銀の盃 12


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数日後、すっかり体調が回復したノエルは、アレスとともに廊下を歩いていた。
途中、掲示物があったので、2人は立ち止まった。

期末試験を受けなかった者の、卒業は認めない。

その掲示を見てアレスは、へぇと言う。対照的にノエルは、じっとその紙を見つめていた。
「どうしたの、ノエル?」
アレスが聞くと、ノエルは、参ったな、と答えた。そして続けた。
「ここを卒業すれば、無条件で憲兵になれたのだが。
何か、違う職を探さなくてはならないな・・・。」

その言葉を聞いて、アレスは驚いて、尋ねた。
「君、この前の試験受けなかったの!?」
「あぁ、体調が悪かったからな。つまらない勝負になって、すまない。」
いや、いいけど・・・と、アレス。ノエルは顔を掲示物のほうに向けて、つぶやく。
「それにしても、今までこんな規則では、なかったと思うのだが。」
「そうだね。」
彼は続けた。
「確か、試験を休んで、その試験が0点になっても、1年間の平均点が赤点じゃ なかったら、進級に支障をきたしたりはしないはずだよ。卒業もそうだと思ってたけど・・・。 期末試験を受けなかっただけで、卒業させないなんて、おかしいよ。」
ノエルは彼の言葉を聞いて、うなずいた。
「・・・聞いてみるか。」

2人は、教職員のいる部屋に向かった。入り口の一番近くにいた人物に、こういった 話は誰にすればよいか、と尋ねると、バウアー先生という答えが帰ってきた。

ノエルは、この教師にかなり”お世話”になっていた。
その原因の大半は、飲酒とケンカである。

ノエル・シルバーは、酒を飲む。未成年であるにも関わらず。
いつからなのか不明だが、とにかく、飲酒により暖を取る術を身に付けてしまった。 何故酒を飲むのかと問われると、「暖かいから」と、本人は答える。
これは本当に、一種の中毒であるらしく、ノエルはいつも酒を飲んでいる。 ”酔っている”ことは少ないが。
保護者であるはずの校長とは、学校に入学してからつとめて会わないように していたが、たまに「生徒と教師」として会えば、
「・・・飲むのならなるべく、薄めて飲みなさい。」
という、控えめな「お小言」を貰う。

酒はもちろん未成年だから注意されるのだが、ケンカにいたっては、 「する」けれど、「売った」ことは、ない。
今は最高学年だから、誰もノエルにケンカをふっかけたりはしないが、 下の学年の頃は、ひどかった。
態度が気に入らないと、文句をつけられる。
ノエルは背が伸びるのが早かったので、ただでさえ目立った。
本来なら、入学する権利も無いのに、校長の”知り合い”だからと、特別扱いを受けて。

ノエルは、そんな少年たちの心無い言葉に反論することもなく、ただ 静かにそれを聞いていた。その様子がまた、彼らを興奮させるのだ。
殴りかかってきたから、殴り返した。
それだけのことである。
ノエルは多少利口だったので、自分の方もある程度、被害を受けたふりをして、 騒動を終わらせることにしている。
そうすれば、教師の説教が短くて済むから。
ケンカに勝てるだけの運動神経と、身体的能力があって良かったな、とノエルは思う。
それはまさしく、神の恵みだ。
ケンカで「本気を出した」のは、数人に囲まれて、服を剥がされそうになった時 だけである。
その時は、怖いとか汚ないとかいう感情よりも、「悲しい」という思いが、後に残った。

ノエルはあまりバウアーと会いたくはなかったが、しょうがないので、彼の元に行った。
バウアーが、ノエルとアレス2人を見て、ほんの一瞬嘲笑をしたのに、 ノエルは気がついた。
ノエルは教師に事情を説明した。すると相手から、”保護者会に話が通れば、 特別に再試験を行い、それで平均を出して、赤点でなければ卒業”という 答えが返ってきた。
試験の問題は変わるだろうが、そんなことは、いつも平均点が90点を 上回っているノエルにすれば、造作もないことだ。
教師に一応礼を言って、2人は教職員室を出た。

