ふたりの行方 2


「リュミエールが、おかしい?」
「はい、ジュリアスさま。確かに、変です。普段の彼ではありません。」
結局リュミエールは部屋から出て来ず、部屋の鍵も開けることが出来ずに、オスカーは仕方なく彼の邸を出、その足でジュリアスの邸を訪れた。そして邸の主に異変を告げる。
「……どのような様子なのだ?」
「そうですね……。失礼ながら、以前ジュリアスさまが……例の…事件の時に…」
オスカーは躊躇うような目でジュリアスを見る。ジュリアスはそれに答えた。
「ソリティアの事件か。」
「……恐れながら。……で、そのときの…なんと言いますか。あのときのリュミエールのような…、そう、まるで何か別の…いや、そう言えば…」
「…何なのだ?何か思い当たることがあるのか?」
「いや、あの…昼間ご相談…と言うのか、お話しさせていただいたことでもあるんですが、つまり、その…こんなことあなたに申し上げるべきことではないのですが、リュミエールの…」
「…なんだ?」
「つまり、あの、ジュリアスさまは俺とリュミエールの…その…関係…を、ご存じ…でいらっしゃいますよね?」
オスカーがいい辛そうにそう言うのに、ジュリアスは少し困ったように頷く。

もっともジュリアスは今は恋も知らない朴念仁ではない。ジュリアスと現女王陛下の恋は、今では聖地の者誰もが知るところであった。
そして数々の障害と何よりもジュリアス自身の葛藤を超えて、ふたりの心が強く結ばれていることもまた周知の事実なのだ。閑話休題。

「…あ、ああ…まあ、わかっているつもりだが…」
ジュリアスは軽い咳払いをしながらそう言う。恋を知ったジュリアスにとって、それが男同士であると言うことはあまり問題にならないらしい。
「それで、その……俺は、リュミエールに抱かれている方なんですが……」
オスカーは顔を赤くしながらそう言うのに、ジュリアスもつられて頬を赤らめる。
「…抱かれる…とは、つまり…妻のように、だな?」
「………あ……そっ…まあ…そう言うことなんでしょうか。」
ジュリアスの比喩があまりにもわかりやすく、ジュリアスらしいまじめさでありながら、なにやら妙にストレートな気がして、オスカーの顔はこれ以上ないほど真っ赤になっていた。
「そっ…それで、リュミエールがどうしたのだ?」
「……あっ…いやその…つまりリュミエールの…奉仕が…ここのところどんどんエスカレート…って言うのか…その、昼間申し上げた、俺の体がとても疲れているのは…そのせいなんですが…つまり、リュミエールが俺を愛してくれているのはわかるんですが、最近、それがとっても負担に感じるようになって……」
ジュリアスもかなり頬を赤くしながら、だんだん興奮してかなり刺激的なことを口走っているオスカーを、じっと見つめつつおもむろに口を開いた。
「つまり、そもそも最近のリュミエールが変、と言うわけか?」
「……そう言うこと…になると思います。」
オスカーは少し冷静さを取り戻しつつ、ため息とともにそう答える。
ジュリアスも深いため息をつき、思考を始めた。



