セイランからの贈り物。
ここはアルカディア。玻璃の森、水のほとりにたたずむ一人の青年がいる。襟足で切り揃えられた髪、華奢で優雅なその立ち姿。
その白と水色のコーディネイトも、ガラスで出来たこの森に溶け合って独特な雰囲気を醸し出しているようだ。
―――カシャリ―――
ガラスの森が揺れて小さな音がする。
その音に、その青年が振り向いた。
「…覗きですか?…リュミエールさま?」
そう言って、振り向いた青年―――感性の教官セイランは、右手を顎の辺りに触れる彼の癖を見せながらクスッと笑った。
「すみません。あなたがあまりにこの美しい背景に溶け込んで、まるで一幅の絵のように見えたものですから、見蕩れてしまっていました、セイラン。」
「ふふ、あなただってその水色がガラスに反射して、まるで氷の守護聖のようですよ。」
セイランはちょっと皮肉を込めたつもりだったが、リュミエールは気づいたのか気づいていないのか、軽くいなして言う。
「そうですね、あなたとわたくしがここにいると、なんだかみんな凍ってしまっているようですね。絵だったら寒色系が過ぎて、少し寂しい絵になってしまいますでしょうか。」
「そうかもしれませんね……、って言うより、僕とあなたの組み合わせがすでに寒々しいとは思いませんか?」
リュミエールはそれには答えずクスクスと笑っている。
「……奥に、行きますか?」
「ここは、寒くありませんか?」
「でも別に僕に会いに来たわけではないのでしょう?……ここにいらしたのは。」
「…ええ、とりあえずここの景色をゆっくり見て、また日を改めてスケッチにでも来ようと思っていたのですが……」
「…邪魔者がいた、と言うわけですね。」
「いいえ、とんでもない。あなたに会えて、嬉しいですよ。」
「でも、目的が変わってしまった……?」
セイランはそう言って悪戯っぽく小首を傾げる。
「そう……でしょうか?…あなたは?セイラン。」
「そうですね、僕もなんとなくここに作品のインスピレーションを求めに来たつもりですけれど、……変わってしまったかもしれませんね。」
リュミエールは静かに笑うと、セイランの傍にそっと寄りそう。
「奥に、参りましょうか?」
「いいですね。」
そしてガラスの森はふたりの影をその奥にひととき封じ込めた。
ガラスで出来た木々の葉が揺れてカシャカシャと音を立てている。
「は……ん、ん………っ、はあ、ああ、リュミ…エール、さま…っ…」
セイランは木の幹に掴まったままガクガクと震え、全身の力を抜いてその木に凭れ掛かる。
繋がったままのリュミエールは大きな息を一つつくと、セイランを抱きかかえた。
「…っ……はあ、…セイラン、大丈夫ですか…?」
「んん…ああ…んふ……ん、も…抜いて…?」
「あ、ああ、すみません、…んっ…はあ…っ」
繋がりを解かれたセイランはそのままリュミエールの腕の中に沈み込んだ。
「…セイラン…!」
「あは、…ああ、もう、リュミエール…さまって、…はあ…はあ、駄目、…立っていられない…もう少し…お手…柔らかに…ふう…ああ、やだ、…木が…汚れちゃって…ますよ…」
セイランはほとんど地面に座り込みながら、やっとの思いである場所を指さす。
リュミエールはその場所をみて真っ赤になった。そこにははっきりと、ふたりが愛し合った痕跡が、ガラスの幹と地面に零れている。
「…あ、いけません……。何か、拭く物は……」
「……リュミエールさま…これ……」
セイランはほっそりとしたズボンの妙に膨らんだポケットから、彼には不似合いな薄汚れたぼろ布を引っ張り出す。どうやら絵を描くときに汚れを拭いている布のようだ。結構いろいろなことに無頓着な彼は、時々、そう言うことをする。
「ちょっと、拭いてください。あとは、捨てればいいですから、それ。」
