銀の盃


カツカツと、革靴を鳴らして、数人が歩いている。
その先頭に、黒い髪の人物がいるのを見て、ある男は囁いた。

「見ろ、シルバーだぜ。」
その男の隣にいた別の男は、噂の相手をちらりと見て、やはり小声で言う。
「アイツ、あの歳で”中将”だろ?全く、すげぇもんだな。」

その言葉は尊敬の意味ではなく、ねたみと嘲笑が込められたものだった。
あの歳で、中将だなんて、絶対「普通」の方法では、なりえないから。
だから、上のポストに、特別なゴマのすり方をしたんだろう、と。
アイツは、俺たちには出来ねぇ、ご機嫌のとり方ができるからな〜、と、 男は言って、卑しく笑った。

そんな声が、噂の本人と、それを取り巻く数人の耳に入った。
赤黒い髪をした、この中では若い方の男性が、苛立ちを込めつつ、言う。
「隊長のことを、あんな風に言うなんて、許せないな!」
すると彼の横にいた、薄い茶色の髪をした長身の青年が、落ち着いた声で、 彼をさとす。
「エドワルド、落ち着け。騒ぎを起こすことは、隊長は望んでおられない。」
そして彼らの言う「隊長」の方に、視線を移す。
当の本人は、フフと笑うだけだった。

濃い茶色の髪の体格の良い男が、隣を歩く自分の友人に、言う。
「俺も、エドワルド大佐と同じく、腹が立ったけどな。
許可が出たら、あいつらを殴り倒してやりたいところだ。」
話を聞いた、白っぽい金髪の青年の方は、そんな血気盛んな友人とは対照的に、 冷静な声で言った。
「能力のない奴ほど、優れた人間を認めようとしないものだ。
ウィルヘルム、お前も落ち着け。騒げば一番迷惑するのは、隊長だ。」
ウィルヘルムと呼ばれた青年は、う、と言葉をつまらせて、黙った。

ここに4人の青年がいて、彼らはそれぞれ、「隊長」と呼ばれるシルバーという 人物に、忠誠を誓っている。
彼らは、憲兵だ。この国には、他に「軍人」も「警察」も存在する。
ちょうどそれらの間に挟まれた、中途半端な状態で、憲兵という職業が 存在していた。
だが、国自体が貧しく治安も悪い為、そんな半端な彼らでも、大いにやるべき 仕事があった。
彼ら自身は、憲兵という職業を誇りに思っている。
それは、仕える上司が尊敬すべき人物だったから。

良くも悪くも憲兵の中で噂にあがる、その人物の名は、 ノエル・シルバーと言って、
この国に駐在する憲兵の中で唯一、身分証明書の性別の欄に「F」という 文字が記録されている人物である。

***

「相変わらず、他の小隊の管轄を歩くと、くだらないことを言われるな。」

そう、シルバーは半ば呆れたような声で、つぶやいた。
今はもう、自分達の管轄・・・「第3小隊」警備の地域に戻ってきていて、 彼らはそれぞれ、憲兵隊詰所の、自分の事務机の椅子に腰掛けている。
シルバーは、腰にかけているホルスターを開けて、中から酒の小瓶を取り出した。
ホルスターとは普通、銃を入れておく為のものだが、シルバーはそこに酒瓶を入れている。
ちなみに銃を装備していない訳ではなく、銃は、服に隠れて分からないが、 脇下にあるホルスターに入れている。

シルバーは酒瓶を開けて、そのまま酒を口に含む。
今、彼らは勤務中である。無論、酒を飲むことなど許可されていない。
が、これは日常茶飯事のことだった。シルバーは常時、酒を飲んでいる。
飲んでないことの方が珍しいのだ。
シルバーは無類の酒好きだ。そして、異常に酒に強い。
「シルバーと飲み比べをするのは、金をドブに捨てるようなもの。やるだけ無駄」とか、
「奴は、消毒用アルコールだって飲みそうな勢いだ」とか言われている。
前者はともかく、後者に至っては「冗談が過ぎますね」と、シルバーの副官は 以前言ったのだが、それに対しシルバーは、

「消毒用アルコールはな、そのままでは度数が高すぎて、飲めたものではないぞ。
水で割って40パーセントくらいにすれば、飲めないことも無いな。」

と答えていた。そういう人物なのだ。

隊長が酒を飲むのを見ていて、それを思い出したクロード・リッテルは、ひとりで 小さく笑った。
薄い茶色の髪をした、緑色の瞳の背の高い彼が、シルバーの「副官」である。
リッテルの階級は、少将だ。
普通、中将の副官なら中佐くらいがなるべきなのだが、第3小隊の憲兵の階級は、 間が近い。

第3小隊、総隊長のシルバーが中将、その副官のリッテルが少将、
リッテルの下の「エドワルド」が大佐、そのエドワルドの下の、 「ウィルヘルム」と「クリストファー」が中佐である。
もちろん彼らの下には、階級の低い部下もいる。第3小隊全員で、 110人程度の人数だ。
階級の差があまりないのは、その方が便利だからと、部下たちの階級が あがるよう、シルバーが画策しているから。
優れた人物にはそれなりの報酬を、と、隊長のシルバーは考えている。

リッテルが小さく笑ったのを見て、彼の直接の部下にあたるエドワルド・ ストーンズ大佐は、何がおかしかったのかと、彼に尋ねる。
リッテルは、「いや、何でもない」と答えたが、それに対しエドワルドは不服そうだ。
「先輩、隠し事はナシですよ?」

この、赤黒い髪の割と小柄な大佐は、本来ならリッテルのことを「少将」か 「貴方」と呼ばなくてはならないのだが、私生活で「先輩」と言っている為、 たまに気づかずに、その2人称を使っていることがある。
リッテルは36歳で、エドワルドは29歳なので、7歳の歳の差があることに なるが、彼ら2人は割と話があう。友人と、言っていいかもしれない。

「エドワルドは、相変わらず好奇心旺盛だな。」
とシルバーがつぶやくと、
「あ、隊長、自分を子供扱いしましたでしょう?」
と、エドワルドは言った。

「子供ではないか。必要以上にゴシップや噂話が気になるのは、落ち着いた 大人とは言えないぞ?」
そう、シルバーが愛情を込めて彼をからかうと、ひょうひょうとした性格の エドワルドは、さらりとそれをかわし、隊長に言う。
「情報収集は、全ての作戦の第一歩でありますゆえ。」

うまいことを言う、と、リッテルも年少の彼を見て、くすりと笑う。
シルバーは、笑っている。
普段あまり表情を崩さないひとだから、こうやって和んだ雰囲気の中で、 隊長が笑うのが見られるのは、本当に嬉しい。
己はそういうことの出来ない不器用な人間だから、エドワルドやウィルヘルム、 そしてクリストファーなどが、そういった雰囲気を作ってくれるのが、 非常にありがたい。


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