BITTER SWEETS*2

「どうだ、アンジェリーク。エレインに乗ってみないか?」
「えっ??……でも、私、馬になんか……」
「大丈夫。エレインはおとなしい馬だし、まだ見てのとおり、それほど大きくない。それに、俺がずっと付いていてやるから怖くはない。」
「え、で、でも……」
アンジェリークはオスカーとエレインを不安げに交互に見た。だが、少しその視線に好奇心も混ざっているのをオスカーは見逃さなかった。
「ほら、ちゃんと鞍も付けて来たんだ。俺はまだ乗ったことはないしまだ無理だろうが、厩番の息子が何度か乗ってちゃんと仕込んである。そら、こっちに来い。」
そういうとオスカーはアンジェリークの手を取って、半ば強引に馬の鞍に乗せてしまった。
「きゃっ!……あ、だ、大丈夫?エレイン。」
エレインはちょっと鼻を鳴らして足踏みをしたが、すぐおとなしくなった。
「大丈夫だ、な?ほら。この娘ならあまり高くもないし、怖くもないだろう。」
「え、ええ……ほんと、おとなしい子ね。うふ。」
オスカーはエレインを宥めるようにさすると自分の馬に飛び乗った。そしてエレインの手綱を取るとゆっくりと歩かせ始めた。
「どうだ、お嬢ちゃん。気持ちがいいだろう?そう、そうだ。そのまま手綱を持っていればいい。」
アンジェリークは最初こそ大きな目をくるくるさせて驚いていたが、そのうち慣れて来たらしく、オスカーのほうを向いてにっこりと笑った。
「はい、オスカーさま。乗馬って、本当に気持ちがいいんですね。うふ、私も本当はやってみたいなあ、なんて思ってたんですよ。」
「はは、わかってくれたか。お嬢ちゃんは素直でいい子だな。」
「もう、オスカーさまったら。私は子供じゃありませんよ。」
ちょっとふて腐れたアンジェリークは、思わず手綱をぐいと引っ張り、両足に力を入れてしまった。
いきなり力が込められて、若駒は驚いた。まだ人を乗せるのに慣れていないエレインはアンジェリークを乗せたまま駈け足になった。
「うわっ!」
オスカーはいきなり手綱ごと引っ張られて落馬しそうになり、耐え切れず手綱を放してしまった。アンジェリークを乗せたエレインは、そのまま聖殿の方向に向かって突っ走って行く。
「きゃああああっ!」
アンジェリークは悲鳴を上げながら、必死でエレインにしがみ付いた。もう手綱を握っていられず、首にしがみ付くので、苦しいエレインはますます興奮する。
「しまった!」
オスカーは体勢を立て直して必死で追う。だが軽いアンジェリークを乗せたエレインは早い。オスカーが追いつくまで彼女を振り落とさずにいられるものだろうか。
「くそっ!」
オスカーの乗った馬はこれ以上ないほどの駈け足で進む。

アンジェリークはもう気絶しそうだった。この速さで走る馬から落ちればただでは済むまい。
(もうだめ……ジュリアスさま……助けて…)
遠ざかりそうな意識を必死で繋ぎ止めながら、なぜかアンジェリークはジュリアスのことを思った。

そのとき、アンジェリークの真横に現れた何かが、彼女を強く引っ張った。
「きゃああ!」
強い衝撃。

アンジェリークはそのまま意識を失った。


アンジェリークが目を開けると、そこには美しく、古めかしい意匠の天井が目に入った。
「ここは……」
「アンジェリーク!気が付いたのですね。」
「リュミエールさま!」
どうやら、アンジェリークは聖殿のどこかの部屋の長いすの上に横たえられているらしい。傍には心配そうな顔をしたリュミエールが控えている。
(私……どうしたんだっけ……あ…!)
「馬が……!あのっ…」
「大丈夫です、アンジェリーク。あなたは落馬のショックで意識を失っただけで、怪我もしていません。よかったですね。」
「落馬……でも、あの……っ」
あの状態で落馬して、無事であるわけがないのだ。いったい何が……?
リュミエールはパニックを起こしそうな様子のアンジェリークの顔を見て、軽く微笑んだ。
「大丈夫です。あなたはジュリアスさまに抱きかかえられたまま落馬なさったのです。たまたま乗馬なさっていたジュリアスさま、が暴走する馬を見て、ご自分の馬を横付けされて、あなたをかばってくださいました。……ああ、そんな顔なさらないでください。ジュリアスさまは怪我はなさいましたが命に別状はありません。」
「ジュリアスさまっ!?」
真っ青な顔をしたアンジェリークにリュミエールは言った。
「ジュリアスさまなら、ほら、あそこにいらっしゃいます。」
リュミエールの指差したほうを見ると、ベッドに横たわっているジュリアスの横顔が見える。眠っているようであるが……。
「ジュリアスさま……。あ、オスカーさまは?オスカーさまもご無事ですか?」
その名を聞いたリュミエールは困ったような顔をする。
「オスカーは、無事です。けれど……あなたとジュリアスさまを危険な目に合わせたという理由で、陛下から謹慎を命じられました。処分はまだ決まっていませんが…」
「処分って……まさか……」
「アンジェリーク、落ち着いてください……」
「あ〜、大丈夫ですよ、アンジェリーク。いくらなんでもオスカーは大切な守護聖です。解任したり死を賜ったりはしませんよ〜。最悪、主星に送還されて、聖地の宮殿で自室謹慎、と言うことになる可能性はありますけれどね〜。」
ジュリアスの枕元にいたルヴァがやって来てアンジェリークにそう告げた。
「オスカーさまは、私を元気付けようとして…私が育成で疲れているだろうと思って、息抜きさせてくださるおつもりで……あ、…あの、エレインは……あの馬は無事ですか?」
「わかっていますよ、アンジェリーク。オスカーがどんなつもりでああいう事をしたのかは。まあ、あまり思慮深い手段ではなかったですけれどね〜。大丈夫、悪いようにはなりませんよ。あ、そうそう、馬もみんな無事です。安心してくださいね〜。さあ、ジュリアスに会いますか〜?」

