銀の盃 7


「ある春の日の出来事」

ノエル・シルバー 少将、26歳。
クロード・リッテル 准将、31歳。
エドワルド・ストーンズ 中佐、24歳。



暖かな春の朝、クロード・リッテルが自分の部屋でコーヒーを飲んでいると、彼の部下が、大慌てで入ってきた。
「少将!」
「何だエドワルド、そんなに慌てて。」
「た、隊長が・・・!」
「!隊長が、どうかされたのかっ!」
と、リッテルはカップを置いて、身を乗り出して聞いた。
エドワルドは答えた。

「隊長が、お化粧されてます。」

リッテルは、あまりの意外な答えに、身をのけ反らせた。

***

憲兵隊・第3小隊の隊長、ノエル・シルバーが行くところ、皆がヒソヒソと声をたてる。
「あのシルバー少将が、化粧をしているぞ。」
「急にどうしたんだろう?」

男性の意見はおとなしいものが多かったが、婦人士官・・・憲兵にはいないが、 軍所属の事務員などには、女性もいるので・・・の中では、憶測が広がっていた。

「きっと、いいひとがおできになったのよ、春は恋の季節だもの。」
「あら、そう言うけど、あの方はすごくお忙しい身なのよ。
どこでそんなひとに出会ったっていうの?」
「じゃあ、お相手は、同じ職業かしら。」
「憲兵?隊長より階級が上のひとって、あまりいないわよ。」
「上とは限らないじゃない。案外、下っぱの若いコがお好みかも。」

シルバーの耳にも、こういった噂は入ってきたが、シルバーは何も言うことはなかった。
元々、自分が他人にどう噂されていても、気にならないたちであったから。


エドワルドから報告を受けたリッテルは、落ち着いたふりをして、エドワルドに尋ねた。
「隊長は、私服だったか?」
彼の忠実な部下は、答えた。
「いえ、いつもの通りの軍服です。・・・今日、隊長はお休みではありませんし。」

そうだった、馬鹿なことを聞いてしまったな、とリッテルは思った。
リッテルは、自分の頭が隊長のことで混乱していると、エドワルドに 悟られたのではないかと、心配になった。

「隊長、どうされたんでしょうね。」

と、エドワルドは、おそらく誰もが考え、誰もが答えを見つけられずにいる問いを、リッテルにした。
リッテルは何も言わなかったが、こう思った。

(もし隊長が、デートなり何なりに行こうとしているのであれば、朝から化粧をする必要は、ない。
そんなものは仕事が終わったあとにして、こっそり出掛けたほうがいいに決まっている。
では、隊長の行動理由は何だ・・・?)

我々は惑わされている、と無意識のうちに、リッテルはつぶやいた。
それに答えるように、エドワルドは言う。
「“目先のできごとに惑わされるな、常に本質を見抜け。”と、
隊長はよく、おっしゃいますけどね。」
「・・・・・・・!」

リッテルは、尋ねた。
「中佐は、直接隊長を見たのであるな?隊長の化粧は、どうだった?」
「どうだった、とおっしゃいますと?」
「お顔は白っぽかったか、どうかだ。」
「ええ、白いといえばそうですけど、でも「塗り過ぎ」ってわけでもなかったですよ。
かなり自然な仕上がり、だそうです、婦人士官によると。」

そうか、とリッテルはつぶやくと、何を思ってか、自分の机の上にある、 あらゆる物を1つずつ、手にしてはまた元に戻す、という行動をとった。
エドワルドは「?」と思った。

「どうしたんですか、副隊長?」
とエドワルドは言ったが、彼の言葉が耳に入らなかったらしく、リッテルは、 「これでは駄目だ。」
と言って、走って部屋を出ていった。

***

リッテルは玄関ホールから、外へ出た。そしてすぐ自分の目的を達成すると、 今度はシルバーの部屋に向かう。

部屋の主は帰ってきていた。
リッテルは、噂の、化粧をしたシルバーの顔を見た。
リッテルは改めて、このひとは美しいなと感じた。
シルバーは彼に、「あぁ、リッテルか。」と、ごく普通に声をかける。
リッテルは返事をせず、いきなり後ろ手に隠し持っていたものを、 シルバーの目の前に、右手で差し出した。


