クリムゾン 1
この緋(あか)に染まりたい、と、ジュリアスは思った。
光の守護聖ジュリアスと炎の守護聖オスカーは女王の命により、とある辺境の惑星に派遣された。
光と炎のサクリアを必要とする惑星。それは内乱などにより、民が疲れ果て、自信をなくして立ち上がる気力もなくしているような星だ。
まず彼らのサクリアで立ち直りの気力を与え、次いで闇や水のサクリアで癒しを与える。
…そう言う星への対処はそのようなものである。
そして守護聖自らが送り込まれるというのは辺境過ぎて主星からのサクリアの効果が出にくいという場合がほとんどで、今回のケースもそう言ったものだった。
彼らはもちろん手早く任務をこなし、それは順調に終わりに近づいた。だがそれは終わりにはほど遠いことと彼らはすぐに知ることとなる。
サクリアを与えるだけの任務ならなんの問題もない。しかしサクリアが民たちや疲弊した惑星に力を及ぼすのにはそれなりの時間がかかる。
彼らはだからそれだけではない調停役という任務も仰せつかっているわけだ。
しかし内戦によって乱れた人心はそう簡単に人の言葉を寄せ付けない。そう、彼らは神ではない。人なのだ。
「……どうしますか?…彼らが俺たちを簡単に解放すると思いますか?ジュリアスさま。」
「いや、そう簡単にここを出られると思わぬ方が良いようだ。強引に出ようと思えば出られようが、無駄な争いは起こさぬが良い。」
そう言ってジュリアスは小さく溜息をつき、与えられた部屋の薄汚いソファに腰掛け、それでも凛とした姿勢を崩さない。そんなジュリアスをオスカーは少し眩しく見つめ、そして丸めかけた背中をしゃんと伸ばした。
ふたりは反政府運動のリーダーのところに調停のためにやって来た。もちろん守護聖の身分は明かさず、ただ主星からの女王の使者として。
案の定交渉はうまく行かなかった。ジュリアスは心を尽くして説得をしたが、彼らはすでに聞く耳を持っていなかった。
「……私はあまり争いごとをの調停には向かぬのかもしれぬな。」
ジュリアスが苦笑いをしながらそう言った。
「どうしてですか?ジュリアスさまのご説得は、俺にはとても心に響きました。ジュリアスさまのせいでは…なんであいつら……もうなにを言っても無駄なのか……?」
オスカーは本心からそう言ったつもりだが、それは少々買い被りだ、とジュリアスは笑った。
「私はリュミエールのように争いごとは嫌いだ、などとは申したりはせぬ。だが今まで何かあっても私の立場に力がありすぎるとか、私の態度がこう…つまり、守護聖同士ならいざ知らず、私の意見が通らぬと言うことはあまりなかったのだ。…そんな立場の人間に自分の志を曲げて争いをやめろと説得するのはあまり向いていないような気がするのだ。…弱い立場の者の気持ちが、私にはあまり理解できないのではないかな。……そう思わぬか?オスカー。」
オスカーはジュリアスがそんな考え方をするようになったのか、と驚いた。と、同時にジュリアスの考えが正しいような気がした。もっともそれは主観でしかないのだから、本当の理由はわかりはしないのだが。
反政府運動のリーダーたちは、そう言うわけで彼らふたりを自分たちのアジトの小さな部屋に押し込めた。鍵はかかっていないが扉の外には兵士が交代で詰めている。軟禁状態である。
もちろん本気を出せばふたりはこんな部屋を出ることは出来ただろう。ふたりの武力だけでは少々無理はあるかもしれないが(相手は多人数であるから)、守護聖の身分を明かすこと、最終手段としてサクリアを武器として使うこと。
だがもちろんまだその時ではないと思っていたので、彼らはこんな待遇を甘んじて受けていたのであった。
それにもっとも心強いことに、ジュリアスはオスカーが、オスカーはジュリアスが共にいると言うことをお互い、とても幸運と思っていた。
「さて、これからどうすれば良いかな。どう思う?オスカー。」
「……そう……ですね、まあ…やはり穏便に説得するしかないのでしょうね。」
「確かに……せめてここから出られぬことには……な。あまり時間がかかると主星が動く。…そうなると面倒だ。とにかく……」
ジュリアスがそこまで言ったときに、いきなり鈍い爆発音と、ズシンとした衝撃が彼らを捕らえた。続けて起きる悲鳴と混乱。
「……爆発?……ジュリアスさま、これはいったい……」
「…破壊活動か?……しかしここは反体制側の陣地だ。逆ならばまだ理解できるが……」
「俺たちだけを狙ったとかではないでしょうね。」
「…わからぬ。ただ、今の爆発で我々には直接被害はないようだが…。」
そう言いはしたが、ふたりとも次第に鼻孔をつく硝煙と煙の臭いに気がつく。
「……火事…でしょうね、これは。仕方がありません、脱出しましょう。」
「そうだな。とりあえず生命の安全を確保するのが第一だ。」
そう言ってふたりはソファから立ち上がり、扉へと急いだ。
ジュリアスがドアノブを握って、かちゃりと回転させる。
だが、その刹那…オスカーの脳裏に恐ろしい予感が閃く。
それは自分の属性のもっとも恐ろしい力。破壊と消滅の力。
「ジュリアスさま、ダメです!!」
そう言うが早いかオスカーはジュリアスの手からドアノブを奪い、ジュリアスを突き飛ばすように後方に押しやり、自身が盾になることを望んだ。
そしてその通りになった。
ジュリアスが僅かに開けたドアの隙間から、今までいた部屋の空気が廊下に流れる。
爆発音。
炎と破片。
「オスカー!!」
