クリムゾン 2



「……ん……だ…れ…?……ア…ス…さま…?」
オスカーがその重い瞼を開こうとする。その霞んだ視線の先に、金色の髪が見える。
「ジュリ……」
「…残念だけど。」
「……?…!?」
「私だよ、オスカー。」
「…オリ……ヴィエ?」
「そっ。心配したよ、やっとお目覚めだね。」
「ここ……は?」
「主星だよ。陛下が時空の扉を開いてね、なんとかあんたたちを連れ帰って来たんだよ。……なにがあったか覚えてる?」
「……あ…ああ…?」
「あんたはテロの爆発に巻き込まれて大怪我したんだよ。出血多量でヤバかったけど、もう大丈夫だからね。」
「……ああ…そう言えば……?…!…ジュリアスさまは?!」
オスカーはそう言ってオリヴィエの顔を見、そして一瞬の表情の翳りを見逃しはしなかった。
「ジュリアスさまはッ?!」
「……わかんないよ。」
「…何だって?」
「わかんないんだ、正直言って。前例がなくってさ。今ルヴァとか必死になって文献を調べているみたいだけど、まだわかんないんだよ。」
「ジュリアスさまにいったいなにが……あッ!」
オリヴィエに掴みかからんばかりの勢いで半身を起こそうとしたオスカーだが、さすがに無理だったらしく、卒倒しそうになったのを、オリヴィエは慌てて抱きとめた。
「落ち着いて、…といっても無理だろうけどさ。ジュリアスはね、眠ってる。」
「眠っ…て……?」
「そ、眠ってるの。あんたがヤバいのを見て、必死にここと連絡を取る方法を考えたんだろうね。すごいサクリアの放出だったよ。あんなのは初めてさ、私も。
夜中でさ、眠ってたんだけど、びっくりして跳ね起きたよ。全身の血が凍るかと思うほど凄まじい念みたいなもんを感じたんだ。……で、私たちが時空の扉を使ってあの星に行ったときは、あんたたちふたりとも完全に意識がなかったんだよ。
あんたたちを軟禁したって言う連中が手当だけはしてくれてたみたいだけどね、なんかずいぶんおとなしくなってたし…。もしかしてもうサクリアの効き目が出てたのかもしれないよ。
…でも正直、あんたたちはもうダメだと思った。ふたりとも死人みたいに冷たくなってたからね。…あんただけでも目が覚めて、本当に良かったよ……。」
オリヴィエは少し涙ぐんでいるようだった。だがオスカーはもちろんそれどころではない。
「ジュリアスさまが…ジュリアスさまが……お、俺一人…助かったって……ッ!」
オリヴィエは慌ててオスカーを押さえつける。
「ご、ごめん、オスカー、あんたって……、大丈夫、ジュリアスが死ぬわけないって、絶対大丈夫だって!怪我はほとんどしてないみたいだし、きっと疲れているだけだって。」
「ジュリ……」
「落ち着いて、オスカー!」
「……アス…さま……」
「オスカー……」
オスカーはそのまま目を閉じて、再び眠ったようだった。
「…はあ、まだ薬が効いているようだね…。…それにしても……」
オリヴィエはそう呟くと、扉一つ隔てたジュリアスの眠る部屋の方を見やった。


