銀の盃 31


いけにえの羊、と、シルバーが発した声を、リッテルは聞き取ることが出来た。
隊長は何かの通知を見て、驚愕の表情を浮かべ、それから苦悩し、いけにえの羊と呟いた。

何についてかは、分からない。
分からなかったが、リッテルは、唯、思った。

私が、代わりになれるのであれば。
その紙きれに記されている、彼の人を驚かせ、悩ませた問題が、私が肩代わりできる ものであれば。
喜んで其れを受けよう、と。

そう考えた。
当人が「本部の第7司令室に、異動命令が出ている・・・」と告げるまで。

「ええっ!!」とエドワルドは、思わず声を上げた。
自分と同じたたき上げの憲兵であるシルバーに、そんな閑職が回ってきたのだから、 驚いて当然だ。
クリストファーも、声こそ出さなかったが、驚いているようだ。
唯一状況が理解できていないのがウィルヘルムで、それは彼が第7司令室という場所が、 どのようなところであるか、知らない為だ。
だから、場違いな台詞を放つ。
「さっきの大将、隊長が怪我してるにもかかわらず、何で”息災”って言ってたん だろう?」
それを聞いて、ウィルヘルムの隣に座っていたクリストファーは、彼には珍しく、 肘打ちなどして、親友を黙らせた。

シルバーは、無言でリッテルの顔を見た。
彼リッテルは、第7司令室の存在くらい知っているだろうし、 別に、何か言ってほしいわけでは無かった。
しかし何故か、副官の顔を見てしまった。
無意識のうちに、慰めの言葉を欲しがっていたのだろうか。
そうシルバーは考えて、普段の調子を取り戻し、フフンと小さく嘲笑をした。
通知書を机の上に投げて、腕を組んだ。
そして、先ほどのウィルヘルムの疑問に、わざわざ答える。

「ウィルヘルム、先ほどの話だが、大将の口癖は、
”死ぬな。例え任務を完了しても、死人が出たらその作戦は失敗だ。
どんな怪我をしてもいい、とにかく死ぬな。生きて帰れ。”
なんだ。・・・生きていたな、ということを、息災と表現されるのだ、あの方は。」

それを聞いた青年は、ああーと納得の表情を浮かべ、逆に、そんな質問に答える様を見て、 クリストファーは、また静かに驚いた。
シルバーは、目を閉じた。
そして、誰に言うわけでもなく、・・・おそらく自分に言い聞かせているのであろうが・・・ はっきりと呟いた。

「明確な選択肢が見えているのに、それを選ぶのが辛い。
辛いのを承知でそれを行うか、または・・・。どちらにしろ辛いな。」

言い終わるとシルバーは目を開け、立ち上がって、部下達に告げた。
「恩をあだで返す、という言葉があるが、私がこれからしようと思っていることは、 まさにその通りだ。
しかし、お前達にひとつ教えておかねばならない。これも大将の口癖だが、 ”使えるものは何でも使え。部下や同僚だけでなく、時には上司とて、 利用してしまえばいい。”」

お前自身の幸福のために。と、大将は、若い己に言い聞かせていた。
幼児のように、頭を撫でられた。昔の思い出。

シルバーは、リッテルの脇まで移動して、彼に告げた。
「書類を書かねばならない。
正確に言うと私やお前が書くのではなく、書いてもらうのだが。
”私”の入隊から現在までの経歴を、全部出してくれ、資料として必要だ。」
何をするのですか、と彼は尋ねたが、シルバーは答えなかった。
「片付いたら答える。」
そうとだけ、告げた。

***

セオドア・リッケンベルグは、優れた憲兵であった。
彼は、20代で大将の地位を得ている。テルミネの憲兵隊の中では、最年少記録だ。
ただ、其処からの昇進過程が遅い。30年近く、1階級も昇進していない。
本来ならすでに、元帥号を持っていてもおかしくないほどだ。
30代から全く階級を上げることを望まず、本人が辞退し続けていた結果である。

若い頃のシルバーも、本人に尋ねたことがある。
「何故大将は、元帥にならないんですか?」
すると彼は、笑って答えた。
「元帥になったら・・・お前のような、部下を指導する機会に恵まれないからだよ。
つまらない会議に出て、分かりきった決断を下すことの、頭数に含まれるだけ。
だから元帥に昇格するのが嫌なんだ、私は”憲兵”でいたいのさ。」

そう、敬愛する上司は言っていた。
憲兵であるために、そしていると。

「だから私も、そのようにします。
・・・貴方に、不愉快な思いをさせるけれど。」
すみません、と心からシルバーは、謝罪していた。
申し訳なく、思った。


リッケンベルグ大将に、レポートを書かせた。
長い間、昇格していないということ。
より高い階級に進み、憲兵隊内部の統制に尽力したいということ。
それには、司令室の室長のような職務が向いているということ。
新しく、第7司令室の室長に使命されたシルバーには、
■年前、部下■人を殉職させた「汚点」があるということ。
それから・・・・

数日後、大将は元帥号を手に入れ、第7司令室に栄転になったと聞き、
シルバーの元には、昇級と異動を取り消す旨の、通知書が届いた。
いけにえの羊とは、そういう意味だったのだな、と、リッテルは理解した。
腑に落ちない点が、1つある。
人事部の人間でもないリッケンベルグ氏が、どうしてシルバーに、通知書を手渡しに きたのだろうか?

「あぁ、それか。
私は15歳で憲兵隊に入っているのだが、未成年が憲兵隊に入隊するには、 保護者の許可が必要だな。
当時の私の保護者は幼年学校の校長だったが、その人では、
入隊に関する承諾書にサインをする人物として、好ましくないと言われた。
まぁ、未成年者が希望していないのに無理に、という状況も、考えられるからだろうな。
私は元より此処で働くつもりだったから、困った。
そんな時、当時初対面だった大将が、私の里親代わりになってくれた。
大将にサインをしてもらって、めでたく私は憲兵隊に入れた。

その後、階級が上がるたびに、あの方に、通知書が届く。
どうやら後見人に対して通知しているらしいのだが、
私が成人しても、解除されずに、ずっと届いている。
何らかの登録ミスらしいが、別に構わないと思っていたんだ。

昇格通知とともに、第7司令室への異動の事実を知ったとき、
大将は、”私”がそれを望まないことを、理解していた。
だから言ったんだ、
”何故私が来たか、考えてみれば分かるはずだ。”
とな。」

目の前のこの私を、利用しろと。

優しい彼はそう無言で告げ、シルバーに通知を手渡しにきた。
去りたくないから、階級をあげないと言っていた上司に、
望まないレポートを書かせて、閑職へと飛ばした。
そうした理由は、ただひとつ。
自分が、今の地位を離れたくないからという、わがまま。

後に、リッテル達が同じことを望んだならば、
その時は喜んで犠牲になろうと。
そう思うけれど、今はまだ、此処に留まっていたい。
黒髪の憲兵はそう思って、頭を垂れた。


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