迷いの森
「おまえはどうしていつもそうなのだ!」
宮殿にお馴染みの怒号が響き渡った。
「うるさい。出て行け。」
「クラヴィス!」
「出て行かぬなら私が出て行く。」
「……おまえにはもうなにも言わぬ!」
そう捨て台詞を残しジュリアスはクラヴィスの執務室を出ていった。
宮殿でもう何度も繰り返されたやり取り。
部屋を出て後ろ手に勢いよく扉を閉めたジュリアスは大きな溜息をつく。
(クラヴィス…どうしてそなたは…)
(私は精一杯そなたを理解しようとしているのに、そなたはどうして…)
(もうよい、もうあの者のことなど放っておけばよいのだ。)
自問自答を繰り返し、何度もジュリアスは頭を振る。そして重い足取りで、自分の執務室のドアの前に行きしばらく考えていたが、そのまま中に入らずに外へとつながる階段を降りていった。
クラヴィスはジュリアスが乱暴に閉めていったドアを眺めた。そして呆れたように一つ息をつくと、そのまま椅子に深く座りなおし目を閉じた。
クラヴィスは深い森にいた。
ここには見覚えがある。
ふと気がつくと地面が妙にに近いところにある。
枝を掻き分ける手も小さい。まるで子供だ。
いや…まるで、ではない。子供なのだ。どう言うわけかクラヴィスは子供になっていた。
(夢か…。)
やっと状況に気づいたと言うべきか、クラヴィスは昔の夢を見ていることを自覚した。
(そうか…。ここは迷いの森なのだな。)
迷いの森。子供が一人で入って無事で出てこられるような森ではない。もちろん彼は大人たちに固く立ち入りを止められていた。
だが……。
クラヴィスは行ったことがある。
もう出て来られなくともよかった。出て来ないつもりだった。
それなのに……。
「クラヴィスさま?」
クラヴィスの眠りはリュミエールの静かな声によって覚まされた。
「お寝みのところ恐れ入ります。あの、もう夕刻になるのですがジュリアスさまがお見えになりません。ランディが昼前にクラヴィスさまのお部屋でジュリアスさまが大きなお声を出されていたのを聞いていますが、そのあとの消息が掴めません。
クラヴィスさまにお心当たりはございませんでしょうか。」
「……知らぬな。」
「なにか、手掛かりだけでもよろしいのです。ジュリアスさまがどなたにもなにもおっしゃらずに半日もお見えにならないというので、皆心配しております。」
「知らぬ。あれは勝手に腹を立てて出ていった。それだけだ。心当たりも何も、ない。」
クラヴィスの答えはそっけなかった。リュミエールは落胆の溜息と共にクラヴィスの部屋を出ていった。
(ジュリアスが行方知れず、だと?まったく、何をやっているのだ。)
クラヴィスは面倒くさそうに立ち上がると、部屋の隅においてある長椅子に移動して、どっかりと横になり再び目を閉じた。
「クラヴィス!」
何だ?
「クラヴィース!」
大きな声だ。
「クラヴィス!返事をせぬか!」
ジュリアスか。あれの大声には困ったものだ。まったく、場所というものもわきまえぬ…
「クラヴィス!どこにいる…っ!」
騒々しい。おまえこそいったいどこで私を呼んでいるのだ。だいたいここはどこだ。
(森だ…。また、迷いの森にいるのだ。)
(そう言えば、あの時もあれがこうして大声を張り上げていたな。)
よく見ればまた子供になっている。いったい何故、このような夢ばかり…。
「クラヴィスさま!」
「クラヴィス、起きてください!」
「……ん?」
クラヴィスが目を開けると、目の前にずいぶん慌てた様子のオスカーとルヴァが立っていた…と、認識するまでに多少の時間がかかりはしたが。
「なんだ、騒々しい。」
「え〜、大変なんですよクラヴィス。ジュリアスがまだ帰ってこないのです。私邸にも、執務室にも、もちろん陛下のところにもいません。」
「クラヴィスさま。本当にお心当たりはないのですか?」
「……ないといっている…。」
「ですが!」
「くどい…」
「オスカー、仕方がありません。あ〜、私たちでもっとよく探しましょう。」
「ルヴァ……、わかった。失礼いたします、クラヴィスさま。」
二人が部屋を出ていったあと、クラヴィスは時計を見た。もう深夜である。
……いったいジュリアスは…こんな時間まで何をやっているのだ。
(…ヴィス…)
「誰だ?」
(クラヴィース!)