「ジュリアスさま……」
ルヴァに引っ張られるようにして、アンジェリークはジュリアスが横たわっているベッドに近づいた。
「……アンジェリークか…怪我は、ないのだな?」
「はい、ジュリアスさま…。」
「そうか。それは何よりであったな。……そんな顔をするな。私は大丈夫だ。まあ、少々寝込まねばならぬようだが、今は光のサクリアは十分のはず。気に病むな。たいしたことではない。」
「……ごめんなさい……」
ジュリアスはゆっくり左手を伸ばしてアンジェリークの頬に触れた。
「女王試験は、つらいか…?」
「…い、いいえ!そりゃあ確かに昔は……でも、今は……つらくなんか……!」
ジュリアスの目はまっすぐアンジェリークを見つめている。
「……みなさん……良くして下さいますし……あ、…あのっ……」
「なんだ……?」
「オスカーさまを……あのっ…」
「ん……?ああ、仕方のないやつだ。悪気はないのであろうが…あれももう少し思慮深く行動してくれればよいのだがな……。」
「あ……」
「どうしたのだ?」
アンジェリークの大きな瞳が見る間に潤み、大粒の涙がこぼれ始めた。
「アンジェリーク……」
「オスカーさまは……」
ジュリアスの瞳に僅かに落胆の色が浮かぶ。そして言った。
「わかっている。あまり重い処分のないように、と陛下にお願い申し上げよう。」
「はい…。ありがとうございます。」
「あれも、必死なのだ……」
「はい……?」
「新しい女王選出、と言うのはあれにとって初めてのこと。いくら女性の扱いに慣れていると言っても、女王候補と言うのはどの女性とも…やはり違う存在。彼も彼なりに気を遣っているのだろう。そなたはどうやらオスカーのそのようなところを理解してやっているようだな。…私からも礼を言う。」
「そんな……」
ジュリアスの長い指が、俯くアンジェリークの髪に触れ、そして遠慮がちにその髪を梳いて、ゆっくりと下ろされて行った。

「さあ、ジュリアスももう、休んだほうがいいですよ。アンジェリーク。あなたも今日はもう休んでくださいね〜。オスカーのことは私に任せて、ね。リュミエール、アンジェリークを寮まで送ってあげてくださいね。」
「承知いたしました、ルヴァさま。さ、アンジェリーク。ジュリアスさま。どうぞお大事になさいませ。」
リュミエールに肩を優しく抱かれ、アンジェリークは半べそをかいたまま部屋を出て行った。ルヴァはジュリアスの上掛けを直しながら言う。
「ジュリアス。あなたもあまり難しく考えないでくださいね〜。大丈夫。悪いようにはなりませんよ。陛下はきっとアンジェリークの気持ちを理解してくれます。ね、あの方…陛下ならきっとアンジェリークが悲しむようなことはなさらないはずです。」
「そう……だな、ルヴァ。だが……アンジェリークはオスカーのことを……」
「……はい?」
「いや……なんでもない。」
「さあ、あなたは鎖骨と腕の骨を折る重傷なんですよ。いくらこの地が聖地のように、陛下のご加護で傷の治りが早いと言っても、無理は禁物です。熱もあるんですから、難しいことはあまり考えないようにして、早く休んでください、ね。」
「ああ……わかった。」
ジュリアスは目を閉じた。
早く、何も考えず、眠ってしまいたいと思いながら……。

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