銀の盃 25


シルバーが副官に電話した夜の、次の日の朝。
シルバーは、伯爵の別荘の一室で、ヘンリー卿と対峙していた。
自らの顔が、薄ら笑いに歪んでいることに、憲兵は気がついていた。
その顔を見て、老人は眉間に皺を寄せている。

しばらくずっと黙ったまま、睨み合いの状態になっていたが、シルバーはやっと行動を起こした。
いつも酒を入れている、腰のホルスターを開け、瓶を出した。
そして酒を口に含み、霧吹き状に少し撒いた。
残りは、前方にいる伯爵めがけて、投げた。
液体がこぼれながら、瓶はつるつるした床の上を滑っていく。
男性の少し手前で、酒の瓶は動きを止めた。

シルバーは、内ポケットからライターを出して、火をつけた。
自分の髪と、上着に炎が引火するのが、見てとれた。

+++

シルバーからの電話が終わったあと、リッテルも、思うことがあった。
(何故、私の家に電話してきたのだろう・・・?)
無線では、伝えにくい事では、ある。憲兵が使っている無線を、他人が傍受するのは簡単だからだ。
それにシルバーが、自分の無線機を置いて出かけている、という事実も知っている。
だが、内密な話なら、直接会って話せばいいのだ。
隊長の性格上、そういう事は、人払いをした小さな部屋で、小声で伝えると思うのが自然だ。
それにリッテルは今日、偶然家にいたが、自宅の電話では繋がらないこともある。
いるかいないか分からない、そんな状況で、しかも内容が、他の憲兵隊の癒着問題だなんて。
何かがおかしい、とリッテルは思っていた。

隊長の休暇は書類上は、今日で終わり。
明日からは、いつも通り、第三小隊の憲兵隊詰所に、出仕してくるはずだ。
はず、である。

・・・・・・・・。
リッテルは、いてもたってもいられず、
かといって、何をしたらいいかも不明だった。
とりあえず、軍医に与えられている緊急用の移動手段:エアバイクの鍵を出した。
そしてエンジンをかけて、詰所に向かった。

数時間前に帰ったはずなのに、また戻ってきたリッテルを見て、エドワルドは疑問に思った。
「先輩?どうしたんですか?帰ったんじゃなかったんですか?」
確かに、リッテルの今日の勤務時間は昼までであったので、彼は一度帰ったのだ。
しかし、シルバーからの電話があったことを、隊の皆にも教えたかった、
そしてこの、胸騒ぎの元凶を知りたかった。

黒髪の憲兵は、明日ここに来ない気がする。
いや、明日だけではなく、ずっと・・・

リッテルは頭をひとつ振ってから、エドワルド達に、電話の内容を話した。
そして、それを聞いたクリストファーの一言に、大いに納得した。
「・・・隊長が自らの関わった事件を、部下に丸投げするなんて、おかしいですね。」
そうだ。シルバーは、そのような事はしない人間である。
「何か」が最初からおかしいのだ。何かが。

もやもやした気持ちが青年達の心の中に残ったが、この時点で夜も遅く、
平和な明日が来るように祈って、解散となった。


朝、普段の時間に出仕してきたリッテルは、高級別荘地である■■■■で、住宅火災が起こったことを知る。
珍しいことである。避暑地である其処に、まだ夏ではないこの時期、火災が起こるとは。
通常火災なら、消防がかけつけ、人手が足らないようなら、憲兵隊も借り出される。
家屋は全焼だそうだ。我々の部隊は、現場からは遠いが、要請があるか・・・。

!!!!!!
茶色の髪の青年は、珍しく目を見開いた。
過去、シルバーが廃ビルで倒れていたのを発見したことがある。
その時も、火が出ていた。
火は恐ろしい。全てを包み、燃やし、無くす。失わせる。
出動要請のアラームがなった時、正直、ありがたいと思ってしまった。
まだ、エドワルドもウィルヘルムもクリストファーも、時間的に出てきてはいなかったので、リッテルは一人で出かけた。

燃えつきた館の中から、焼けた衣服に身を包んだ1人の人間が発見され、病院に搬送されたと聞き、
その服が、形や色合いから憲兵隊の制服であると推測されると言われ、
リッテルは、心臓が止まるかと思った。


+++

シルバーは、眠っていた。
妙な表現だが、己が眠っていることに気がついていた。
夢を見ながら、それが夢であると分かっている状態である。
周りは、真っ暗だ。
丁度、自分のさだめを表しているようなものか、と、こんな時でもシルバーは嘲笑した。

自分がしたことは、分かっている。
死ぬ間際に、過去の恩人や、先に逝った友人に会えるとかいう迷信があるが、
そんな時でも、私は、誰の顔も見られないのか。
それは流石のシルバーでも、不満だった。
夢で会いたい人物なら、ずっと前からいるのに。

しばらくすると、目の前にぼんやりした白い影が出てきた。
人型ではなく、しいていえば雲のような・・・。
その影から、声がした。誰の声かは分からなかった。

小さい頃世話になった人の声のような気もするし、今はいない親友の声のような気もする。
憲兵としての憧れの存在の大将の声のような気も、同期の男の声であるような気も。
何より大切な、頼りになる部下の誰かの、声であるような気もした。
分からなかった。だが、今まで多くの人々に支えられてきたのだなという事が、改めて思い出された。

シルバーは今、自分が宙に浮いているような感覚がある。
真っ黒い空、または海に漂っていて、何処へでもいける気がした。
上が天国で下が地獄か、と考え、顔を上下に動かして一回ずつ眺めると、目の前のぼんやりしたものが、薄くなっていくのに気づいた。
ガスが広がっていくように、白い影は分散し、黒かった周囲が、少しずつ白く明るくなっていった。
この暗闇全てが白く変わっていくのか、と思った瞬間、夢は覚めた。


見慣れない天井が見えた。アイボリーの、格子状の天井用壁紙。
誰に聞くまでもなく、病院にいるのだと、シルバーは理解した。
首を右に曲げると、自分の肩近くに、憲兵隊の無線機が置いてある。
近すぎてよく分からないが、おそらく自分のものではないな、と思った。
手が動くのが意外だったが、シルバーは無線機の発信のボタンを、ナースコールのように押した。
普段は、かけたい相手の番号に設定してから発信するので、この状態では、無線機の初期設定の相手に繋がる。

誰が出るか、シルバーは分かっていた。
何故か、笑みがこぼれた。


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