銀の盃 29


リッテルは緊張した面持ちで、部屋のドアを開ける前に、深呼吸をした。
そして、ドアを開く。
通常隊長が腰掛けている位置にエドワルドが居たが、その横にはシルバーが座っていた。
そして、ウィルヘルムやクリストファーも居た。
いつもの空間、だった。
唯一違う所を述べるとするならば、シルバーの髪が短くバサバサで、頬にガーゼが貼ってある くらいだ。

リッテルは、自分の口を付いて出た言葉に、自ら驚いた。
「隊長、・・・右側のガーゼがずれています、触ったでしょう」

小言だった。それ以上の優しい言葉が、言えなかった。
こどもに聞かせるような彼の注意がおかしくて、シルバーはまた笑った。

***

また、今までのような平和な、という表現は適切かどうかは分からないが、
変わらない生活が、待っていると思っていた。
しかし現実は、そのように甘くはなく。

リッテルが入ってきたと思うと、その他にも、3人の人物が現れたのだ。
1人は、もう見慣れた顔の、第6小隊の副隊長である、シェリーだった。
手に報告書のようなものを持っている。まさしくその通りのものであろう。
彼は、他に来客があると分かると、一番手前にいたクリストファーに、書類を渡して 軽く挨拶をして、去っていった。

1人は、茶色のスーツを着た、一般人のようだった。
首から、入場許可証を下げていたから。
中年の男性である。
この男性も何か言いたいことがあったようだが、時間がないらしく、やはり 手前にいたクリストファーに、1枚の封筒と名刺を渡し、深々とおじぎをして、去っていった。

そしてこの場には、第3小隊の憲兵隊員と、壮年の男性が残った。
リッテルは、会ったことの無い人物だ、と思った。
白髪を綺麗に撫で付けた、長身で細身の男性で、右手側に杖をついている。右足が悪いのだろう。
服装は、自分達と同じく憲兵隊の制服だ。
しかし、面識は無いとリッテルは思った。
リッテルは、人の顔を覚えることが得意である。
足の悪い人物ならば、なおさら記憶にあるはずだ。

リッテルだけではなく、エドワルドも、その部下のウィルヘルムもクリストファーも、 この男性には、見覚えがなかった。
だから誰なのか、何用で来られたものかと思って、相手を眺めている。
しかし、シルバーは違った。
先ほどのシェリーや、茶色のスーツの男性にも、気がついた。
だが、この壮年の憲兵に対しては、明らかに緊張した態度で、接している。

黒髪の憲兵は、さっきから立ち上がったままだ。
まっすぐ、来訪した壮年の男性に向かって、唯、立ちすくんでいる。
やってきた男性が何も言わなかったので、この場の沈黙を破ったのは、シルバーの声だった。

「大将。」

それは階級の名称だったが、シルバーにとって大切な名前であることを、 部下たちは、知っていた。
過去何度も、シルバーが、
「昔、大将に教わった。」
というように、引き合いに出すからだ。
それに、今現在も、他の部隊内では囁かれている、くだらない噂。
シルバーが、上司に色を売って昇進したという話の事だが・・・
その噂も大元は、シルバーが己の上官を、本当に深く深く敬愛しているという事実から派生したものだ。

噂に聞く大将閣下とは、このような人物だったのか、と、
座ったままのエドワルドは、白髪の憲兵の顔を見て、思った。
そしてシルバーの方に視線を移すと、シルバーは何故か、難しい顔をしていた。

大将、と呼ばれて、杖を付いた壮年の男性は、やっと口を開いた。
「シルバー、息災なようで何よりだ。」
そしてゆっくりと歩を進め、副官であるリッテルの前まで、彼は移動した。
シルバーとリッテルだけは、第3小隊の中で腕章をしているから、彼が副隊長であると、 分かったのだろう。
”大将”はゆっくりとお辞儀をしてから、自分の名前を告げた。

「セオドア・リッケンベルグです、よろしく。」

明らかに、階級も年令も下であるリッテルに向かって、丁寧語でそう告げた。
その言葉にとまどいつつもリッテルは、利き腕ではない左手を出して、相手と握手をした。
壮年の男性はゆっくりとした足取りで、部下全員の席を回り、挨拶と、握手をした。
最後にまた、シルバーの前に戻ってきて、胸ポケットから封筒を取り出し、シルバーに渡した。

「本部からだ。」

リッケンベルグ大将は、ひとことそう言った。
その言葉が真実であるとするならば、・・・嘘であるはずは元より無いが・・・、 何故、本部からの通知などを、この人が持ってきたのだろう、という疑問が沸く。
シルバーは勿論、部下達も全員が、同じ事を思った。
しかし”大将”は、彼らに答えを与えない。

方向転換をして、白髪の憲兵は、この部屋を出て行った。
最後に小さく、振り向きもせずに、独り言のように、彼は呟いていった。

「何故私が来たか、考えてみれば分かるはずだ。」

シルバーは黙ってその背中を見送るしかなかった。
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