ジュリアスの泣き所


リュミエールは、ティーカップを持っていた手を止め立ちあがると、薄暗いクラヴィスの執務室のカーテンと窓を開け放った。
「もう夕暮れです。今ならあまり眩しくもありませんし、たまに空気を入れ替えないと体に毒です。」
開け放った窓からは、少しひんやりとした外気とオレンジ色の西日が入り込む。
「……うるさいな。」
外気と西日と共にもう一つ入り込んできたものにクラヴィスは眉をひそめた。
「ああ、ジュリアスさまが誰かとお話になってらっしゃいますね。」
窓から入ってきたものは、お話というには多少レベルの高すぎる怒声だった。
『……ったく、あの者はいったい守護聖というものをなんと心得ているのだっ!』
『…スさま、……のかた……すから……でしょう。…ヴィスさま……すね…』
どうやら切れ切れに聞こえる声からすると、話の相手はオスカーらしい。
「またあれは私の悪口をいっているな。」
「…どうでしょうか…でもあれだけ大声でらっしゃるから、陰口ではありませんね。」
リュミエールは困ったような微笑を浮かべながらそう言って、開け放った窓を少し閉じた。
「…よく疲れないものだ。いつもあのように昂ぶっていたら血圧が上がる…。」
「1分ほどしたら閉めますので、もう少し御辛抱ください。」
クラヴィスは鬱陶しそうに溜息をつくと、机に頬杖をついて目を閉じた。
それを見てリュミエールも小さく溜息をつき、ゆっくりとした動作で窓とカーテンを閉じ、一言挨拶をすると部屋を辞した。



「おや?またクラヴィスさまのお部屋に入り浸っていたのか?リュミエール。よく飽きないものだな、おまえも。」
「あなたこそジュリアスさまのお部屋から出てらしたのに、そのようなことをおっしゃるのですか?オスカー。」
廊下でばったりと出会った水と油、ではなく水と炎の守護聖は互いにおかしな笑顔を浮かべながらそう言葉を交わした。
だがそのあと二人はどちらともなく溜息をつき、最初にオスカーが言った。
「まったく、お互いに苦労をするな。あのお二人の仲には…。」
「本当に、素直でいらっしゃらない…。」
「……ああ、いっそ本当に憎み合っているというならこちらも気疲れせずにすむんだがな…っと、いくらなんでもそれはまずいか。」
オスカーは冗談とも本音とも、自分ですら判断のつかないことを言ってから、失言に気づいて軽く頭を振った。
「まあ、あのお二人が仲良くしている光景、というのもあまりぞっとはしないが…。」
「あなたは、あの方たちに仲良くして欲しいのかそうでないのかどちらなのですか?」
リュミエールに鋭く突っ込まれてオスカーはたじろいだ。
「なっ…じゃあ、おまえはどうなんだ?リュミエール」
「もちろん、わたくしはお二人が仲良くしてくださるのに越したことはない、と思っています。」
オスカーはリュミエールのその台詞を聞いて不敵な笑みを浮かべた。
リュミエールもそれに応えてにっこりと微笑んだ。



リュミエールが出ていったあと、夕闇に沈む…夕闇でなくとも元から暗いのだが…部屋で一人、クラヴィスは隣の部屋の住人のことを考えていた。
(あのように神経を消耗していては体に悪かろう…。女王の加護のある聖地だからよいようなものの、サクリアが尽きて外界に降ったらいったいどうなるのだ。…いや、冗談でなく過労で倒れるだろうな。あんな…)
そう考えたとたん、隣の部屋から家具の倒れるような大きな物音が響いた。
(ジュリアス…!?)
タイミングが良すぎた。縁起でもない考えが一気に閃く。水晶球を覗く間も惜しく、クラヴィスは彼にしては驚異の素早さで自室を出て隣の部屋に飛び込んだ。
果たして、ジュリアスは倒れた小振りの椅子を掴んで、膝を付いてしゃがみ込んでいた。
先ほどの物音はその椅子を倒した音であったらしい。クラヴィスは息を呑んだ。
「何の用だ。」
が、闖入者に向かって顔をあげたジュリアスはムッとした表情でそう言った。
クラヴィスは言葉に詰った。ジュリアスは顔色も悪くない。いや、むしろ上気したと言った方がいい顔でこちらを睨んでいる。
(おまえが倒れたと思って心配したのだ。)
クラヴィスはまさか、そのようなことは言えない。こうなったら口が裂けても言う気はない。そして心配した自分を恥じた。何を血迷ったのだ、私は。
「……うるさい。」

