銀の盃 10


それは、6年ほど前のことである。
ある非番の日に、エドワルドは、その頃すでに直接の上司であったリッテルのところに、報告にやってきた。

「先輩。」
「あぁエドワルドか、どうした?」
「実はこの度、佐官に昇進いたしました。」
「少佐になったのか、それはおめでとう。」
にっこりと、リッテルは微笑む。そんな彼に、エドワルドは告げた。
「ありがとうございます。それで先輩、これから酒場に付き合っていただけませんでしょうか?」
「酒場に?君も知っての通り、私は下戸なのだが・・・。」
「無理に飲ませたりいたしませんから。昇進祝いだと思って、お付き合いください。」
「分かった。では行こう。」

そうして2人は酒場に向かった。とりあえず乾杯をしてから、エドワルドは言う。
「先輩、非常にとっぴょうしもないことだと、分かっているのですが・・・。」
リッテルは、ジュースを飲みながら、彼の話を聞いていた。

「シルバー准将閣下がいらっしゃるでしょう?・・・自分は・・・。」
「隊長が、どうしたって?」
「自分は、その・・・隊長を、どうしても男性に見ることが出来ないんです。」

リッテルは思わず眉をひそめた。隣の、少し顔が赤い部下に向かって、言う。
「?・・・何を言い出すんだ。隊長は男性ではないぞ。」
「もちろん分かっています。自分が言いたいのは、その・・・。」
エドワルドは口ごもった。リッテルは相手をせかすようなことはせず、じっとエドワルドが話を 続けるのを待っていた。しばらくしてから、赤黒い髪の青年は言った。

「シルバー隊長はいつも、”私の性別を考慮しての、遠慮や気遣いは無用だ。 他の男性の軍人と同じように扱って、構わない”とおっしゃるでしょう?
つまり隊長を、女性として扱うのは失礼にあたる、と分かっているのですが・・・自分には、 隊長が、とても素敵な女性に見えてならないんです。凛々しくて聡明で・・・それにお美しいし・・・。」
リッテルはやっと相手の言いたいことが分かった。
(エドワルドは、隊長が好きなのだな。)
しかし同時に困りもした。何故ならリッテル自身も、シルバーを想っていたから。

エドワルドは拳を握って、隣のリッテルに問う。
「こんな想いを持ったまま、隊長にお仕えするのは、いけないことでしょうか?
それとも、いっそのこと打ち明けて・・・。」
「いや。」
リッテルは相手の言葉を遮った。驚いて、エドワルドは彼の顔を見つめる。リッテルは告げる。

「私が思うに、隊長本人には言わない方がよい。
きっと良い顔はされぬ、あの方はそういう話がお嫌いだから。
しかし、心の奥で想い続けるのは悪くないと思うぞ。私も・・・・。」
そこまで言ってから、リッテルはしまったと思った。しかし、もう遅い。
私も、という単語を、エドワルドは聞き逃さなかったから。

「私も・・・ということは、先輩も隊長がお好きなのですか?」
「・・・え、あぁ、・・・そうなんだ・・・。」
小さくつぶやいて、茶色の髪の長身の青年は、恥ずかしそうに体を丸めた。

***

2人は、2人ともが同じ相手に恋愛感情を持っていることを知っているが、
互いに、想い人のために「行動には出さない」という約束を交わしている。
だから、向こうが勝手に1歩踏み出したのではないか、と、エドワルドは気にしているのだ。
リッテルのような、恋愛にうとい相手であっても。

「そうだ!」
と、エドワルドは急につぶやいた。背の高い相手の顔を見上げて、彼は聞く。
「先輩。前から気になっていたのですが、先輩が隊長をお好きになったのは、 いつからなんですか?」
この人は、自分より隊長との付き合いが長い。必然的に、自分より昔であろう。
どれだけ長かろうと、それを理由に譲るつもりは、無いのだけれど。
そう、エドワルドは思っている。
聞いてみたかったのは、単にゴシップ好きが生じてのことだ。

尋ねられてリッテルは、「あ?あ、あの、そのだな・・・。」と慌てる。
しばらくしてから、リッテルは告げた。

「私には、5歳下の弟がいるのだが・・・・。

私が16歳の時だ。その頃私は軍医学校の生徒で、11歳の弟は、幼年学校の生徒だった。
両方、夏休みだったので実家に帰ってきていたのだが、そこで初めて私は、弟が主席でない ことを知る。
弟は、私と違って出来の良い奴でな。当然、主席であるものばかりだと思っていたのだ。
驚いたのは両親も同じらしく、残念だったわね、という母の言葉に、弟は何故か、 楽しそうに語りだした。

”シルバーって奴がいるんだけど、奴だけには勝てないんだ。”
”背がとっても高くてさ、黒い髪で・・・”
”上級生ともケンカしたりするんだよ?それで、負けたことがないんだ!”

その年の冬休み、また実家に帰ると、弟はまた、その人物の話をしていた。
とても、楽しそうに。

”あんまり喋らなくて、キッとした冷たい印象を受けるんだけど、
たまに笑うと、とっても可愛い”

私はそこまで聞いてな、実を言うとちょっと焦ったのだ。
弟の通う幼年学校は私も出たところだったが、男子校だったからな。
まぁ、我が国は同性結婚も認められているし、そういう嗜好をとやかく言うつもりは なかったんだが・・・弟が、そういう方向に行くとは思ってなかったわけで・・・ 早い話が、私は気になって、見にいったんだ、その相手を。
休み中も実家に帰らず、寮に残っていると言っていたから。

弟の言う、黒い髪の同級生は、冬の寒い時期に、何故か樹木の下に座っていたよ。
笑わないで欲しいんだが・・・その時私は、その人が、木の精霊かと思った。」

長々と告げてから、リッテルは照れて、少し顔を掻く。
エドワルドは彼の話を聞き終えて、ゆっくりと、相手に尋ねた。
「その時に・・・?ということは、一目惚れですか?」
うなずいてから、「秘密だぞ。」とリッテルは言う。
シルバーは、色恋という話を好まない。
会った瞬間に心を奪われる、「一目惚れ」という、半ば魔法じみた現象を、 理解することはないだろう。

例え、分かってもらえなくても。引き換えに、与えられるものは無くとも。
想う事が、己にとって最良の行為だと信じているから。
だからリッテルは、声に出さずに彼(か)の人を、想い続けるのだ。


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