ふたりの行方 1



「ああ、オスカー?今夜のご予定はいかがですか?」
リュミエールは宮殿の廊下で出逢ったオスカーに、嬉しそうにそう話しかけた。
オスカーはそのリュミエールの顔を見て、ちょっと微笑んだ。
「…ああ、今夜か?……そうだな…」
オスカーは少し答えを躊躇った。その表情を見て、リュミエールは少し眉根を寄せる。
「…オスカー?」
「…いや、なんでもない。うん、俺の邸に来るか?」
その答えを聞くや、リュミエールの顔はぱっと晴れる。満面の笑み。オスカーはそう言うときのリュミエールを心底可愛いと思う。場所もわきまえず抱きしめてしまいたいくらいだ。
「わかりました、オスカー。必ず伺わせていただきます。」
「ああ、承知した。晩飯も食って行くか?」
「あ、よろしかったら……お願いします。」
「わかった、待っているからな。」
「はい、オスカー。では。」
そう言うとリュミエールは会釈して、いそいそとその場を去った。
その後姿を見ながら、なぜかオスカーはため息をつく。
「……悪気はないんだからな……ふ、まあ、いいさ。」

そうひとりごちて、オスカーもその場を立ち去ったのだった。



炎の守護聖オスカーと、水の守護聖リュミエールは恋人同士である。
オスカーの身に起きたある事件をきっかけに、いつの間にかそういうことになっていたのだ。
もちろん彼らは男同士だから常識として問題はあるのだろうが、それはもちろん守護聖や女王たち、そして信頼できるごく一部の人間しか知らないことで、まあほとんど誰にも迷惑を掛けていることはないといった関係だ。
だがこういう関係になる以前は二人は仲が悪いとさえいわれてきた。そう、それも当然のことだ。二人の基本的な考え方は全く相容れるところがなかったからだ。
いや、今でもそうなのかもしれない。ただ、お互いの立場や気持ちを思いやれるようになったというだけで。

そういうわけだから、オスカーはリュミエールの考えていることについて未だに理解不能のときが多い。
どうしてそんな考えが出てくるのか、つきあい始めて相当期間がたつ今でも見当がつかない。
…もちろんオスカーだって、好きな人の考えていることを理解したい。努力だってしている。幾分昔よりは理解できているとさえ思っている。
それでもリュミエールの思いつくことは、オスカーにとって突拍子もないことなのである。
たとえばこれが尊敬する……という言葉が適切なのかはオスカー自身違和感を感じてはいるのだが…ジュリアスの考えていることであればかなり読むことができる…と思っている。
(愛情が足りないんだろうか……)
と、オスカーは思う。
自分では今は本当にリュミエールが好きだ。
愛しているつもりだ。
彼の笑顔を見ることが至上の喜びなのだ。

でも時々不安になるのだ。理解できない故に。

本当にリュミエールを愛しているのか。
もしかすると…ジュリアスに対する、尊敬という言葉だけでは語れないもっと別の感情を抑えつけるために「リュミエールを愛している」と思いこもうとしているだけではないかと。

そしてそれはリュミエールの不安でもあったのだ。
(オスカーはもしかして、わたくしよりもジュリアスさまのことを……)
リュミエールとオスカーが「恋人同士」になってから、リュミエールの心にずっとわだかまっている不安。それがまさしくこのことであった。
そして自分自身も信じ切れない。
本当にオスカーを愛しているのか。愛しているからこんな関係を続けているのか。

そんな不安定な思いの上に存在していると言える二人の関係なのであった。



食事も済んで、酒も酌み交わし、いよいよ寝室が二人を待つまでになった夜更け。
オスカーがシャワーを浴びて、リュミエールの待つベッドに戻ってみると、リュミエールはすでにガウンを纏いベッドの上に腰掛けて、オスカーを見つめて微笑んだ。
「……あ、と……」
「オスカー。今夜は、うまくいくと思いますから。」
「……リュミエール……えーと…」
「大丈夫、わたくしにお任せください。」
「あ、あのな、リュミエール、俺は……」
「さあ、横になってください。」

