銀の盃 9


タンタン、とシルバーは、持っていたペンで、机の上を叩いた。
特に意味のない行動だ。
反対の手で持って見ている書類の、中身が気に入らないか、何かなのだろう。
もう、エドワルドやウィルヘルム、クリストファーたちは引き上げて しまっていて、この事務室には、シルバーとリッテルしかいない。

シルバーが行き詰まっているようなので、リッテルは上司のために 飲み物を淹れにいった。
シルバーは酒ばかり飲んでいるので、あまりコーヒーや紅茶は飲まないが、 誰かが淹れてくれたものは、ありがたく受け取る。そういう性格だ。
トレイにカップを置いてリッテルが帰ってくると、シルバーは煙草をくわえていた。
リッテルは少し眉をひそめてから、その煙草に火がついてないのに気づき、 ライターを差し出すようなことはせず、隣に腰掛けて、相手にコーヒーを渡した。
カップが置かれたトンという音で、やっとシルバーは副官の方に目を向ける。

「あぁ、リッテル。コーヒーを淹れてくれたのか、すまない、ありがとう。」
そう、シルバーは言った。いえ、とリッテルは軽く答え、上司に尋ねる。
「随分難しいお顔をされていますが、私に、手伝えることはありますか・・・?」

自分はシルバーの副官だが、出来ないことも多い。それは、リッテルは自覚している。
だから、何でもしますとでしゃばるようなことをせず、シルバーから言われたら、その責務を 全うする。そういう風に、つかえているつもりだ。
ただシルバーは、何故か遠慮して、リッテルに仕事を回さないことがたまにあるので、 彼は時折、そう口に出して言うことにしている。
シルバーは、愛煙家ではない。煙草は、持っているがほとんどふかさない。
シルバーが煙草をくわえているときは、難しい事態に直面したとき、無意識のうちに やっている行動だと、リッテルは知っていた。
だからそのように、尋ねたのだ。

シルバーは目の前の相手の顔をチラリと見てから、手元の資料にまた目を向け、
「あぁ・・・あのな・・・うん・・・。」
と、何故か口ごもる。どうやら、言いにくいことのようだ。
どうしましたか?とリッテルが優しく尋ねると、「隊長」は告げた。

「皆のな、勤務の、指定配置を考えていたのだが・・・、
それぞれに、”家庭”というものがあるだろう?
子供の学校の行事だとか、祝い事だとか、不幸事だってある。
その休暇の希望に合わせて、指定組みをしているのだが・・・来月、人数が足らんのだ。」

それでな・・・とシルバーは、珍しく申し訳なさそうな顔をして、リッテルに言う。
「リッテル。お前、来月20日ほど、休み無しになってしまうのだが、良いか?」

言われた方は、きょとんとしていた。

それが、シルバーの悩みの種だったらしい。
自分に休みがなかなか与えられず、それが気になっていたようで。
そんなもの、「お前は20日間連続勤務だ」と言われたら、はい、とうなずいて 出るだけなのだが、シルバーは気にしていたようだ。
言われて、「構いません。」とだけ青年は告げて、突然、ガッとシルバーの持っている 書類を奪いとってしまう。
どうしても、確かめたいことがあったから。己のことではなく。

「隊長。
・・・隊長のお休みは、どこに取ってあるのですか・・・?」

書類をすみからすみへと眺めて、シルバーがどうも、人数不足を理由に、「自分自身に休暇を 与えていないのではないか」と思ったのだ。だから、奪った。尋ねるだけでは、 嘘をつかれる可能性があるので。
リッテルは第3小隊・隊長シルバーの副官であり、彼自身は医者であった。
だから彼は、シルバーの身体のことが、どうしても気にかかるのである。

休みは入ってるのかとリッテルに聞かれて、シルバーは言う。
「だから、人数不足でだな・・・」
「ということは、この表そのままに、隊長は1日もお休みにならないつもりですか。」
リッテルはそう聞き、シルバーは当然のようにうなずく。

「隊長、隊長はもっと、ご自身を大切にしてください。」
そう提言する副官に、黒い髪の憲兵は、小さな声で告げるのだ。
「・・・私には家族がいないのだから、そうなるのも、しょうがないだろうが・・・。」

家族がいないので。
家族の都合で、休むことがない。
だから自分は当然のごとく、「理由があって休む人間の、代わりに出なくては」と。
そうシルバーは言いたいようだが、それは、単なる理屈だ。
リッテルは、相手に家族がいようがいまいが、適度に休みを取ってほしいのである。
それは、働きづめでは集中力が落ち、逆に能率が悪い、という一般論的理由もあり、
また、リッテルが相手を「想っているから」というのも、有る。

自分を大切にしろ、と。
そうリッテルに告げられて、シルバーはフフと小さく笑ってから、つぶやくのだ。
「昔、同じことを言ったやつが、いたよ。」

もう帰るか、とシルバーは言って、机の上に残っていた筆記用具を片付けて、この部屋を 出る。

***

「先輩。」

隊長と別れて、リッテルが彼自身の住居に向かおうとしている時に、声がかかった。
エドワルドだった。割と小柄な青年は、リッテルに向かって、言う。

「遅かったんですね、何をされていたんですか?」

さっき解散の言葉があったから、エドワルドは引き上げたのだ。
それなのにリッテルは、事務室に残っていたようなので。
リッテルは軽く、「あぁ、隊長と書類書きを少し。」と答えた。

それを、29歳の青年は、妙な視線で眺める。
「・・・何だ。」とリッテルが尋ねると、エドワルドは普通の顔になって、言う。
「自分がこの際心配していることなんて、1つしかないでしょう。」

その言葉に、リッテルはまた眉を下げ、年下の彼に言うのだ。
「私が、他人を差し置いて”何かする”男に見えるか、エドワルド?」
はぁ、とため息すら出てしまう。
エドワルドにしたら、事務室とはいえ、2人っきりでずっといたら、リッテル先輩でも、 何となく妙な気分になったりしないかなぁ〜、というのが、本音だ。

この2人は、互いが、同じ人物に想いを寄せていることを、知っていた。


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「創  作」
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