「リュミちゃん、あんたどうしたの?今日は具合が悪いんじゃなかったの?」
ジュリアスの邸にほど近い夕暮れの路上で、オリヴィエは彼を見つけた。
「……どうしたの?…ちょっと、なにぼーっとしてんの、あんた。しっかりしなさいよ。」
リュミエールは赤の他人でも見るような目をしてオリヴィエを見た。その目にも顔色にも生気というものが感じられない。オリヴィエはぎくっとする。
「リュミちゃん?リュミエール!どうしたの、私がわかる?」
「……オリヴィエ…」
「ああ、わかるんだ…よかったぁ。でもどうしたの、ひどい顔色じゃない。寝てなくっちゃだめじゃないさ。どしたの?ジュリアスに何か用なの?…まあいいや、とにかくジュリアスんちが近いんだし、一緒に行こう。」
そう言ってオリヴィエはリュミエールの腕を取って、引っ張るように歩き始める。
その瞬間、オリヴィエもリュミエールの変調を感じ取った。オリヴィエはぎくっとしてリュミエールの顔を改めて見つめる。リュミエールの口許は酷くあやふやな曲線を描いていて、笑っているようにさえ見える。そしてその目は虚空を見続けている。
「…リュミエール、あんた……?」
「オリヴィエ…わたくしは醜いですか?」
「なっ……なに言ってんの、リュミちゃん、あんたは綺麗よ。綺麗だけど…」
「綺麗だけど、何ですか……?」
「…綺麗だけど…ほら、その眉間。ここ、ちゃんとして。シワ寄せちゃだめじゃないの、癖になっちゃうよ。」
オリヴィエはリュミエールの眉間に指を当てると二本の指でシワを伸ばすような仕草をする。
「……やっぱり…醜いんですね。……だから、オスカーもわたくしを嫌いになったのです。」
「…リュミちゃん!…な、なに言ってんの。オスカーはあんたにメロメロじゃない。いつもさりげなく惚気られちゃって、私ゃ迷惑してんだからね!」
「オスカーはわたくしよりジュリアスさまのことが好きなのです。……いいえ、それはずっと前から知っておりました。でも、わたくしはオスカーが欲しかった。オスカーを自分のものにするためになら何でもするつもりだったのに……。」
「…リュミエール……」
「でもまだ……していないことがありました。」
「リュミエール、しっかりしなさい。なにをするつもりなの。」
そう言ってリュミエールの肩をしっかりと掴んだつもりのオリヴィエだが、次の瞬間にはすごい力で吹き飛ばされていた。
「いったぁ……て、リュミエール、あんたいったいなにをするつもりなのよ、やめなさい…痛、やだ、足捻っちゃった。…って、リュミエール、待ちなさいっ!」
だがリュミエールはオリヴィエを振り返りもせずに、ジュリアスの邸の方に走っていってしまった。オリヴィエは痛む足を引きずりながらあわてて後を追って行くのだった。



「……まあ、とにかく私も気をつけるようにしよう。そなたは…まあ、何とかあの者にあまり負担を掛けられずに済むように説得するしかあるまい。…そなたの…その…愛情が誠なら、それを誠心誠意彼に伝えていくしかあるまい。おそらく彼は…そなたを愛おしむあまり、そなたに嫌われまいとしてそう言うことをしてしまうのではないか?」
ジュリアスはまだ少し頬を赤らめながらオスカーにそう言った。オスカーはそんなジュリアスを意外な、と言った顔で見る。
「…どうした?私がこういうことを申すのは可笑しいか?…ふふ、それはな、人を愛しいという気持ちが止められぬようになれば誰でも経験するはずの感情なのだ。私も、同じことを考えたことがある。真実の愛といえぬかも知れぬが、それも好きなればこそ、と言うことなのだろう。リュミエールだけを責めることは出来ぬな。」
オスカーはコクリと頷きながら言う。
「ええ、俺ももちろんそんなつもりはありません。リュミエールが俺のためにそう言うことをしているのは痛いほどわかります。…そうですね、俺ももう少しリュミエールが自信を持てるように、あいつが安心できるように、言葉を掛けてやるべきでした。」
「そうだな、そうしてやると良い。」
ジュリアスがオスカーを笑顔で見つめ、オスカーを力付けるために彼の手を握った瞬間、部屋の扉が大きな音を立てて開いた。その音の主を見たオスカーは叫ぶ。
「リュミエール!」
その扉の間に立つのは、酷く思い詰めた顔をしたリュミエール。
「どうしたのだ、リュミエール。」
ジュリアスもただならぬ空気を感じ取って、険しい顔をして彼に問うた。しかしリュミエールの目はただ一点を見つめている。
「……あなたが、いらっしゃるから……。」
そう言って、リュミエールはジュリアスのところに歩み寄って行く。
「リュミエール。どうした、しっかりせよ!心を強く持つのだ。そうでなければ我々守護聖はこの聖地にわだかまる悲しい記憶や悪しき心に取り憑かれてしまうぞ。」
リュミエールはその声が聞こえていないかのようにジュリアスのもとに近づいて来る。
「どうしたんだリュミエール!俺の声が聞こえないのか?!」
オスカーがそう言ってリュミエールに伸ばした手もわずかのところで擦り抜ける。
「あなたが、いらっしゃるから……!!」
「リュミエール…、止せ!」
「!!!」
ジュリアスは僅かに身をよじり、オスカーはもう一度リュミエールに手を伸ばして襟首を捕まえた。がくん、と機械人形のようにリュミエールの体が停止する。
「くっ……!」
ジュリアスが小さく呻き、その足元に紅い花がポツポツと咲く。
「ジュリアスさま!」
「私は大丈夫だ!リュミエールを取り押さえろ、オスカー!」
ジュリアスの右前腕には刃渡り20センチほどの細身のナイフが突き刺さり、鮮血が伝わり落ちていた。オスカーはそのままリュミエールをうしろから抱え込む。
「リュミエール!お願いだ、目を覚ましてくれ、リュミエール!」
オスカーはリュミエールをきつく抱きしめた。
「リュミエール、すまなかった!おまえを不安にさせてしまったことを許してくれ!」
「……オスカー……?」
リュミエールの瞳に微かに光が戻ってくる。
「リュミエール、俺はおまえを愛している!……誰よりも、おまえが一番大切だ。……だから、俺を信じてくれ!」
「オスカー、でも、わたくしはこんなに醜い…。とても醜くて、誰にも愛される資格なんかない人間なのです。」
「どこが醜いんだ、俺はおまえみたいに美しいやつは知らない。おまえは美しい。顔も、体も、そして心もだ!」
「嘘です、わたくしは…あなたを独り占めしたくて、あなたの悦ぶところが見たくて、あなたを…あなたを抱くことばかり考えてしまう。わたくしは…っ!」
「何だっていい!…俺のいうことを信じてくれないのか?俺がおまえを愛しているという、俺の言葉が信じられないのか?…リュミエール、愛している……っ」
オスカーは力の限りリュミエールを抱きしめ、その首筋に口付ける。

