銀の盃 12


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その日の夕方、アレスは再びノエルの部屋を訪れた。
「何してる、ノエル?」
と言いながら、彼がドアを開けると、部屋の主は、空の酒瓶を逆さにして口の上で振りながら、
「何もしていない。」と答えた。
アレスは、その光景を見て、
「またお酒飲んでるのかぃ。この前、注意されたばかりだろう?」と言った。
ノエルは、ちょっときつい視線をアレスに送って、
「うるさいな。お前は”小姑”か。」と、答える。

ノエルは昔、言語能力が非常に劣っていたため、それを挽回しようと、本を 読みまくった時期がある。この幼年学校の図書館にある本は、大抵読んだ。
だから、くだらない言い回しは沢山知っている。

アレスは、言う。
「僕は、君のためを思って言ってるんだよ。
芸術担当のバウアー先生は、生徒指導係でもあるだろう?
品行が良くない生徒の、点を下げるって噂があるし・・・。」
「芸術はもともと、数字では表現できないものだからな、そういった噂も 流れるんだろうが・・・しかし、デマとも言えないな。 私は試験で、芸術家の名前と作品名を全部正しく記入したが、15点 引かれたことがある。」
そう、ノエルは答えた。

「えぇっ!本当かぃ!?それは大変だよ、言わなくちゃ。」
「誰にだ?」
「もちろん、校長先生にさ!」
「お前、私が校長の被保護者だから、この学校にいることを知ってるだろう?
本来なら、私はここに入学する権利はないからな、男子校だから・・・。
そんな私が、教師の悪口を校長に言ったところで、何になる?
他人が見たらどう思うか、おおかた予想はつくな。」
そしてノエルは、ふふふと嘲笑する。

だけど・・・とアレスが言うので、ノエルは言った。
「お前は正義感が強いのは、分かっている。だが、そういうものなんだ。
とりあえずお前は、バウアーの奴にマークされないようにしておけ。
今のところ”二重丸”だからな。私と付き合っていることを除いては。」

「そんな風に言うのはやめなよ。」とアレスが言ったので、
「何のことだ?」とノエルは尋ねた。

「自分のことを、そう悪く表現するのはやめようよ。悲しいじゃないか。」
「悲しい!?それはどういう意味だ?」
「君は、素晴らしいひとだよ。」
「おい、私の質問に答えてくれ。」
「・・・”保身”という言葉がある通り、人間は自分を大事にするものなんだ。
だけど、君はまるで君自身を大切にしてない。それじゃ、あまりにも可哀想だよ。」

ノエルはしばらく黙ってから、言った。
「結局お前は、私に、”もっと自分自身を大事にしろ”と、言いたいのか?」
アレスは、うんと返事をする。
「大事にしろも何も、私は何故生きているのかも、分からないのだからな。」
そうノエルが言うと、アレスは答えた。
「じゃあ、生きる目的を探しながら、生きていけばいいよ。」
そして、にこっと笑う。 ノエルはあとにもさきにも、彼ほど優しい笑みを浮かべられる人物を、見たことがない。
「・・・お前は、上昇志向だな。」と、ノエルは微笑んでつぶやいた。

***

数日後、朝

アレスは、ノエルの部屋のドアをノックしながら、言った。

「ノエルー?起きてるか?」
ドアを開けようとしたが、カギがかかっていて開かなかった。
「ノエル?」
やっと部屋の中から返事がした、「・・・何だ・・・?」

その声は重い。アレスは尋ねた。
「どうかしたのかぃ、君?」
ノエルは、だるい、とドア越しに答えた。それから、
「今日は休む・・・。お前、早く行け。」
と告げる。アレスは、ノエルの言葉を誤解して、
「面倒くさがっちゃ、駄目だよ。ちゃんと学校に来なよ、僕、先に行くけど。」と答えた。
ノエルがだるいと言ったのは、純粋に体調が悪く、だるいということで、 アレスの友人たちが使うような意味ではない。
アレスは、速足でノエルの部屋の前から去った。彼の行く足音を確認してから、 ノエルは床(とこ)についた。
”熱い・・・。”

昼休み、アレスは3組にやってきたのだが、探している本人は見つからなかった。
「ノエル・シルバーは来ている?」
と、クラスに残っていた生徒に聞くと、朝から一度も顔を出していないという 返事が返ってきた。アレスは心配になって、寮まで戻り、ノエルの部屋のドアを ノックする。

「ノエル?」
返事がない。ドアには、依然としてカギがかかっていた。
アレスは何度もノックを繰り返した。数分後、ドアが開かれた。
「お前か・・・。」
赤い顔をした、ノエルは言った。それを見て、アレスは驚く。
「大丈夫!?顔、真っ赤だよ!」
「熱があるらしい。すまないがお前、薬を持っていたら、くれないか・・・?」

ノエルが人に頼るなど、あまりないことだ。
あぁ、と言って、アレスは走っていった。 すぐに彼は、自分の部屋から薬を取って、戻ってきた。
アレスはノエルの部屋に入る。さぁ、と、アレスから渡された薬を、ノエルは飲んだ。

「体調が悪かったなんて気がつかなかったよ、ごめん。」
とアレスが言ったので、ノエルは尋ねる。
「何故、お前が謝る?」
それは・・・と言って、アレスは黙ってしまった。しばらくしてから、ノエルは聞いた。

「何しにきたのだ、ここに。」
「君のクラスに行ったら、朝から一度も顔を出してないって、聞いたから・・・。」
「それで心配して、訪ねてきたのか?」

うん、と少年は答えた。彼の言葉に対しノエルは、
「私の体のことを気遣ってくれるのなら、今すぐこの部屋から出ていって ほしいな。 眠りたいのだ、私は。」
と言う。あぁそうか、ごめん、とアレスは言った。

今、ノエルはアレスの方を見ず、部屋のドアの方を向いていた。
いつもは厳しく光る藍色の目が、風邪のせいでトロンとしている。
少年はその表情が、とても愛らしく見えたので、思わず行動に出てしまった。

軽く名を呼んで、相手がこちらを向くと、口付けをした。


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「創  作」
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