クラヴィスの口から出た言葉はこうだった。
「なにっ?!」
「先ほどから大声でわめくし、大きな物音は立てるし、まったく、騒々しいにも程がある。いい加減にしろ。」
クラヴィスは床に膝をついたジュリアスを思いきり居丈高に見下ろすと、くるりと向きを変え、部屋から出て行こうとした。
「クラヴィスっ!!」
ジュリアスはカッとなって、クラヴィスを追おうと立ち上がり掛けた。が、
「うッ!!」
と呻き声を立てるとその場に再びしゃがみ込んだ。
クラヴィスはその声に歩を止め、振り向いてジュリアスを見た。ジュリアスは脛を押さえてうずくまっている。
(ジュリアスの泣き所…か。)
思わずクラヴィスは苦笑いした。どうやらジュリアスは何かをしようとして椅子につまずくか何かしてしこたま脛を打ったのだ。さすがのジュリアスもこの痛さには堪えられないらしい。再びジュリアスを見ると、うずくまって下を向いたまま、怒りか恥かしさかは知らないが肩をぶるぶる振るわせている。
「ちょっと見せてみろ。」
クラヴィスは見かねてジュリアスの元に歩み寄った。そして倒れた椅子を元に戻すとジュリアスを強引に引き上げてその椅子に掛けさせた。
「構うな、なんでもないっ!」
ジュリアスは抵抗したが、クラヴィスは構わずジュリアスの服の裾を捲って、その白い脛を剥き出しにした。
「よせっ、クラヴィスっ!」
ジュリアスは少し暴れたがクラヴィスはまるで動じない。そしてそのままその足首をぎゅっと握って彼の動きを封じた。ジュリアスの向う脛の透き通るような白い肌は今は少し赤黒く腫れていた。クラヴィスはその脛にそっと手を当てる。別にクラヴィスの能力でどうなることでもないはずなのだが、何故かジュリアスは、そこからすうっと鬱血が引いて行くような気がした。
(なんだ?この懐かしい気分は。)
そう思ったジュリアスはふっとあることを思い出していた。
「もう良い、クラヴィス。だいぶ痛みが引いた。」
ジュリアスは腫れと同時に昂ぶった気持ちも引いたらしく、普通の口調でそう言った。
「フッ。後は何か湿布薬か何かつけておけばいい。」
「…ああ、そうする。世話を掛けたな。」
「たいしたことではない。では、な。」
クラヴィスはそう言って踵を返した。しかしその背中にジュリアスは声を掛ける。
「昔もこういうことがあったな、クラヴィス」
「なんだと?」
「覚えてはいないか?…そうだ、確か我々は七つであったろうか。」
クラヴィスにもなんだかもやもやとした記憶が蘇る。
「私は嫌がるそなたを連れて、馬の遠乗りに出かけようとしたのであったな。」
「あのときはおまえもまだ私の教育を諦めてはいなかったな。」
「そうだな。まだまだ諦めるには早い時期でもあったしな。」
「厩舎の前まで来て、私が逃げ出そうとしたのだったか…」
「そうだ。それで私がそなたの腕を掴んで止めようとしたのだ。」
「そうしたらおまえが飼い葉桶かなにかに蹴躓いて転んだのだったな。」
「あれも痛かった。骨が折れたかと思ったぞ。」
「私のせいではない。おまえが無理やり連れて来たからだ。」
「そんなことはどうでも良い。そうしたらそなたが今のように…」
「フッ、そうだったな。あまり痛そうだったのでさすがに怖くなったのだ。せめて闇のサクリアの安らぎが傷の痛みにも効きはしないか、と思ったような気がする。」
「ふふ。何故だか効いたぞ。今も、あのときも、な。」
「そうか。それは結構なことだ。」
二人は顔を見合わせて苦笑いを交わした。



ドアの外では、先ほどのクラヴィスの行動を驚愕をもって見守っていた水と炎の守護聖が立ち聞きを止めて同時に大きく溜息をついていた。
「……昔のことを持ち出されちゃあ、歯が立たないな。」
「結局昔も今も同じようですね、あのお二方は。でもせめてジュリアスさまが少し融通なさればもう少し穏やかになるのでしょうに。」
「おい、それはないぜリュミエール。クラヴィスさまだって今のようにジュリアスさまに対して素直に…」
「しッ!」
少し声高になったオスカーを止め、リュミエールは微笑んで言った。
「光と闇。決して解け合うこともできなければ、決して離れることもできない。同じですね、お二人も。」
「……フッ、おまえも掴めんヤツだな、リュミエール。」
「あなたはわかりやすい方ですよ、オスカー。」
自分たちも似たようなものかな、と、ドアの向こうの二人のように、水と炎の守護聖も思わず苦笑いを交わしたのだった。

おしまい






ふう。やっとクラジュリサイトらしい?お話を書くことが出来ました。
歴史のある二人、というのがウリだと思うので、やっぱり二人の昔話
を少しずつでっち上げて書いていきたいと思います。ちょっと途中ヤ
バい方向に行きかけた時は、自分でも…どうしよう、このまま突っ走
ろうか、とついクラッと来ちゃいました。危ない、危ない。(monaca)