「……その者のために自分の命さえ惜しまないことを、真実の愛というのだと言うのかも知れぬ。だが、それだけがすべてではない。」
ジュリアスは右腕を押さえながら、リュミエールに向かって語りかける。
「…そなたの心の中は自分のことより…オスカーのことの方がはるかに多くを占めている。……私はそれもある意味で誠の愛の形だと思う。いや、そう言うものを乗り越えなければ、自分の命さえ惜しまぬ、そういう愛を知ることは出来ない…。」

リュミエールは初めて気がついたようにジュリアスの腕に刺さっているナイフと滴り落ちる鮮血を見ていた。
「ジュリアスさま……あの、わたくしは……っ」

リュミエールが『事実』に気がついたことを知ったオスカーは、再び強く彼を抱きしめる。
「リュミエール……おまえが悪いんじゃない…そこまでおまえを思い詰めさせてしまった俺の罪だ…。おまえが俺のせいで心弱くなったばっかりに、この聖地で俺たちの心にいつも忍び込みたがっている…何かが、おまえを虜にしただけだ。……おまえが…おまえだけが悪いんじゃない…っ…」
「オスカー……っ…」
オスカーにうしろから抱かれながら、初めてリュミエールの瞳に涙が浮かぶ。
今の今まで乱れ切っていたリュミエールの水のサクリアが、再び凪の海のように静かに満ち始めた。

「リュミちゃん……っ、あ、遅かった……?ジュリアス、あんた、その怪我っ!?」
そのとき扉の向こうから、髪の毛を振り乱し、裾も乱した素足のオリヴィエが転がり込むように走り込んで来た。
「……オリヴィエ……そなた…」
「はあ、いやさ、ここに来る途中でリュミエールに会って、あまり様子が変だったから……なんてことはどうでもいいって、ジュリアス!…その怪我、とにかく血ぃ止めて、ナイフ抜かないと!…オスカー、リュミエール、あんたたちこの愁嘆場でなにベタベタしてんの、手伝いなさいよっ!…リュミちゃん、もう正気なんでしょ?…じゃあ、あんたのバカ力貸してよ、止血するからさっ!」
「…………!!…は、はいっ、オリヴィエ、あ、オスカー、あなたはルヴァさまを呼んで来てください、お願いしますっ!」
「わ、わかった。…ジュリアスさま、では失礼します。すぐルヴァを連れて戻りますから!」
オスカーは大きな足音をたてながら部屋を飛び出して行った。



