇予選グリッド

 予選トップは、前戦トルコについでマクラーレン・ライコネン、2位は同モントヤ。しかしライコネンは今期3度目のエンジン交換により、決勝は11番手スタート。チャンピオンシップに向けて、非情に厳しい順位となります。以下、3位ルノー・アロンソ、4位BAR・バトン、5位同・佐藤、6位トヨタ・トゥルーリ、7位フェラーリ・シューマッハー兄、8位同・バリチェロ、9位ルノー・フィジケラ、10位トヨタ・シューマッハー弟となります。


◇決勝

 スタートでは、マクラーレン・モントヤ、ルノー・アロンソ、BAR・バトンのトップ3は、順位を守って1コーナーを抜けていきます。しかしBAR・佐藤は、トヨタ・トゥルーリに先行され5位へ。しかし佐藤は、すかさずパラボリカでトゥルーリを抜き返し、これでモントヤ、アロンソ、バトン、佐藤、トゥルーリ、フェラーリ・バリチェロ、同・シューマッハー兄、ルノー・フィジケラ、トヨタ・シューマッハー弟、ザウバー・ビルヌーブのオーダーとなります。なおトゥルーリは、2周目にバリチェロにも抜かれ、我慢の序盤となります。
 レース序盤は、モントヤとアロンソがタイム差2秒を保ちつつ周回を重ね、やや遅れてバトンが続き、その後佐藤、バリチェロ、トゥルーリ、シューマッハー兄、フィジケラが、各1秒間隔で続くという展開になります。動きがあったのは13周目、まずシューマッハー兄が給油を行い、翌周バリチェロが続きます。そして16周目佐藤、17周目バトンと給油をするのですが、さらにその翌周18周目再び佐藤がピットに入ります。これは佐藤の給油機が故障したためで、このトラブルにより佐藤の上位入賞の可能性がなくなりました。
 アロンソが19周目、モントヤが20周目に給油を行い、25周目にマクラーレン・ライコネンが給油を行います。この時点で2位だったライコネンは4位で周回に復帰、アロンソより前でのフィニッシュに望みをつなぎます、。しかし27周目、そのライコネンの左リアにブリスターが発生し、28周目に緊急ピットを強いられます。これでライコネンは、一気に12位まで転落し優勝争いから脱落してしまいます。
 36周目から、上位陣2回目のピット作業が始まり、これがひと段落した44周目、オーダーはモントヤ、アロンソ、フィジケラ、ライコネン、トゥルーリ、シューマッハー弟、ウィリアムズ・ピッツォニア、バトン、シューマッハー兄、ザウバー・マッサとなります。しかし脅威の追い上げでフィジケラに迫っていたライコネンが、第2シケインで痛恨のスピン、トゥルーリに先行を許してしまいます。ライコネンは47周目に、パラボリカでトゥルーリをパスし4位まで順位を戻しますが、これまでが精一杯。結局モントヤがポールtoウィンで優勝を決め、アロンソが2位、フィジケラが3位となります。以下4位ライコネン、5位トゥルーリ、6位シューマッハー弟、7位ピッツォニア、8位バトン、9位マッサ、10位シューマッハー兄のリザルトとなります。



◇感想

 ライコネンのエンジントラブルと、レース中盤のタイヤトラブルで、アロンソがチャンピオン獲得に大きく踏み出したイタリアでした。まあそれはそれとして、2006年一杯でミシュラン撤退の噂が・・・。2006年のエンジンV8化とならび、これは大きな変遷になる可能性大です。もともとモズレー会長は、スピード抑圧のため、タイヤのワンメイク化を言っておりましたが、それはミシュランによるワンメイク。これがブリヂストンに傾いたのは、今年のアメリカGPのミシュランユーザー出走取り止め事件によるものとか。結局アメリカGPの責任を、ミシュランが取ることになったとの噂です。


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