…聞いちゃいねえ。

オスカーはゴクリと唾を飲む。
そう、このあとリュミエールは確実に実力行使にはいる。
いやなら押しのければいいじゃないかと思うかもしれないが、オスカーはリュミエールに力ずくでは勝てない。
いや、本気になればどうかは知らないが、本気にはなれない。リュミエールが傷つくような気がするから。…そう、要するにオスカーはリュミエールに「弱い」ということだ。

リュミエールはオスカーにそっと抱きついて、唇を優しく重ねる。そしてその行為は次第に激しくなり、その舌でオスカーの口腔を思うさま味わい尽くす。…もちろんオスカーも自慢の絶妙なテクニックでそれに応えるのだが。
「……はあ、はっ……あ、ああ、オスカー。」
「んん……ふ、あ、ああ…はあ、リュミエール…っ…」
「さあ行きますよ。力をお抜きくださいね。」
そういうとリュミエールはあっという間にオスカーをベッドの上に押し倒す。
オスカーは観念して、静かに目を閉じた。



「……は……っ…」
オスカーはやっとの思いで息を吐き出した。
(……今……何時…だろう…)
リュミエールの行為が始まってからずいぶん長い時間がたったような気がする。その間、めくるめく快感の波に巻き込まれ、オスカーは呼吸の仕方も忘れてしまったような気がした。
「…オスカー?」
リュミエールの声がする。オスカーは気怠そうに目を開いた。
「オスカー、大丈夫ですか?」
「あ……はぁ…っ」
大丈夫、と答えようとしたオスカーの口からは、ただ吐息が漏れるばかりであった。
「すみません、苦しかったでしょうか?…気持ちよくなかったですか?」
いつものすまなそうな彼の声がする。
気持ち良くないはずはない。むしろ良すぎて、気が変になりそうなほどの快感が、それはもういやというほど続いたのだ。
何度も何度もイキそうになった。でもイクことはなかった……のか?もしかしてイっていたのか?
わからない。恐ろしく長い時間続いた快感のあと、最後に一度だけ放出したことは確か……な気がする。だがいったい自分の体に何が起きたのかわからない。

「……すみません、だめでしたね。そんなに辛そうで……。気持ちいいのかと思って、ついいつまでも……あの……の方は…一度だけ…たので、やめたのですが…」
リュミエールは下を向いたまま、本当にすまなそうな声で話している。でも何を言っているのかオスカーには良く理解できない。……と、言うより、彼の頭は朦朧としてていて、徐々に瞼が重くなって来たのだ。
「…リュミ…俺…もう……眠…すまん…寝る…」
やっとの事でそう言うと、オスカーは眠りの中に引きずり込まれた。
もうくたくたで、気の毒な恋人のことを考える余裕なんてありはしなかったのだ。



翌朝オスカーが目を覚ますと、すでにリュミエールはいなかった。
あわてて着替えて部屋を出ると、近くにいた使用人はリュミエールが夜半に邸を出たと言うことを告げた。
(あいつ……。泊まっていけばいいのに…)
少し気になって、その使用人にリュミエールの様子を訊いては見たが、元々物静かで感情をあまり荒げたりしない彼のこと、なんの参考にもなりはしなかった。
(まあ、いいか。どうせ今日も宮殿で会えるんだし。)
オスカーはそう思った。

だが何か、漠然とした不安が彼の心にわだかまっている。
それがいったい何なのかは、オスカーにはよくわからなかった。…いや、認めたくなかっただけなのかもしれないが。



だが、オスカーが宮殿に行ってもリュミエールは来ていない。
「いったいどうしたんだ?リュミエールは休みなのか?何かあったのか?」
「は、はい。リュミエールさまは御気分が悪いと言うことで、今日の執務はお休みになる、との御伝言です。申し訳ございませんがそれ以上はなにも存じ上げません…」
リュミエール付きの執務員は困ったような顔をしてオスカーにそう答えた。
「そうか、悪かったな。」
オスカーはそう言うと、自分の執務室に戻った。
(…気分が悪い…か。あとであいつの邸に行って、様子を見て来よう。)
そうつぶやくと、気が進まないながらもオスカーは執務に取り掛かり始めた。