「……!…ジュリアスか?」
(クラヴィス!)
「ジュリアスか!どこにいるのだ!」
(クラヴィス!返事をせぬか!)
「おまえこそ……!?」
そこでクラヴィスは気がつく。
(クラヴィス!どこにいる…っ!)
「……迷いの森か!?」
クラヴィスは長椅子から立ち上がると部屋を後にし、宮殿の裏、迷いの森の奥に向かって歩いて行った。
迷いの森は暗闇の中にある。
夜なのだから当たり前のようだがそうではない。
闇の守護聖であるクラヴィスにはわかる。ここは真の闇だ。わずかだが月の光や宮殿の明かりが差しこむ場所もあり、目には薄明るい場所もある。だが、心にとっては真の闇である。聖地の闇が凝縮している、そう表現するのが相応しい場所だ。
ここに来ればわかる。もっとも一般の人間は立ち入ることも出来ない。何かの力に阻まれる。入れるのはサクリアを持った者だけだろう。
そして味わうのだ。サクリアを持った者の、孤独、絶望…そう、昔聖地に入りこんだ魔性のものが糧としたような、闇の属性のものたちばかりを。
だが、クラヴィスは感じる。この森には相応しくないもの。
光。光の属性の力。
「ジュリアス!」
クラヴィスが森に入って15分も歩いた頃か。闇に沈む森がそこだけ光っている。光は……地面から出ている。
「ジュリアス、そこにいるのか!?」
「……クラヴィスか?!」
地面の下から声がした。地面に大きな穴が開いている。
クラヴィスはその縁あたりに膝をついて覗き込んだ。
だが、光っているのは現実の光ではない。穴は深く、この闇の中ではまったくの暗闇である。穴…それすらも実態が掴めない。サクリアの放出の加減であまり大きな穴でない事はわかるが…の中はまったく見えない。
「ジュリアス、いるのだな。穴はどれくらい深いのだ。」
クラヴィスは穴に向かってそう呼ばわった。
クラヴィスが来た。過ってこの穴に落ちてからもう半日も経っているのだろうか。ジュリアスはしかしまったく絶望はしていなかった。サクリアがある限り、いつかは誰かが気がつく。それまで何とかして生き延びていればよい。さすがに空腹感は否めないが、まだまだ余力があった。
だが、思ったより早く、しかもクラヴィス一人が現われるとは。
「クラヴィス。一人なのだな?何故ここがわかった。」
「そんなことはいい、質問に答えろ。」
「……私の背丈の倍ほどだ。」
「そこから私が見えるか?」
「影くらいは見える…だが気をつけろ、穴は中が広い。周りの地面も思いの他脆いかも知れぬ。あまり縁のほうまで寄るな。そなたまで落ちてしまうぞ。」
「……落ちたのか。」
「…当たり前だ!このようなところに自分から入る奴がいるか。」
「怪我はないのか?」
「かすり傷ほどだ。大事無い。少し足をひねったようだが、しばらくじっとしていたら痛みもおさまってしまった。」
「そうか。だが自力では出られないのだろう?」
「…無理のようだ。朝になったらオスカーでも寄越してくれればよい。そなたは宮殿に帰って私の無事を伝えてくれ。」
「断る。」
「何だと?」
「………」
「クラヴィス?」
返事はない。
「クラヴィス!どうしたのだ、クラヴィス!」
だが返事はなかった。まあいい。どうせクラヴィスなど当てにしていない。もう一日も待てば誰かが…。と、そのときジュリアスの後ろで音がした。
ガサッ。
(なんだ。)
その、草木を掻き分けるような音はどんどん大きくなる。
(誰かいるのか?まさか、獣ではあるまいな?)
落ちた時から穴の中がよく見えたわけではない。薄暗いその中をジュリアスはすべてにわたって調べたわけではないのだ。
と、その時ジュリアスの脳裏になにかが閃いた。軽い頭痛がした。既視感。
(この穴に落ちたのは初めてではない?)
ガサガサッ!