セイランは反対のポケットからもう一枚、こちらはあまり汚れていないぼろ布を引っ張り出し、地面にへたり込んだままごそごそと体を拭い、衣装を直す。
リュミエールは慌ててセイランに言われたとおりにする。その布はよく見ると、いろいろな色の絵の具で汚れていた。絵の具の匂いと、セイランの沙ナツメの香り、それにいろいろな体液の匂いが混じり合って、何とも言えず変な匂いになっているはずのその布に、リュミエールは愛しそうに頬ずりをする。
「……リュミエールさま!…変なこと…しないで早くその布を…ああ、捨てるったって、こんなところに捨てる場所はないのか……。やめてください、リュミエールさま。」
セイランはさすがに恥ずかしくなって、リュミエールを叱るようにそう言う。
「…あ、すみません。…ですが、セイラン、あなたの匂いがします。」
「…信じられない人だなあ、あなたは。汚いですよ、そんな布。それにそんなことしているとあなたが変な趣味の人みたいですよ。」
「変な趣味、ですか…?…そんなつもりは…ただ…。す、すみません…」
リュミエールは真っ赤になってその布を自分の袂に仕舞い込もうとした。
「……ああ、もう。あなたってあんなに大胆に僕を抱くくせに、どうしてそのあとは謝ってばっかりなんですか。…服が汚れます、僕にそれ、返してください。」
そう言ってセイランはリュミエールににじり寄り、その布を引ったくる。
「……う、ひどい匂い。…どこがいいんです、こんなの。」
セイランは怒ったようにそう言って、リュミエールの顔をきっと睨みつけた。だが次の瞬間、あまりに落ち込んだような顔をしている彼を見て、胸にチクッと棘を感じた。
「…どうしたんですか?……リュミエールさま、もしかして泣いてるんですか?」
リュミエールは困ったような顔を上げて言った。
「…泣いてなど……。ただ、あなたがあまりお怒りになるので、申し訳なくて…」
セイランは深い溜息を一つつくと、苦笑いをしてリュミエールの裾を引く。
「ちょっと、僕まだ立ちたくないんで、ここに座ってください。」
「はあ……」
リュミエールがその場に座り込むと、セイランは彼の髪に手を伸ばし、その細い指でその水色の柔らかな髪を梳く。そして撫でるように触る。
「…ん…セイラン…ああ…いい気持ちです。」
「ふふ、こんなことでいちいち感じないでくださいよ、キリがないでしょう。」
「す、すみません。」
「また謝る。」
そう言うとセイランはリュミエールの顔を覗き込み、そのままキスをする。
リュミエールはそれを受けて、セイランの唇を強く吸い、そのまま口腔を貪り始めた。
「……んん…ふ…ッ……あ…ふあ…」
ふたりはそのまま抱きあい、ガラスの地面に倒れ込む。
「セイラン、わたくしの、愛しい、セイラン……」
「リュミエール……さま…ああ……っ…」
こうなるともう歯止めが利かない。セイランは(せっかく…拭いたのに…)と頭の片隅で思いながらそのままガラスの上に転がる。
(でも僕がいけないんだよね…キスなんて、するから。)
硬くて冷たいガラスの上で、水色の二つの影が激しく絡み合う。
「痛……、あ…背中…が、痛いです、リュミ……あ、あッ…」
硬い地面に押しつけられたセイランはかなり痛がる。筋肉と贅肉のほとんど付いていないその体に、この場所は一種の拷問のように感じられる。
「痛い、ああ、痛いっ、やだ、は、はん、やあ…ッ」
やっと、その悲鳴のような声にリュミエールは反応する。すぐに繋がったままセイランを抱きかかえ、そのまま反転して自分が下になる。そして、そのままセイランを強く揺さぶった。
「あ、あああッ……や、あ、もう……僕は…も……ああ……」
セイランが必死で意識を保ちながら何気なく、リュミエールの肩越しにガラスの地面に微かに写った、ぼやけた自分の顔を見る。