「大丈夫そうじゃない、よかったね。」
とアレスは言った。そうだな、とノエルは答えた。そして、つぶやく。
「もし卒業できない時は、学校をやめるしかないからな・・・。」
えっ、何で?と、アレスは聞いた。
「今年で、奨学金が切れるからだ。
まぁ、もし期間が残っていたとしても、留年するような生徒に、奨学金は出ないと思うがな。」

2日後、ノエルは衝撃的な事実を聞かされた。保護者会で、再試験の話が 却下されたというのだ。

「何故だ・・・何故この話が通らない・・・!?」
ノエルは、肩を落としてつぶやいた。この知らせをノエルのもとに持って きたアレスも、言う。
「おかしいよね、こんな話、普通は楽に通るはずなのに・・・。」

その時ノエルは、あのバウアーの笑みの理由を、理解した。
「あいつ、話が通らないのを知っていたのだな・・・!」
それを聞いてアレスは、
「確かにあの先生は、君を目の敵にしてるみたいだけど、君の卒業を 邪魔しても、何の得にもならないじゃないか。得をするといえば・・・。」
と言ってから、何かひらめいたらしいが、口に出さなかった。
その光景を見て、ノエルは言う。
「私は今、お前が考えていることが分かる。」

ノエルは今度卒業できなければ、学校をやめるしかない。
そうなれば、今までノエルが得た記録は全て削除されるため、必然的に試験の 順位が繰り上がる・・・!

「彼の親は、学校の役員だし・・・。」
とアレスは、言った。ノエルがこんな状況に追い込まれた理由は、それ以外、考えられない。
「地主のぼっちゃんは、何でもやりそうなタイプに見えるしな。」
と、ノエルは言った。そして続けた。
「しかし証拠はない。あくまでもこれは推測だ。」
そうだけど・・・とアレスはつぶやいた。

***

しかし、卒業式の日の朝、ノエルは校長から、自分も卒業できるのだと いうことを聞かされた。
もちろんこれはありがたい知らせではあったが、 何故許可が出たのか、気になった。ノエルは、校長に尋ねてみた。
「保護者会から強い要望があってな。」
という、答え。ノエルは訳が分からなかった。
自分の部屋に戻ってきてから、考える。

”どういうことだ、これは?
考えられるのは、ハウプトの親よりも強い権力を持った人間が、私の卒業を望んだ、ということだが、 そんな人間はいない・・・。”
しかし、次の瞬間、ノエルの頭に一人の名前が浮かんだ。

大きな総合病院の院長をしている、アレスの親(リッテル)

ドアを開けて、アレスが入ってきた。ノエルは、彼に尋ねた。
「お前、私が卒業できるように、学校に頼んでくれと、親に言ったか・・・?」
アレスは返事をしなかったが、否定もしなかったことを見て、ノエルはそれが 事実であると、確信した。

「出ていけ!!」
ノエルは、大声で叫んだ。
アレスは突然のことに何が何だか分からず、立ちすくんで動かなかった。
そこでノエルは、アレスの体を押して、部屋から追い出した。
そしてドアに鍵をかける。ノエルは膝をかかえて、座り込んだ。

”ばかやろう!お前のしていることは、ハウプトと同じだ!
私が“背後の力”というものを、ひどく嫌うことを、知っているだろうが・・・!
何故そんなことをする?私が喜ぶとでも、思っていたのか・・・!”

アレスがした行為がとても腹立たしくて、しかし同時に、自分のことを思って やったのだということも、理解できた。
アレスの優しさが嬉しくて、でも彼の今までの行動が、“強者からの弱者に対する あわれみ”であるようにも感じるのだ。
ノエルは苦しくなった。ひどく頭が混乱して、胸が痛い。


それが恋だと気づくまでに、ノエルはかなりの時間を要する・・・。


「ノエル14」終

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