「リュミエールさま、ジュリアスさまの御容態はどうですか?」
「ああ、ランディ。ええ……まだ、眠ってらっしゃいます。」
「今、ルヴァさまのところに行って来たんですけど、まだ記録は見つからないみたいです。」
「…そう、ですか。」
ジュリアスの眠る部屋ではリュミエールがその枕元についている。ランディは先ほどから資料室のルヴァとリュミエールの間を往復しているようだった。と、そこに隣の部屋の様子をうかがっていたマルセルが寄って来て、小さな声で告げる。
「…オスカーさまが気が付かれたようですよ。」
「…そうですか……!…ああ、良かった。ありがとう、マルセル。」
「本当か、マルセル。じゃあ俺たちも……」
「ダメだよ、ランディ。まだ僕たちが面会出来るほど回復しているわけがないじゃないか。それにまた眠ったみたいだよ。いま扉を閉めたからもう何も聞こえないけど。」
「……?…そうなのか?」
「うん、目が覚めてすぐ、ジュリアスさまのことを呼んでらしたみたいだけど……」
「……そうか……心配だよなあ、オスカーさま。」
ふうっと溜息をつき、リュミエールが言う。
「……ジュリアスさまがお目覚めになるのがオスカーにとって一番の薬なのでしょうけれど……いったい、どうなってしまうのでしょうね……」
「……ジュリアスが死ぬわけないじゃんよ。」
ぼそっとそう呟く声と共に、廊下と繋がる扉からゼフェルが入って来た。
「……ゼフェル…」
「こいつが死ぬわけないじゃん。殺したって死なねえよ、こういうヤツは。……オスカーもだけどよ。」
「ふふ、相変わらず素直じゃないんだから、ゼフェルは。」
「……んだよ、うるせえな、マルセル。」
「…うるせえじゃないだろ、ゼフェル。おまえってヤツはふつうの口がきけないのか?」
「黙れ、ランディ野郎。おまえが言うとムカつくんだよ。」
「何だって……!?」
「……お静かに!ランディ、ゼフェル。」
「……リュミエールさま、ごめんなさい。ふたりとも、静かにして!」
リュミエールは気を取り直したように笑顔を作る。
「マルセル、ランディ、それにゼフェル。…大丈夫ですよ、きっともう少ししたら何事もなかったように目を覚ますに違いありません。」
「そうだな、それでここで大騒ぎしたって言って、またオレたちに小言を言うに決まってるんだぜ。へっ、……心配するだけバカバカしいって。帰るぜ、オレは。」
「あ、待ってよお、ゼフェル!ランディ、ぼくたちももう帰ろう。リュミエールさま、あとはよろしくお願いします。」
「…って、マルセル!…えと、じゃあ、よろしく。」
「ええランディ。ジュリアスさまが気が付かれたらすぐに連絡しますからね。」
「お願いします。」
リュミエールは椅子にかけ直して、ほっと一息ついた。ゼフェルの言葉が彼らの緊張を和らげたのは確かなようだ。

リュミエールはクラヴィスが今度の事件でさほど動揺をしていなかったことを思い出していた。

『騒ぐほどのことでもあるまい。あれは働き過ぎだ、少しは寝た方が良かろう。それにオスカーも血の気の多い男だから心配はいるまい。』

クラヴィスは平然とそう言い放って、いつものように部屋に籠もってしまった。リュミエールはオスカーはともかくも何故ジュリアスのことを心配しないのだ、と少し哀しくなったことが今になってバカバカしいことのように思えて来た。
「ふふ、そうですね、ジュリアスさまやオスカーがこんなことに負けたりするはずはないのですよね。……きっと、クラヴィスさまもそう思ってらっしゃるに違いありません。」

そう独り言を言って、リュミエールはベッドサイドの小さな椅子から、奥にあるゆったりしたソファに掛け直した。もう心配はいらない、彼も何故だかそう思ったのであった。


そのままリュミエールが眠ってしまったことに気が付いたのは、時計によればそれから小一時間ほど経ったときだ。
「……ジュリアスさま?!」
目を覚ましたリュミエールはびっくりしてベッドを見た。ジュリアスがいない。
リュミエールは跳ねるように立ち上がると慌てて隣の部屋に行こうとした。だがその肩をむんず、と掴んだ者がいる。
「…オリヴィエ?」
「しっ……!…そっとしといてあげなよ。」
そう言ってオリヴィエはホンの僅かに開いた扉の隙間を指さした。
リュミエールがそっと覗くと、ジュリアスがオスカーの枕元に立って、その寝顔を見つめているところだった。
「…ジュリアスさま…、よかった。」
「ふふ、そう言うわけで、おじゃま虫は退散しよってこと。」
オリヴィエはそっと扉を閉じると、敵わない、と言いたげに両手を開いて首を振った。リュミエールもつられて苦笑いする。
「お茶でも入れましょうか。」
「…そうしてくれる?ああ、バカバカしい。心配して損しちゃった。」
リュミエールは微笑んで、人差し指を唇の前に立てた。オリヴィエは黙ってコクコクと笑いながら頷いたのだった。



ジュリアスは眠るオスカーを見つめている。その顔色はまだ少し青いが、すでに背筋を伸ばししゃんとして立つ姿はすでにジュリアスの状態が決して悪くはないことを物語っているようだ。
ジュリアスはその長い指でオスカーの髪をそっと梳く。そして少しやつれた頬を愛おしそうにさする。更に、今は白く血の気の失せたその唇に指で触れる。