リュミエールは、邸の自室でため息ばかりついていた。
オスカーを愛している。だが自分の愛し方は正しいのだろうか。
リュミエールはオスカーを喜ばせるために、いろいろな方法で「研究」した。
そう、男同士が愛し合うことについて。男を『抱く』ことについて。つまりリュミエールはオスカーを『抱いて』いた。
彼らの関係を知っている者もそれなりにいるわけだが、オスカーが『抱かれる』方であるということを知っている者はいないかもしれない。

リュミエールはオスカーを喜ばせたかった。オスカーに感じて貰いたかった。オスカーを虜にして、独占したかった。

……そう、オスカーを自分の方だけに向かせたかったのだ。きっと、自分は……。
昨夜の行為のあとリュミエールは、自分の独占欲の故にオスカーを弄んでいるかのような気さえしてしまったのだ。
(オスカーは苦しんでいたのに。感じているのかと思って、執拗に行為を繰り返してしまって、もしやオスカーはわたくしに失望してしまったのでは……。
…でもわたくしはオスカーを…オスカーを喜ばせたかっただけなのです…。)
いくらそう思おうとしても、自分を騙すことが出来ない。
リュミエールはオスカーに会うのが怖くなった。そして、執務を休んでしまったのだ。

だからといって、いつまでも逃げおおせるわけがない。
昼過ぎまで悩んだ結論はこうだった。
(…オスカーに、もう一度謝らなくては。謝って、今度は自分のやり方だけではなく、オスカーにどうすればいいか、相談しましょう…。)
リュミエールは、覚悟を決めて宮殿に出向くことにした。



リュミエールが宮殿の庭にさしかかると、そこにふたりの人物の影を認めることが出来た。
ひとりは首座の、光の守護聖ジュリアス。
そしてもうひとりは炎の守護聖、リュミエールの愛する人オスカー。
揃って石のベンチに腰掛けて何か話をしている。リュミエールは反射的に思わず物陰に隠れ、ふたりを覗き見ていた。

遠くて、話の内容まではわからない。だが、オスカーはジュリアスに困ったような笑顔で軽く俯きながら何かを話している。
リュミエールは、オスカーがまだジュリアスへの思慕を抱いていると思っている。
…恋心といってしまった方がいいのかも知れないほどの。

オスカーは、そのうちとうとうジュリアスの肩にそっと寄り添った。ジュリアスがオスカーの方を向いて優しい笑顔で何か言う。それから目を閉じたオスカーにそっとその長い腕を伸ばす。
軽くオスカーの肩を叩く。オスカーは安らかな顔をして、そのまま眠ってしまったようだ。

午後の日差しの中で普段は見せぬ優しい笑顔でオスカーに肩を貸すジュリアスと、安らぎの中で眠るオスカー。
リュミエールはそれ以上ふたりを見ていることが出来ずに、その場を離れた。



「リュミエール。いるか?」
その日の夕方、オスカーはリュミエールの邸を訪れた。
「オスカーさま。あの…」
リュミエールの使用人が、思い詰めたような顔をしてオスカーに話しかける。
「リュミエールさまは昼過ぎ一度出掛けられました。ですが、しばらくして真っ青な顔をしてお戻りになって、そのあとはお部屋に籠もってしまわれて…。昨夜遅く帰られてからお食事もなさいませんし、いったいどうなさったのか、心配で……」
「……なんだって?…わかった、俺が様子を見てくる。」
オスカーはそのまま勢いよく廊下に出て、リュミエールが籠もっているという寝室の前まで行った。そして大きな声で呼ばわる。
「リュミエール、どうした。俺だ、ここを開けてくれ。そんなに具合が悪いのか?」
オスカーはドンドンと部屋の扉を叩いた。だがリュミエールは出てこない。扉の中からは明らかにリュミエールのサクリアが感じられる。

……いや、待てよ。と、オスカーは思った。
確かに水のサクリアは感じ取れる。だがそれはかなり不安定だ。それに…何なんだろう、この不安な空気は。
この感覚は、前にもあった。

オスカーはうしろを振り返る。廊下の反対側には窓があって、そこから聖地の夕暮れの空が見える。

……そして、その空には暗雲が立ち込め始めていた。


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