「髪型を変えたのですね。」
そう言って、あの人はは僕を見て微笑んだ。
「あなたも、少し短くしたのじゃないですか?リュミエールさま。」
僕も言い返す。まあ、こんなことで張り合ってもしょうがないけどね。
「ええ、束ねているのが少し重く感じるようになったので、毛先を少し切ってみたのですよ。似合いませんか?」
「いいえ、よくお似合いですよ。なんだか少し男らしくなったのじゃないですか?」
「ふふ、それは誉め言葉だと思っていいのですよね?ありがとうございます。」
相変わらず馬鹿っ丁寧な物腰の人だ。僕は懐かしくて目が回りそうだった。



ここは謎の大陸アルカディア。
なんだかよくわからないうちに、僕たちがここに呼ばれてまだ二日目だ。
どうやら、今回もまた女王試験でもないのに僕の力が必要になったらしい。
…と言うより、僕は密かに、あの好奇心旺盛な金の髪の女王陛下が、僕らの顔を見たくて無理やり理由を作ったのじゃないかと思うのだけど……って、それは考えすぎかな。

どうもあの女王陛下は調子が狂う。

……そんなことはどうでもいいんだ。
だって僕は女王陛下にとても感謝しているんだから。
あれから二年半が過ぎている。僕らが旅をして皇帝を倒してから。
リュミエールさまにはたかだか一、二ヶ月のことのようだけど、僕は二年半も……。

「セイラン。」
リュミエールさまは僕を後ろから抱きすくめる。
待ち焦がれた逢瀬に僕の胸が早鐘を打つ。
「抱いて……リュミエールさま…。」
僕はもう、我慢ができなかった。



「この髪の毛は……もしかして、自分で切られたのですか?」
ベッドの中で、リュミエールさまが僕の髪を手で梳きながらそう言った。
「わかりますか?」
「…なんとなく…襟足のあたりが不揃いのような気がしたので…」
すまなそうな声であの人は言う。全く、ベッドの中ではあんなに大胆なのに、どうしてこう普段はいちいち申し訳なさそうに喋るんだろう。面白い人だ。
「そうでしょうね。自分の襟足を切るのは、やっぱり少しコツがいるようですよ。」
二年半もたてば髪はいいかげん伸びるものだ。僕は髪を伸ばす気はさらさらないし、髪を切りに町まで行くのも面倒なので、自分で切ったまでのこと。横の毛は大体うまく行ったんだけど、後ろの毛ががたがたになって、揃えようとしてあちこち切っているうちにだんだん切り過ぎて短くなってしまったし、なんだか段が付いてかさも減ってしまった。
まあ、だいぶ軽くなって僕は気に入っているのだけど、なんだか女の子たち……って言っても女王陛下が二人と補佐官殿が二人、だけどね…は妙にがっかりしたような顔をしていた気がするな。
……まあ、どうでもいいけどね。



「少し、わたくしが揃えてもよろしいでしょうか。」
「……構いませんけど?…今ですか?」
「ええ、もし眠くなければ。」
まだ宵の口だ。まあ、さっき抱かれて少し疲れたけど、眠くなるって時間でもない。
「いいですよ。……お願いします。」
僕はベッドから抜け出して、シャツだけ羽織って、鏡の前にあった椅子に腰掛けた。
リュミエールさまは薄い絹のガウンを羽織り、棚から細身の鋏を探し出す。
「きれいな髪ですね。さらさらして…」
リュミエールさまは僕の髪にくちづけてから丁寧に鋏を入れ始めた。
「お上手ですね。ご自分でもおやりになるのですか?…それともいつも誰かの髪を?」
伏し目がちに笑ったあの人は、ええ、と頷いただけだった。まあ、いいか。
しばらく僕は黙った。リュミエールさまも黙って髪を切っていた。

「できました。こんな感じでよろしいでしょうか?」
「……ああ、ありがとうございます。いいですよ、とっても。」
「切った髪の毛が、肌についてしまいましたね。シャワーでも浴びませんか?」
「一緒に?」
「…よろしければ。」
僕は答える代わりに、あの人の頬とうなじに軽くキスをした。



あの人の長い指がシャワーの蛇口をひねる。温かいお湯が僕とあの人の髪と体を濡らして行く。あの人の唇が僕の唇と重なり、人より少し長めの舌が僕の口の中に入って来た。
「んん……っ」
こんなキスひとつで。
僕はもう、立っていられなくなりそうだ。
「洗って差し上げましょうね。」
あの人が、てのひらにボディシャンプーを取って、そう言った。
僕はシャワー・カーテンを握り締めて、あの人の長い指が体中を這い回る快感に耐えた。
「リュミ……エール…さま…っ」
僕の頭の中がだんだん真っ白になっていくのがわかる。
「あ…ぁ…いい……っ」
ああ、僕は、もう……。



