望みを遂げたい
  望みを遂げたい
   望みを遂げたい
    今すぐに

〜I Want It All.〜

「煙草をやめろ」と、憲実は突然言った。
あまりのことに、光伸は呆然としてしまった。

ここは「隠れ家」、光伸のお気に入りの例の倉庫だが、そこで彼が独り煙草をふかして いると、憲実が現れたのだ。
そして彼は突然こう言った。煙草をやめろ、と。
どうやら今現在の状態ではなく、喫煙の習慣自体を改めろと言っているらしい。
彼が、自分ほど柔らかくないのは重々承知していたが、煙草くらいでうるさく言うような、本当の堅物でもないと思っていたのだが。
だから光伸は、相手の言葉にただ驚いていた。
怒りや苛立ちは感じなかった。
ただ、何故彼が今更そんなことを言うのかと、疑問に思っていた。

光伸と憲実がリーベと称される関係になってから、随分時が経過している。
その間己の近くにいた彼が、内心、煙草の煙を快く思っていなかったのなら、 注意する機会は、いくらでもあったはずだ。
それこそ、自分と彼の境界線が何処なのか分からないくらいに、 近づき、混ざり合う瞬間が、存在するのだから。
枕元で囁かれる「お願い」のほうが、どれだけ受け入れやすくあるだろう。

光伸は目の前の青年の、熱くれた声が好きだった。
心の底から響く声だと、思っていたから。
彼は睦言を囁かないが、意識を手放した自分に向かって、その声で告げられたなら、 どのような難問とて、克服してみせるものを。
その試練が「禁煙」などという、すぐにでも実行できるものなら、なおさら。

煙草をやめろという憲実に、光伸は困ったように一度頭を掻いてから、 咥えていた煙草をもみ消して、相手に尋ねた。
「土田、ひとつ聞きたい。
何故お前は、そんなことを言うんだ?」
告げてから、これは聞き方がまずかったなと、青年は思う。
口の重い彼から出てくる、次の言葉が分かってしまう。

「お前に、煙草をやめて欲しいからだ。」
光伸の予感は的中していて、長身の青年は端的にそう告げた。
そうじゃない。そうじゃないんだ。
お前がそのように動く発端となった、事由が知りたいのだ。
メートヒェンにでも言われたか?彼の喫煙を止めてください、と。
それとも、肺癌の怖ろしさを書いた新聞でも読んで、健康学に目覚めたか?
なぁ土田。
お前は何故、そんなことを言う。

その言葉は、俺を気遣って告げられたものか。
それともその裏にある、他の「誰か」が大切か。

煙草の火を消しはしたが、新しいそれを箱から出して、また火を点す。
憲実は難しい顔をして、それを見ていた。
無言であるのはいつもの事だから、彼が苛立っているのか、それとも別の感情があるのか、 光伸には分からない。
ただ、目の前の彼が己に告げた言葉の、その意味を。
正確な意味を知るまでは、この紫煙を止めることは出来ないと、光伸は思った。


   ...Iwant...


元々、分かり合えたとは思っていない。
自分と彼は、正反対の性質を持った人間だから。
だが、聡い彼なら気づいてくれるかと思ったのだ。
理由は、俗な言い方をすれば、「野暮」と言えるものだったので。
憲実は、その時黙っていた。
それは、理由を告げるのが「恥ずかしかった」からだ。

「・・・・。」
長身の青年は倉庫を出て、思わず空を仰ぎ見る。
まれに見る快晴だ。
このような気持ちの良い日に、光伸は狭い部屋に篭りきっている。
そこが彼には快適なのだろう。
そういった観念自体から、自分と彼は違うのだと、強く思う。
憲実は眉間に、また皺を寄せた。
気づかずに作っている表情だ。
これだから知らないうちに、怖い人間という印象を与えてしまう。
・・・と言っても、それを本人が知っているのは自分で悟ったわけではなく、 気のいい友人に忠告されたからに過ぎないのだが。

金子は・・・。
奴は、最初から俺を恐れはしなかったな、と憲実は思った。
同級生なのだから恐怖すること自体本来おかしいのだが、クラスには寡黙で大柄な彼を、 内心怖がっている人間も、居たから。
それくらい、鈍いと言われる自分でも分かる。
思えば、随分長い付き合いになったものだ。
憲実は珍しく、そんな事を考える。
そして予想することなど不可能だった、おかしな関係にもなった。
同衾するなど。
憲実はもう一度空を見上げてから、ひとつ息を吐いた。

狭苦しい倉庫の片隅で、ひとり煙草をくゆらせている青年に、 煙草をやめないかと告げた。
いや、本当はもう少し直接的な言い方だった。
やめろ、と言った。
自分にそんな権限が無いのは、承知していたのに。
煙草をやめろ、と。
そう言った時相手は、ただ驚いているように見えた。

憲実は、光伸に煙草をやめてほしかったのだ。
それは、光伸自身が考え付いたような理由ではなくて。
はっきり声に出して言わなかったのは、憲実がそれを「恥ずかしい」と思っているからで。
勿論以前から憲実は、光伸の喫煙が健康上、気になってはいたのだ。
医学に詳しい者でなくとも、煙草の実害がどれほどなのか位、知っている。
憲実は光伸が、自分が禁煙をすすめた理由を、それと誤解すればいいのに、と少し思った。
だが彼は、その考えをすぐ捨てる。
あの頭の回転の速い彼が、そのような子供騙しに、ひっかかるはずがない。
事実、そうと告げた後の彼は、すぐにこう言ったではないか。
”何故お前は、そんなことを言うんだ?”

憲実は、訳を言うことが出来ないのだ。
答えは明白に分かっているのだが、照れてどうも言えない。
彼は、恥ずかしかったのだ。
その言葉の裏に或る想いが、まるで恋のようだと思ったから。

恋慕そのものだと気付くには、彼はまだ若すぎた。


   ...Iwant it.

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