「……!…ジュリアスさまッ!…窓……窓から!」
「わかった!…だがオスカー、そなた……っ…」
「大丈夫です、少し火傷をしただけ……っ…」
ジュリアスはオスカーを気遣いながらも、逃げ損なってふたりともここで死んでしまっては元も子もないことを思う。そしてオスカーを抱えるようにして窓際に急ぎ、窓を開け放つ。幸いふたりともスーツ状の平服なので動き難くはない。
「…ロープを作っている暇はなさそうだな…飛び降りるぞ、オスカー!」
「わかりました、ジュリアスさま…っ!」
開け放った窓から階下の生け垣を目掛け、ふたりは飛び降りた。
「オスカー……オスカー!?」
「……」
「しっかりせよ、オスカー!」
「……ジュリ……アスさま…」
「…気がついたか、オスカー。」
「お怪我は……?…ジュリアス…さま…」
「自分の心配をせよ、オスカー。私は大事ない、かすり傷だ。」
「よかった…」
「……ここから脱出する。幸い彼らは逃げることに夢中で我々のことまで構っていられぬようだ。…私の肩に掴まるのだ、良いな?」
「は、はい……」
ジュリアスはオスカーを背負うように立ち上がると、周りを見渡す。そして人気のない一角を見いだし、そこに向かって走った。
ジュリアスがやっと安全と思われるところに到達して、ゆっくりと肩からオスカーを下ろす。
「オスカー。オスカー!…しっかりせよ、オスカー!」
しかしオスカーは目を閉じたままだ。口は小さく開き、そこから辛うじて呼吸はしているようだが、どうやら意識はない。ジュリアスは掴んでいたオスカーの腕を離す。そして自分の掌を開き愕然とした。血。夥しい血だ。ジュリアス自身も飛び降りたときにいくつか切り傷や擦り傷を負ってはいる。だがそんなものではない。これはオスカーの血だ。
「オスカー!目を覚ませ、オスカー!」
そう言いながらジュリアスはオスカーの体にまとわりつく焼け焦げたコートを脱がせた。そして傷を確かめる。
顔に軽い火傷といくつかの小さな切り傷。コートは焦げたようだが服はほとんど燃えてはいないようだ。しかし右腋から腕にかけてざっくりと深い傷があり、まだ出血している。もっとよく見ると、15センチくらいの金属片がその傷に突き刺さっているようだ。ドアの部品か何かだろう。このままにしておくと毒が回るような種類の金属かもしれない。
(……動脈を切っているかもしれぬ……。このままでは……)
ジュリアスは自分のシャツのボウタイを外すとそれをオスカーの右肩の当たりにきつく巻き付けた。
「う……」
オスカーが小さく呻く。
「オスカー、気がついたか!」
「ジュ…リ…アス……さま…ご無事で…」
「私のことなど気遣うな、オスカー。とにかく血を止めて破片を抜く。痛むかもしれぬが辛抱せよ、良いな?」
「は…い。」
ジュリアスはボウタイをぐるぐるときつく巻き付けて縛り、そっと傷口に刺さっている破片に手をかける。
「ウッ……」
「すまぬ、辛抱してくれ。」
ジュリアスはゆっくりとそれを引き抜く。しかしかなり複雑な形になっているその破片はするりと抜ける、というわけにはいかなかった。少し引き抜くたびにオスカーの体は大きく震え、その顔に苦痛の表情が満ちる。
「あ……ッ」
ジュリアスはオスカーが苦痛を表すたび己が身を引き裂かれるような気がした。
「許せ、オスカー。私の為に……」
そう言いながらジュリアスが破片をすっかり抜き終わる頃にはジュリアスの頬は涙に濡れていた。オスカーが薄く目を開けてジュリアスを見、その事実に気がつく。
オスカーの左手がゆっくり伸びてジュリアスの頬に指で触れた。
「ジュリ…アス…さま…泣かないで…ください…。ジュ…リア…、ス…さまが…ご無事で…本当に…よか……た…」
「オスカー…」
「疲れ…た…、すこし……ねむ…らせて…くださ…」
そう言ってオスカーは目を閉じる。ジュリアスはぎくっとしてオスカーの唇に手をやる。そしてそこに小さな息遣いがあるのを認めて、ほうッ、と溜息をついた。
しかし…、と、ジュリアスは思う。
(だがいつまでもここにいるわけにはいくまい。それに発見された場合の彼らの反応の予想が付かない。…移動した方が…。)
確かにそうなのだが、この状態でオスカーを動かすことは大変危険に思えた。
何とかしなければ。
せめて主星と連絡の付くところまで移動しなければ。
主星と連絡を取らなければ。
だがオスカーは動かすわけにはいかぬ。
…しかしまさかここに置いていくわけにもいかぬ。
ジュリアスはたった一つの方法を考えついた。
それしかない。
ここまでこの星の内乱を鎮めるためにしてきた努力は水泡に帰してしまうかもしれない。だが炎のサクリアを永遠に失ってしまうより恐ろしいことがあるはずはないのだ。
ジュリアスはその場にオスカーを横たえる。そしてこれから起こるかもしれないことを思いやって、少し傷口を縛るボウタイを緩めた。もし自分に何かあった場合、血止めの圧迫が却って災いになる可能性もあるからだ。
そして立ち上がり、天を仰いだ。
ジュリアスの全身全霊を懸けた非常に強い大量の、しかし集中した光のサクリアが、主星を目掛けて放出された。それは本来のサクリアの使用目的とは違う、誰も試したことがない、それ故に明らかに危険な使い方であった。
サクリアの放出が終わり、程なくジュリアスの体はその場に崩れ落ちたのだった。
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