目がさめたとき、僕はベッドの中であの人の腕の中にいた。
分厚いカーテンの隙間から、朝の光が漏れて来る。
僕はあの人を起こさないよう、そっとベッドを抜け出てカーテンを開けた。
少し寒いけれど、とても気持ちがいい。

眩しい朝の光が僕に降り注ぐ。
ああ、そういえば……今日は……。

「セイラン?」
「ああ。起こしてしまいましたか?すみません…。」
「構いませんよ。おはようございます、セイラン。」
「おはようございます、リュミエールさま。」
「…そんな格好で、寒くないのですか?…それに、外から見えてしまいますよ。」
そう、僕はまだ体に何もつけていない。生まれたまんまの姿、と言うやつだ。
「大丈夫ですよ、別に見られたって。ああ、リュミエールさまが困りますね。新しい使用人に、僕との関係がばれたら厭ですものね?」
ちょっと意地悪く言った僕に、あの人は困ったように笑った。
「いいえ、わたくしは構いませんよ。言い触らすことでもないけれど、無理して隠そうとは思いませんから。あなたが寒くないのなら……それでも。」
「本当に?」
「本当です。でも、そろそろ何か着てくださいね。目のやり場に困ってしまいます。」
「またその気になってもいいですよ?」
「だめです。今日から、しなければならないことがあるでしょう?」
「さぼったら、ダメですか?」
「だめです。私が叱られます。」
「ふふ、わかりました。水の守護聖さま。」
僕はいいかげん絡むのをやめて服を手に取った。



「ねえ、リュミエールさま?」
「はい?」
服を着終わって、僕はあることをあの人に告げようかどうしようか、少し悩んだ。
「今日は……」
「今日は、あなたの誕生日ですね、セイラン。」
僕は驚いた。正直、そんなことを覚えていてくれるとは思っていなかったからだ。
「おめでとう、セイラン。」
「……僕は…あなたの年を追い越してしまったんですよ。」
僕は、仕方なくそのことを告げた。
「……ああ……そういうことになるんですね……もう…そんなに…」
「誕生日なんか、何がめでたいんでしょうか?大体僕は、生まれてすぐに施設に捨てられた子供です。」

僕はなんだか急に苛立って来た。
「たぶん、望まれて生まれた子じゃない。本当に今日が誕生日かどうかだって実はわからないんだ。拾われたとき、生後一週間くらい、って施設の人が判断して、一週間前の日付けにしたってだけなんだから。」
あの人は、黙って僕を見つめている。僕は思わず興奮して続けていた。

「僕の年齢だって違うかもしれない……。六歳の頃、僕を施設から引き取ってくれた人がいて…その人は自分の奥さんが寂しくないように僕を引き取ったらしいんだけど、その奥さんって人が心の病気を持ってた人で…僕と二人きりになると僕を虐待したんです。僕はずいぶん殴られて、最後に二階から突き落とされたところまではなんとなく覚えていますけどね。それからあとのことは……気が付いたら僕は、前にいた施設で車椅子に座ってました。骨と皮ばかりになって。」

何で、他人にこんなこと話しているんだ。僕は……なんで…。
「で、僕はそのあたりの記憶が二年分くらいないんですよ。施設の人が、怪我をしてから二年経ってるって教えてくれたけど…でもそのときは信じられなかった。僕の体は全然成長してなかったし…栄養失調だったからでしょうけどね…。」

そこまで一気に喋って、僕はひとつ大きく息をついた。

ふと見ると、リュミエールさまの目に、涙が浮かんでいる。ああ、そんなつもりじゃなかったんだ。僕はこの人を泣かせるつもりじゃなかったんだ。

「……なんてね、嘘ですよ。ああ、ごめんなさい、本気になさったんですか。ふふ、そんなお涙頂戴ドラマみたいなこと…嘘に決まっているじゃないですか。」
僕は慌てて取り繕った。確かに僕だってこんなこと、昔偶然見た陳腐なドラマの中の話みたいだって思うもの。