「まあ、傷は深くはないですね〜。ジュリアスもよけたようですしね〜。まあ、確かに出血は少なくないですけど、まあそうですね〜、ちょっと多めに献血した程度でしょうかね〜。出血大サービスですか〜?あはは。」
「……なに、それギャグのつもり?ルヴァ。」
ジュリアスの治療をひととおり終えたルヴァの相変わらず間の抜けたような言いように、オリヴィエは疲れた顔で突っ込む。
「あとさ〜、私も足首捻っちゃったのよ。見てくれる?」
「あ〜、それはいけませんね〜、どれどれ?」
「す、すみませんオリヴィエ。もしかして、わたくしが突き飛ばしたからでしょうか?」
リュミエールが目の周りを真っ赤にした顔で、そう言う。彼は正気を取り戻したあと、徐々にほとんどの行動を思い出して来たのである。
「ああ…まあね、そうだけど…、いいって。あんたはこれからまたこんなことにならないように気をつけて…って言うか、うん、自分を鍛えてちょうだいよ、ね。いや、体じゃないんだよ?あんたは体はめちゃくちゃ丈夫なんだから。そうじゃなくって、心よ、心。」
「はい……、本当に、申し訳ありません。」
「まあ、よかったじゃないか。結局大きな事件にはならなかったし。」
オスカーもほっとしながらそう言う。
「でも、ジュリアスさまが…」
ジュリアスは長椅子に半分体を預けながら、微笑んでリュミエールに言った。
「構わぬ。私もそなたに大事なことを教わったようなものだ。」
「あ〜、ジュリアス。あなたはとにかく今夜はもう休んでください。そうですねえ、もう私たちもお暇しましょう。…ああ、オスカー、あなたはリュミエールを送って行ってあげるといいですねえ、うんうん。」
「ああ、そうだな。あまり長居するとジュリアスさまの負担になる。さあ、リュミエール。俺たちは失礼することにしよう。オリヴィエはどうなんだ?歩けるか?」
「そりゃあさ、ここまで走ってきたんだから、歩けないことはないけどさ。でもサンダル捨てて来ちゃったんだよね、どうしよっか。」
ジュリアスが答えた。
「仕方あるまい。邸の者に言って、私のサンダルを借りて帰るといいだろう。」
「…うは〜、なんかでっかそうじゃない、ジュリアスのって。ま、いいや、帰ろっか。ね、リュミちゃん、もう大丈夫だよね?」
「はい、オリヴィエ、オスカー。それではジュリアスさま、お大事に。」
リュミエールが深々とジュリアスに頭を下げ、4人はジュリアスの部屋を辞した。



「今日は本当にご迷惑をおかけしました。」
邸に戻って、改めてリュミエールはオスカーに頭を下げた。
「いいって言ってるだろ、気にするな。」
「ええ、もう過ぎたことはいつまでもクヨクヨしないことにしました。ですが今日のことであなたにまで恥ずかしい思いをさせてしまったことを、今は本当に謝りたいのです。」
「…わかったよ。おまえは何でもかんでもため込んじまうからな。言って気が済むなら言うがいいさ。そっちの方が精神衛生上いいだろう。」
「すみません。これからは言うべきことは言うことにします。」
「うん、……って、今までどんなことを言いたかったんだ?」
「…あ…、ええとあの、その、つまり…」
「ん?」
「あなたに、あの、どうやったらいいか、お尋ねすることでしょうか…」
「どうやる……って、あ、あっちの方…のことか?」
オスカーの頬がちょっと赤くなったのに、リュミエールもつられる。
「……はい、あ…その、…つまり、そう言うこと…です…」
「つまり、今まではおまえがいろいろ調べて来て、俺にいろいろやっていたが、今度からは相談する、っていうわけなんだな?」
オスカーの頬全体が赤みを帯びる。リュミエールは下を向いたままコクリと頷いた。
(う、やっぱりこいつ、可愛い……。ああ、いっそ……あ、そうか。)
「じゃあ、早速だな、リュミエール。」
「はい?」
「最初の相談として、俺の希望を聞いてくれるか?」
「は、はい。わたくしに出来ることなら何なりと…」
オスカーはごくりとつばを飲む。
「俺がおまえを抱きたい。……いいかげん、もう、いいだろう?」
リュミエールもオスカーも耳まで赤くなっている。
「あ、あの……」
「とにかく、ちょっとずつ、やるから。気分が悪くなったら正直に言ってくれ。きっぱりやめるから。頼む、俺はおまえに抱かれることがいやなんじゃない、だけどおまえを抱きたいんだ。おまえが俺を悦ばせたいのと同じように、俺もおまえを悦ばせたい。いやならすぐやめる。とにかく試してみたいんだ。頼む、いいだろう?」
リュミエールはしばらく考えていたようだったが、意を決したようにこう答えた。
「わかりました。……あの、たぶん、大丈夫だと思います。わたくしもあなたにいろいろなことを試す前にいつも自分で試しています。自分で痛かったりすることをあなたにするわけには参りませんから。で、……それで、だんだん……え…と…」
「だんだん気持ちが悪くなくなってきた、って言うことか?…それとももしかして、気持ちが良くなってきたとか…?」
燃えるように真っ赤になってコクコク頷くリュミエールを、オスカーはもう堪らなくなって思わず抱きしめる。
「じゃあ、今から……いいな?」
こくん。
オスカーは天にも昇るような気持ちになった。そして腕の中のリュミエールに囁く。

「ありがとう。」



ふたりの影はそのまま寝室に消えていった。





おしまい。


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