パンジーだった。

驚いて一瞬止まったシルバーの額に、リッテルは空いていた左手を、素早くあてる。
「やっぱり、熱があるじゃないですかっ!」
「・・・ばれたか。」
とシルバーは、まるでイタズラをして怒られた子供のような顔で、答えた。

***

「うまい作戦だと思ったのだがな。」
とシルバーは、ベッドで横になりながら、つぶやいた。
シルバー自身は「大丈夫だ」と主張したのだが、リッテルに「横に ならなければ駄目です。」と強く言われての事だ。
リッテルは答える。
「確かに、私もはじめ分かりませんでしたから、うまい作戦だといえるでしょうね。」

そして彼は、ひょうのうをシルバーの頭の上に乗せた。リッテルは聞く。
「お化粧は、自分でなさったんですか?」
「いや、私は化粧の仕方を知らん。これはベルク中尉にやってもらったのだ。」
「ベルク中尉?」

彼は、その名に聞き覚えがなかった。普通、シルバーの知り合いはリッテルの 知り合いでもあるのだが。
「お前は知らぬだろうな、酒場で知り合った人物だからな。
事務課で、受付をしている女性だ。」

シルバーは続けて、言った。
「そういえば、どうしてパンジーを持ってきたのだ?」
「別に、何でも構わなかったんです、隊長を一瞬ビックリさせられるものであれば。
私の持ち物ではそれができそうになかったので、外でパンジーを摘んできました。」
そう、リッテルは答えた。それから尋ねる。
「顔、お拭きになりますか?」

あぁ、とシルバーは言って、リッテルからタオルを受け取ると、顔を拭く。
一見して、熱があるとわかる赤い顔が現れた。

「私が以前、熱があるのに仕事に出て倒れたとき、”これからは無理して 仕事に出たりするな。”とおっしゃったのは、隊長でしょう?
部下に言えることを、ご自分では実行できないのですか?」
「・・・よくそんな昔のことを覚えているな。」
「昔って、半年しか経っていませんよ。」
「分かった、分かった。」
シルバーは降参したというように、手をあげた。

「何故、こんなことをしようと思われたのですか?」
リッテルは、尋ねた。シルバーは答える。
「昨日のうちから熱っぽかったから、薬を飲んで寝たのだが、 朝目覚めたら悪化していて、こんな赤い顔になっていた。
これはまずいと思って、早速、ベルク中尉に赤ら顔をごまかす化粧をしてもらった。
もしかしたら、私が化粧をしているという珍しさが先走って、 熱があるのがばれないかも、と思ってな。
・・・お前の方は?」

「隊長がお化粧されているとエドワルドに聞き、これは何かあるなと思いました。
エドワルドの、いえ、隊長の、“目先のできごとに惑わされるな、常に 本質を見抜け。”という言葉によって、化粧は何かをごまかす為の陽動 ではないか、と気づきました。
隊長が隠そうとなさるのは、ご自分の具合の悪さぐらいですから、 おそらく、熱があるのではないかと。
しかし、私がただ、「隊長、熱があるのではないですか。」と尋ねても、 隊長は「ない。」とおっしゃるに決まっています。
そこで、隊長を一瞬驚かせた隙に、額で熱を測らせていただきました。」

それを聞いて、シルバーは、
「リッテル、お前はいつの間に、そんな推理ができるようになったのだ。」
と驚きの声を上げる。それは、誉め言葉に近かった。
薄い茶色の髪の青年は答えた。
「私に、何か力がついたのだとしたら、それは隊長のおかげです。」
それから彼は、穏やかな笑みを浮かべる。シルバーも笑った。


リッテルは知らなかったのだろうか、それとも・・・?
        パンジーの花言葉が「私を思え」だということを。


「ある春の日の出来事」終

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