新月の宵



満点の星空に掻き消されんばかりの新月の、麗人の眉のごとき姿が清々しい宵だ。
……いや、こんなところでのんびりとしている場合ではないはずなのだが…。

だが任務も終わった……。
今宵一夜くらいこのように寛いでも良いだろう。
私はそう思い、この場所にやって来た。

「じゃあ、ジュリアスとクラヴィス、一緒にお願いしますねvv」
陛下のその一言で、私たちはこの星にいる。
眠れる大地の惑星。
そう、以前皇帝との戦いのときに短期間滞在したことがあった星だ。
良い温泉があったが、あの時はそれどころではなかった。
今は宇宙も平和に戻って、もちろん長い時間ではないが、こうして任務も終わりゆっくりと体を休める時間も取れた。
だから私は、陛下が手配したというこの温泉付きの宿泊施設で、評判のこの露天風呂にはいることにしたのだ。

しかし露天風呂と言うのは、いくら囲いがしてあるとはいえ文字通り露天にある。
幼い頃から守護聖として、プライバシーがしっかり守られた生活をしてきた私にとっては、このような場所は、やはり少し抵抗がある。
とにかく、裸なのだ。
(もちろん腰にはタオルを巻いてはいるが)
幸いなことにこの宿には、今は守護聖の私たちが宿泊すると言うことで一般客は泊まっていない。同行の王立軍の者たちは私たちに遠慮してこの風呂には入らないと言っていた。

残るはあとひとりだ。
もうひとりの守護聖。
あの男だ。

「ほう、おまえが来るとは思っていなかったな。」
「なんだと?」

やはりな。私はあの者と鉢合わせをしなような時間を私なりに考えて選んだつもりではあったが、何故かこういうことになるような気がしたのだ。
こんなとこだけ合うというのは情けない。どうせなら仕事もこのように調子を合わせて欲しいものだ。

「おまえは人前で風呂に入るような男だとは思っていなかったからな。」
「……それは私のセリフだ、クラヴィス。おまえこそ共同の場所に現れるなどと、似つかわしくないことだ。」
「ふ……、おまえといっしょに行動をしていたらすっかり肩が凝ってしまったのだ。ここの温泉は体の凝りをほぐすと聞いていたのでな。」
「そなたでも肩が凝るほど仕事をすることがあるのか?初耳だな。」
「おまえの堅苦しい行動を見ていれば肩も凝ろうものだ。」
「なにもせぬのに、か。」
「仕事はしたつもりだが?」
「そうであろうな、そなたにしてみれば私について来ただけでも立派な仕事のうちだろう。ここにはいつもそなたの世話をするリュミエールも居らぬし、身の回りのことも自分自身でせねばならない。そなたには十分な仕事だ。なるほど、疲れもするわけだ。」
「………」

クラヴィスは不意に押し黙った。
ぼちゃん、と重い水音がする。

こういう話をしてはいるが、実はクラヴィスの姿はほとんど私の目には見えてはいない。あれは湯船に浸かっているようだが、ほとんど星明りだけの闇の中、あの男の姿は闇に溶け込んでしまって、サクリアと気配と、僅かに光を映して揺らぐ湯の面が見えているだけだ。あれには私の姿が見えているのであろうか。それとも私と同じようにその存在を感じているだけなのだろうか。

「失礼する。」

一応そう声を掛けて私は微かに見える湯の面にそっとつまさきを浸した。そしてそのまま足を湯に差し入れる。

ぐにゅ。

??????

なんだ、今の感触は。
岩ではない、もっと柔らかい……いったい、これは……まさか???
私は足を抜き出してそこに座り、慌てて腕を差し込んでその先を探った。

「クラヴィス?!」

私はその物体を湯から引きずり出し、漸く闇に慣れて来た目を良く凝らして見、明かにそれがクラヴィスであることを確認した。

「クラヴィス!どうした?!しっかりせぬか、クラヴィス!」

湯あたりか?のぼせたというのか。いや、それより私がこれを引きずって部屋まで戻らなければならないのか。やっと湯に浸かれると思ったのに。

「クラヴィス!」
「………う…るさい、大きな…声を…出すな……」
「……ん?気が付いたのか、減らず口を叩くな。私が気が付かねば、そなたは湯の中で溺死していたかも知れぬのだぞ。」
「…………その方が……良かったのでは…ないのか?おまえには。」
「ばかを申すな。つまらないことを無理に喋る暇があったら、大人しくここで風にでも当たっているがいい。湯上りタオルでも持って来る……」