そしてそっと、くちづける。
唇が触れあうだけの、それは禁欲的(ストイック)なキス。


ジュリアスの瞳に光るものが浮かぶ。
それは大粒の真珠のように膨らんで、重力に耐えきれず瞳の縁からオスカーに向かって落下し、その白い頬を濡らした。
そのとき、オスカーの睫毛が僅かに揺れる。そしてその瞼の下から氷蒼色の瞳が現れた。
「オスカー……。」
「…ジュリ……アス…さま…?」
「オスカー。よく死なずにいてくれた。礼を言うぞ……っ……」
オスカーの頬に更にいくつかの雫が滴り落ちる。ジュリアスはその大きな手で顔を覆って泣き始めた。
しばらく涙は止まりそうもない。




結局ジュリアスの行動はあの場合適切だったという女王陛下の判断により、お咎めなし、と言うことになった。
もっともあのサクリア放出が結果的に惑星の民の荒んだ心を立ち直らせ、ジュリアスたちを救うことになったのは皮肉と言っていいことなのかもしれない。

「結局、あなたはがんばりすぎてしまうのですよ、ジュリアス。」
そうルヴァは言って、ジュリアスの肩をぽんぽん、と叩いた。
「ああ見えてもみんな本気であなたの無事を祈ってましたよ。」
「…ああ、わかっている。すまなかった。」
「ふふ、オスカーも早く元気になるといいですね。」
ルヴァは結局徒労に終わった資料調べも苦にしていない様子で、女王の最終判断をジュリアスに伝えに来たのだった。
ジュリアスはもうほとんど元気になっていたが、強制的に二日間の休みを取らされていて、今日がその二日目なのだ。
「じゃあ、明日。宮殿でお待ちしていますよ。」
ルヴァはなんだか楽しそうに部屋を出て行った。

ジュリアスは溜息をついて、部屋の奥を見る。
そこにはベッドがあって、オスカーが寝ながらジュリアスの方を見ている。
「良かったですね、お咎めなしで。」
「……ああ、そうだな。」
ジュリアスはそのままじっとオスカーを見つめている。
それに気づいたオスカーもジュリアスを見つめた。

ジュリアスはオスカーに一歩一歩近づいて行く。そして枕元に立つと、オスカーの髪に触れ、頬に触れ、唇に触れる。
「ジュリアスさま……」
ジュリアスはなにも言わずにオスカーの頬を両掌で挟み、そのまま屈み込んでくちづけた。
「んん……っ…」
ふたりは、今度はしっかりとくちづけを交わした。お互いの口腔を味わいながら、息が苦しくなるまでそれを続けた。
「はっ……ああ…ッ」
やっとくちづけから解放され、オスカーは大きく息を弾ませた。だがジュリアスは押し黙ったまま、今度は首筋を、痛んでいない方の肩を、そして襟元を開き、その下の肌まで味わいはじめた。その指も容赦なくオスカーの体中を這い回る。
「あ、あッ……はう…ん、ジュ…っ…ジュリアスさまっ……ああ…」
ジュリアスの指はだんだん降りて来て、ついには下履きの上からその部分に達した。
「……あッ、熱……ッ…」
「ああ…、熱いな…。」
それだけ言うと、ジュリアスはオスカーの胸の突起を舌で転がすように舐め始めた。そして下履きの下に潜り込ませた指で、オスカーを狂うほど責め立てた。
もうだいぶ回復したはずのギプスに覆われた傷が、体を揺さぶることによって生じる鈍い痛みでさえオスカーには快感になるような気がした。

「どうした方が良いか?…オスカー、そなたの望むようにしてやろう…。」
ジュリアスの問いに、オスカーは絞り出すような声で答える。
「ああ、あッ、…もッ……あぁ、あ、…欲し…、ジュリアスさま、…欲しい…ッ…」


ジュリアスはオスカーの欲しいものを与え、ふたりは共に上り詰めるまで愛し合った。



疲れ切って眠るオスカーの瞳に宿る、快感と苦痛が綯い交ぜになった涙を、ジュリアスは指で掬って舐め取りながら思う。


何故ここまで、狂おしいほど私はオスカーが愛しいのだ…、と。

何故私は、オスカーの前では狂ってしまうのだろうか、と。



いつか、時が来ればもっと穏やかに人を愛することが出来るのだろうかと、ジュリアスは思った。オスカーの緋い髪を撫でながら、この緋(あか)に染まってしまいたいといまは思いながら、いつかそのときが来るのを待つしかないのかと。



そうだ、だからいまは緋(あか)に染まれ、ジュリアス。

炎と、血と、情熱の色に。




おしまい。

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