そうだ…何で僕はこんなことを話してしまったんだろう…。僕の中ですら、記憶に鍵を掛けて、もうずっと封印してあったはずなのに…。

「それでも…わたくしは、セイランがこの世に生まれてきた日に、感謝したいと思いますよ。…どんな目に遭っても…ああ、わたくしもあなたにひどいことをしてしまったのでしたよね…さぞかし厭な思いをなさったのでしょうね。許してください…それでも…あなたが…生きて今、私のそばにいてくれることに、感謝しているんですよ。」
「何本気になっているんですか、リュミエールさま。嘘だって言ったでしょう?」
「セイラン……私の大事なセイラン。」

僕がいくら嘘だと言っても、あの人は全然聴いちゃいなかった。
そして何度も僕の名を呼んで、僕を強く抱きしめた。

「リュミエールさま……」
そうだ、僕は今生きてこの人に抱かれている。愛されている。愛している。

僕は生まれて来てよかったと、その時初めて思ったんだ。
……心の底から。



「あの〜、こんなこと言って、怒らないでくださいね?」
「なんだい?アンジェリーク。」
その日の夕方、早速僕の館にアンジェリークはやって来た。どうやらとりあえず順番にみんなの館に挨拶をして回っているらしい。
「えーと、あの、ここにいらしてから…っていうか、今回、セイランさまってなんだかとっても優しくなったような気がするんですけど……」
「……へえ、そうかい?」
「なんだか、前みたいに……きついことおっしゃらないみたいだし…えーと…」
「ああ……そうだね、あの時はなんか相当ひどいこと言ってたよね、僕も…。ふふ、…これでも結構自覚はあったんだよ。でも、なんだかあの頃は結構どうでもいいって生活していたものね。…ちょっと人生投げてたかな。」
「……そっι…そうだったんですか?」
「ふふ、まあ僕もあの試験で…っていうか、あのときの聖地での生活でずいぶんいろいろな経験をしたしね……そのあとの旅もさ…うん、まあ、あれくらいいろいろあれば、人生も変わるもんなんじゃない?」
「……どう、お変わりになったんですか?」
「どう……って…、今のほうが人生を楽しんでいる……ってとこかな。ふふ、なかなか刺激的で、変化に富んでいるじゃないか。君もそう思わないかい?」
「それは…ええ、そうですね、確かにあの試験がなければ私たち、全然今と違う人生だったに違いありませんものね。大変なこともたくさんあったけど、今のほうが絶対いいこともたくさんありますよね。」
「そうだろう?…ま、今回も何が起きるのか、実は楽しみにしているんだよ。こんなこと女王陛下である君に言うのは失礼なのかもしれないけどね。」
「ふふっ、構いませんよ。実は大きな声ではいえないけれど、私も不安と同じくらい楽しみも大きいですもの。」
「ああ、やっぱりそうなんだ。新しい宇宙って退屈そうだものね。」
「やだ、セイランさまったら。ひどいですよ〜。」
「ふふふ……そう?」

……こうやって、前は鬱陶しくってたまらなかった女の子たちとの会話も、今はなんだか弾む。やっぱりこれも心境の変化って言うものかな。
それとも僕が成長したってことかもね。ふふ。

「それではセイランさま、失礼しました。」
「ああ、気をつけてお帰り。」
そう言いながら彼女を玄関まで見送ったのだけど、彼女は何かに気が付いて、立ち止まってくるりと振り向いた。
「あっ、セイランさま。忘れるところでしたっ!」
「……なんだい?」
「今日、お誕生日でしたよね、おめでとうございますっ!」
彼女はそう言って、ぺこりと頭を下げた。
僕はそういうわけで彼女と特に親しかったわけじゃない。だけど、何でだろう。そう言われたことがとても嬉しいと、素直に思った。
「ありがとう、アンジェリーク。」
「ふふっ、じゃあ、また来ます!」



そしてまた夜が来た。
彼女とのやり取りを聞いていた館の使用人の人たちが、僕に心づくしのお祝いの料理を作ってくれて、僕は本当にいい一日だったと思った。

こんな誕生日は生まれて初めてだったしね。



僕を生んだ、顔も知らないお母さん。

もしかすると僕を捨てるとき、辛かったのかもしれないね。

そう思って、いいですか?

僕を少しでもかわいいと思ってくれましたか?

僕はあなたに今、初めて言うよ。

僕を生んでくれて、ありがとう、と。

あなたの息子は今、幸せだよ、と。

僕の生まれた、冬の日に。


おしまい。

このお話は年齢制限つきの創作の方をベースにしております。
だから健全物しか読まない方には多少わかり辛くてすみません。
セイランの年齢の?の意味とかちょっと考えてみました。
でもやっとセイランらしい(つもり)セイランが書けてよかった〜vv


ヴァナヘイムに戻る。