今までで一番大きな音と共に、どん、と背中に何かがぶつかった。その感触。重なる布地の感触だ。それは獣などではなく…。
「クラヴィスか!?」
言いながらジュリアスは振り向く。
「………」
「返事をしろ。黙っていてはわから……!」
ジュリアスの唇になにかが触れた。それは指のようでもあり…。
「耳元で大きな声を出すな。おまえの声は大きすぎる。」
唇の『感触』はほんの一瞬だった。ジュリアスは二本の指で自分の唇に触れてみる。
「どうした。私がどうやってここに来たのかわからんのか?」
「近くに入り口があったのか。だが何故そんなことを…」
「知っているのか、と言いたいのだな。まあ、おまえはあの時のことをきれいさっぱり忘れてしまったようだからな。」
「あの時?」
「クラヴィース!」
森の奥深く分け入って、もう帰らないつもりだった幼いクラヴィスを、ジュリアスは探しに来た。クラヴィスは逃げた。
(いやだ。聖地なんて、守護聖なんて嫌いだ!もう、僕は戻らないんだ。)
「クラヴィス!返事をしろ!」
(ジュリアス、来るな!僕を見つけるな!)
「クラヴィス!どこにいる…っ!」
ジュリアスの声がいきなり途切れる。クラヴィスは声のした方を振り向く。声はもうしない。いくら待っても聞こえない。
「………ジュリアス?」
森の中には遠く鳥の声と木々のざわめきが聞こえるだけだ。
「ジュリアス!どうしたの?」
クラヴィスは大きな不安に襲われた。ジュリアスが変だ。ジュリアスになにかあったのだ。クラヴィスは踵を返すと、ジュリアスの声のした方に歩き出した。
少し歩くと木の根元に穴が開いている。クラヴィスにはその穴がぼうっと光っているように見えた。そうっと、膝をついてその穴を覗きこむ。
穴の中で、ジュリアスが横たわっていた。でも薄暗くてあまりよく見えない。ジュリアスは生きているのか?怪我はないのか?
クラヴィスはあたりを見まわした。なにか長い紐のようなものは…いや、紐があってもどうやって降りるとか引き上げるとかすればいいのか。子供一人で何ができるのか。
そう思って見てみると近くに小さな窪地がある。クラヴィスは駈け寄って小さな崖を滑り降りた。
「あった!」
横穴である。クラヴィスは木の根っこに躓きながらもその奥へと入って行った。
「ジュリアス!」
だがジュリアスは動かない。穴の中は外から光が入ってくるのでいくらか明るい。クラヴィスはジュリアスを揺り動かしてみる。ジュリアスは額を少し切っているようだが他に外傷らしいものは見当たらなかった。
「う…ん…」
ジュリアスが小さくうめいたので、クラヴィスは安堵の溜息をついた。そしてジュリアスを抱き起こし、肩に背負うようにして引き摺りながら、穴の外へと歩き出した。
結局クラヴィスは森の外に戻った。子供には困難なはずの帰り道も、ジュリアスの光のサクリアが聖地に満ちる他のサクリアと引き合うのを辿っていけば容易いことだった。
森を出たところでクラヴィスはジュリアスをその場に横たえ、宮殿に走って行った。
クラヴィスの知らせにより大人たちがジュリアスを連れかえったが、丸一日たってやっと目覚めたジュリアスは、クラヴィスを追って森に入った記憶をまったく失っていた。
それはクラヴィスにとって好都合であった。迷いの森に入ったこと、帰るつもりでなかった聖地に帰って来たことを、誰にも気づかれずに済んだから。
そしてクラヴィスはもう森には行かなかった。またジュリアスを巻き込むのがいやだったからかもしれない。
きっとまたジュリアスは自分を探しに来るはずだから。
そしてその事件は、クラヴィスの胸だけにしまわれたのである。
クラヴィスはなにも答えない。あの時、とは?