(ああ……僕は、この時、こんな顔…してるんだ……)
そしてセイランは、そのまま仰け反って上を向く。空から降り注ぐ光がガラスの葉を通して煌めいている。
(綺麗だな、ここは……綺麗……ああ……)
セイランはその光を見上げながら精一杯の力で自ら動き、そして、登りつめたのだった。
「お目覚めですか?……体は、痛みませんか?」
セイランが目覚めると、見覚えのある部屋。……水の館だ。
「……ああ、僕はまた……(気を失っちゃったのか。)」
見上げると、リュミエールがまたすまなそうな顔で覗き込んでいる。
「すみません。どうしてわたくしは加減が上手に出来ないのでしょう。」
「……そう言うのは、もう諦めてます。僕も嫌いじゃないし。」
「そうかもしれませんけれど、体が、持ちませんでしょう?」
「まあ、いいですよ。あまり長生きしないと思うし。」
「セイラン……!」
リュミエールは真っ青な顔をして引き攣るような声を上げた。セイランは少し驚いて、そして少しだけ後悔した。
「ごめんなさい、冗談ですよ、怒らないでください。」
でもリュミエールの表情は晴れない。下を向いて、涙ぐんでさえいるようだ。
「…もう、今日は触りませんよ。触ったら、…また、したくなっちゃう。もう、限界超してますから本当に体が持ちません。だから、そんな顔をしないでください。またあなたに、触れたくなる。」
「……すみません……」
セイランはそんなリュミエールを、気にしないふりをしてさりげなく話題を変える。
「……さっきの布は、どうしました?」
「あ……、それなら、ここに……」
そう言って、リュミエールは二枚の布を持ち上げる。なんだかさっきより汚れが増しているようだ。いや、またきっとアレとか拭いたんだからますます汚れているはずだ。
「……!!……あなた、まだ捨ててないんですか!?…貸してください!…うちに帰って暖炉にくべてしまいます!……あ、痛ッ!」
セイランは思わず体を起こし掛けて、背中や腰の痛みに顔を顰める。
「セイラン、大丈夫ですか?!」
「…大丈夫じゃありません…!…もうっ……何考えてるんですか!」
セイランはリュミエールの差し出した手から二枚の布を引ったくる。
「……すみません、なんだか、棄て難くって……。わかりました、今ここで燃やします。」
そう言うと、リュミエールはセイランから布を取り返し、その部屋にもある暖炉に投げ入れて、火をつけた。絵の具や何やらの油がもともと染み込んでいるその布は、それなりによく燃え、ふたりはその火が消えるまで、それを黙って見つめていた。
「……僕の匂いが嗅ぎたかったら、いつでも嗅ぎに来てください。……って、なんか変な人クサいですね、やっぱり。ふふ。」
「そうですか?……変ですか?…あなたの匂い、わたくしは大好きですけれど。」
セイランは少し赤くなった。
「この人は、どうしてそう言うことを臆面もなく言うかな。…まあ、それがあなたらしいと言えば、そうですけど。」
「ふふふ、そうですか?」
「…ついでに言えば、僕もリュミエールさまの匂いは好きですよ。」
「ありがとうございます。…でも、どんな匂いですか?」
「………水くさい。」
「………あの…?」
「…冗談です。…絵の具の匂いと、少し白檀の香り。…それはあなたがクラヴィスさまの部屋によく行くからかな?…あと、やっぱり何でかわからないけれど海の匂い。」
「海の……」
「……あなたは僕の住んでた星を知ってる。……でも僕はあなたの生まれた星を知らない。……僕はあなたの生まれた星に行ってみたい。」
「セイラン……」
セイランは小さく息を吸って、吐いて、やっと本当に言いたかったことを言った。
「お誕生日、おめでとうございます。」
おしまい。