そこまで言いかけながら私が立ちあがろうとすると、あれの手がいきなり私の腕を掴んで引いた。

「……よい、このまま……ここにいてくれ。」
「…わかった。だが私は体が冷えてきた、湯に浸からせてもらうぞ。」
「ああ……」

私は腰に巻いたものほかにもう一枚持って来たタオルをクラヴィスの腰に掛けると、クラヴィスを跨ぎ越して湯に浸かった。

クラヴィスは闇の中でずっと空を見ている。私も思わず空を見上げた。
満天の星は相変わらず煌いて大層美しい。あの星の中に我らが主星も輝いているのかと思うと、感慨深いものだ。

「クラヴィス。」
「……なんだ?」
「まさかそなた、ずっとわたしの来るのを湯の中で待っていたのではあるまいな?」
「…………まさか。」
「…ふ、そうだろうな。わたしが来るかどうかもわからぬのに。」

なんでこのようなことを言ったのだろうか、わたしは。だが、何故かふとそう言う気がしたのだ。すると、再びクラヴィスが言った。

「……いや、待っていたのだ、おまえが来るような気がして。」

クラヴィスの声はまじめであった。そうかもしれない。久々にわたしたちふたりだけで行動する機会が持てたのだ。希望していたわけではないとしても。
だが宿の部屋も別で、移動のシャトルも席が離れていて、それに第一クラヴィスがわたしとゆっくり話そうと思っていることなどありはしないと思っていた。

だが、今は思う。クラヴィスもわたしと同じ考えだったのだ。
この湯に来れば、久しぶりにこうしてゆっくりと……今はまだだが…話すことができるのではないかと思っていたのだ。

「星が……綺麗だ。」
「ああ、同感だ。そなたと気が合うなど珍しいな。」
「だがおまえのことだ、『あの星の中に陛下のおわします主星があるのだな』などと思っていたのに違いあるまい。」
「……ああ、そしてそなたが私にそういうことを言うであろうな、とも思っていたぞ。」
「…口の減らぬやつだ。」
「何をいまさら。」

全く、進歩のないことだ、と私はため息をついた。
だが決して悪い気はしない。闇の中であれの目には恐らく見えぬであろうが私の顔はかなり笑っていたはずだ。
クラヴィスとこれほど打ち解けた時間を持つのは久々だからだ。
ほとんど見えぬとは言っても二人ともいつもの重い衣装を着けていない。それどころかタオル一枚腰に巻いただけのほとんど素裸だ。
こんなことは無論初めてだ。子供の頃でさえ、ともに着替えすらしたことはないのだ。

なるほど話には聞いたことはあるが、これが裸の付き合いと言うものか。

「ジュリアス、まだのぼせてはいないだろうな?」
「大丈夫だ。どうした、もう冷めたか?」
「ああ、もう一度湯に浸かる。そこを空けてくれ。」
「いいだろう。だが無理はするな。」
「ふ……、承知した。」

クラヴィスも笑っている。わたしはかなり良い気分になっていた。
隣であれが湯に浸かる気配がして、その白い肌が少し、星の光を映して見えた。

「先ほどはどのくらい入っていたのだ。」
「……そうだな、3、40分ほどか。」
「呆れたものだ、そんなに長く入っていたのか。」
「ずっと浸かっていたわけではない。だがそろそろ夜風にあたろうと思っていたらおまえが来て、ついそのまま上がり損ねてしまったのだ。」
「そうか……。すまぬ、待たせてしまったようだな。」
「何を謝る。待ち合わせていたわけでもあるまいに。」
「ふ、それは確かにそうだな。」

こうしてふたり打ち解けていながら、それでも、と私は思っていた。
明日の朝になれば再びクラヴィスはいつものとおりに戻るであろう。
そして私もまたあれにがみがみと文句を言うのだ。
これは今宵一夜だけのうたかたのようなものなのだ。
だがそれでも今宵のことは夢ではない。お互いの口にのぼせることは二度とないとしてもこれは夢ではない。
長い間。常人から見れば気の遠くなるほど長い間。ともに聖地に守護聖として暮らしてきた時間と言うものは決して伊達ではないということが……

「また小難しいことを考えているな。」
「……だが別に明日のことを思い煩っているわけではないぞ。」
「ほう、そうなのか。フフ、よくわかったな。」
「そなたの考えていることなどお見通しだ。長い付き合いだからな。」
「おや、いつもはわからぬわからぬと言っていたのではなかったか?」
「……そうだったな。だが、今宵は別のようだ。」
「フフフ、おまえもたまにはこうして守護聖の肩書きを降ろせば良いのだ。そうすればこうして物事は見えてくると言うものだ。」
「ふ、戯言を。こうしていても私たちは紛れもなく守護聖だ。そうでなければふたりとももうとうにこの世にはいるまい。」
「屁理屈を言う……」
「何をいまさら。」

そう言いながら二人とも笑っていた。
私はふと、この時間がいつまでも続くことを心のどこかで願っていた。

……決して叶わぬ願いではあったが。


新月が、湯の面にその細い姿を映して揺らめいていた。




おしまい

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