なにかが記憶の底で閃くのだが、思い出そうとすると頭が痛む。
(私は以前、ここに来たことがある。ここに落ちたことがあるような気がする。)
クラヴィスはその時のことを言っているのだろう。だが自分の記憶はぼやけて見えない。
(構わぬ。これ以上借りを作ってはたまらぬからな。)
「行くぞ、クラヴィス。ここから…っ!」
ジュリアスはクラヴィスのすぐ後ろに穴があると思い進んでいこうとしたが、なにものかに阻まれた。そう言えばジュリアスには穴の存在がわからなかったのだ。穴の壁いっぱいに生えた草や木の根に隠されていたのだろう。
「何をしている。出口はここだ。」
ジュリアスの背中に覆い被さるように立ったクラヴィスが、手を伸ばしてその穴の前にあるものを掻き分けた。何故この男にはわかるのだ。何故自分にはわからないのだ。
「行くぞ!」
手探りでジュリアスはそこに分け入った。だがまるで思うように進まない。
「痛ッ!」
大きな木の根にでもぶつかったのだろう。額に引っ掻いたような痛みが走った。
「フッ…、いいかげん諦めろ。おまえ一人では無理だ。」
そう言うとクラヴィスはジュリアスを背中から抱きかかえるようにした。
「なッ…何をする、クラヴィス!」
いきなり抱きすくめられたジュリアスはその手を振りほどこうとした。
「おとなしくしていろ。外に出るまでに二目と見られぬ顔になっても知らぬぞ。」
ジュリアスの体は、どうやらクラヴィスの衣の大きな袖にくるまれるような恰好になっているらしかった。
温かい安らぎのサクリアがジュリアスを包む。
(なんにせよ、助けに来てくれたのだ。)
ジュリアスの心がどんどん温かさに満たされて行く。本当に不安がなかったはずはない。もしかしたら助けなど来ないかもしれない…そんな気持ちがまったくなかったと言ったら嘘なのだ。だがクラヴィスは来てくれた。
「外に出たぞ。」
すうっと、ジュリアスを覆っていた布の感触が消え、ジュリアスの顔にひんやりとした森の空気が触れる。
「少し、疲れた。ここで休んで行ってよいか?クラヴィス。」
「勝手にしろ。」
二人はそこに座りこんだ。ジュリアスは少し眠ろうと目を瞑った。
「………夜が…明ける。」
その声に目を覚まし、上の方を見ると、森の木々の上の空は少し白んで来ている。
いつの間にかジュリアスはクラヴィスの肩にもたれて眠っていたようだ。
「重かったぞ。」
「……済まぬな。いろいろと迷惑を掛けたようだ。」
「まあこれで、借りは返したからな。」
「??…借り?」
クラヴィスは笑っているようだ。ジュリアスは何がなんだかわからなかったが、どうやら貸し借りはなしのようなのでまあ良いか、と思った。
「ボロボロだな。」
その言葉に、自分の衣装を見ると確かに薄汚れてあちこち綻びや破れだらけのようである。
「そなたも、人のことは言えぬようだな。」
ジュリアスはクラヴィスを見てそう言った。クラヴィスは顔も引っ掻き傷だらけのようである。無論、二目と見られぬようなことはないが。
互いに苦笑いをしつつ、二人は森の外へと向かって行く。
「何故こんなところに入ったのだ?」
「………何故…であろうか。一人になりたかった…のかも知れぬ。」
「…かも知れぬ、とはいいかげんだな。」
「何故か、森が呼んでいるような気がしたのだ。」
何故そう思ったのだろうか。クラヴィスのことなど忘れたい、と思って当てもなく歩いていたのだ。そうしたらいつの間にか…?
「闇に呼ばれたのだ、きっと…な。」
「私が、闇に?」
ジュリアスは否定できなかった。そうかもしれない。もしかすると、それどころか闇に惹かれたのかもしれない。
「もうすぐ外だな。」
クラヴィスの声にはっと前を見ると、木々の間から宮殿が見える。人のざわめきも聞こえる。もしかすると、私を?
「おまえを探しに行こうとしているようだな。早く顔を見せてやれ。」
ジュリアスはその言葉に弾かれるように外へと急いだ。眩しい朝の光がジュリアスを包む。
だが一瞬。ジュリアスは闇から光へと戻って来たことに言いようのない寂しさを覚えた。
守護聖たちの歓声を受けながら、ジュリアスは森と、森の前に立つ闇の守護聖を顧みた。
クラヴィスにはわかった。ジュリアスが闇に呼ばれたことが。
わかるのだ。自分もまた、そうであるから。
自分もいつも光を追い求めているから。
クラヴィスは、自分の手の中に包み込んだ光のぬくもりを思い出しつつ、森を見やった。
(戻ってきて、よかったのだ。あれにはやはり光の世界が相応しい。)
そして自分も。あの時、ジュリアスが追って来なければ自分はとうにこの世の者ではなかっただろう。
今、クラヴィスは生きていてよかったと思う。ここにはジュリアスがいる。
決して自分のものにはならない光だけれど。
決して自分のものにしてはならない光だけれど。
自分を見つめるジュリアスの視線に気がついて、クラヴィスは少し微笑んだ。
END
なんか…甘いかもしれない…(^^; こう言うのを甘いと言う
のかもしれない。と、思っちゃいました。いわゆる甘々では
ないけれど…でも、なんか、好き合ってるじゃん、この二人
〜(^^; どんなもんでございましょう。(monaca)