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ごとん、という音とともに、ベッドから男の華奢な裸身がすべり落ちる。背中といい胸といい、小さくて細い傷が無数についていて、その一つ一つはさほど出血はしていないが、ちょうど肋骨の下あたりに美しい細工の柄の付いた、細いナイフが突き刺さっている。
その犠牲者は少し開いた口の端から泡の混じった血を流し、薄く開いた目で虚空を見つめたままぴくりとも動かない。
ベッドに残った半身も一糸纏わぬ姿で、太腿のあたりに血の混じった粘液と、精液らしいものがこびり付いて半乾きになっている。そして犠牲者自身も射精したらしい痕跡を残している。
だが、刃物らしい傷以外にも多くのアザや爪痕、縄目など、白い肌はさまざまな傷だらけで、犠牲者がむごたらしく輪姦(まわ)された様子を物語っている。
「あーあ、殺しちゃったよ。失敗、失敗。」
癖のないハニーブロンドの髪をさらりと揺らして、大きな瞳をくるくるさせながら、…その赤い瞳と同じくらい赤い舌をぺろりと舐めずった…美しい全裸の少年がそう言った。
「大切な人質です。殺すなと言ったでしょう、ジョバンニ。またルノーの力を無駄に使わなければならないじゃありませんか。蘇生は体力を消耗します。可愛いルノーをあまり疲れさせるのはやめてください。」
「ふん、あんただって、ずいぶんこの子を好きにしてたじゃないか?ユージィン。自分だけいい子になろうったって、そうはいかないよ。ふふふ。
だいたい僕はとどめを刺しちゃっただけで、みんなやりたいようにやるからもういいかげん死にそうだったじゃない。僕はむしろ、楽にしてあげたようなものだよ。
おーい、ルノー。仕事だよ、早くしないと生きかえらないよ〜。」
扉の影から、短い髪をした気の弱そうな男がおずおずと出てくる。
「あ、あ、あの、こ、この人、こ、殺しちゃったの?ジョバンニ…?」
ジョバンニには答える間を与えず、横から返事があった。
「ええ、でも今息絶えたばかりだからまだ十分間に合います。このベッドは汚らしい。その長椅子に連れて行きますからね、ルノーはそこにいらっしゃい。」
ユージィンと呼ばれた長い水色の髪の背の高い男が、ベッドから落ちかけた男の体を抱え上げて、長椅子に運ぶ。
その様子を、部屋の中のあちこちにいる全裸や半裸の、赤い瞳をした美しい男たちが、冷ややかな顔をして黙って眺めている。
少しだけ長めの、青い切り揃えた髪を持つその犠牲者の顔は、蒼ざめて少し傷はあり血や粘液で汚れてはいるものの、たいそう美しい。ルノーと呼ばれた気の弱そうな男はポケットから小さなハンカチを取り出し、水で湿すと、その目を閉じさせてから、彼の顔を綺麗に拭った。
「さあ、ジョバンニ。それから他の方たち。ルノーの集中の邪魔になるのでここから出てください。ルノー、大変でしょうが、よろしくお願いします。この人を殺してしまったら、レヴィアスさまが大層お悲しみになりますからね。」
「う、うん、ユージィン。ぼ、僕、がんばるからね。」
ルノーは、その大人びた風貌に似合わない子供のような口調で、頬を紅潮させながらそう言う。
男たちは口々になにか言いながら部屋から出ていった。
セイランがうっすらと目を開けると、そこには散々見慣れた、地の守護聖が頼りなく微笑む顔があった。
「ああ、ルヴァさま……おはよう…ございます…」
なんだかちょっとルヴァさまとは違うな、と思うが、頭がボーっとして、考えが纏まらない。何かとても大事なことを忘れているような……。
それにしても、何故こんなに体が…重いのだろう。
「あっ!」
セイランの記憶が蘇った。
目の前にいるルヴァの姿をした男をもう一度見る。赤い瞳。
(そうだ、僕は……。)
「あ、あの、も、もうだいじょうぶだから……。怖い目に…あ、あわせて…ごめんね。」
「き、君は…あ…うッ……」
思わず体を起こそうとしたが、体中が軋むように痛くて言うことを聞かない。
「あ、あの、う、動かないほうがいいよ。ひどいけがしたから…、あ、でもぼくが癒しの術を使った、から、もう少し、寝てれば…な、治るから…」
「僕はどうなったんだ。確か、君たちに拉致されて、……それで、いいように嬲られたところまでは覚えているけどね。」
「あ、あの、ごめんね。あの人たち、少しイライラしているんだ。だけど、ひどいことしたよね。い、痛かったでしょう?ご、ごめんね。」
(なんだか本物のルヴァさま以上に苛つく喋り方をするやつだな。)
セイランはそう思いながら、ゆっくり記憶を辿って見た。
(そう、確か陛下を救い出す旅の途中、僕たちは確か細雪の町にいたんだっけな。)
「それで、どうなの?見当はついたの?」
「え〜、今、調査中ですから、もう少し時間が欲しいんですけどね〜。」
「ふう、まったく。そんな悠長な事をしてていいの?もう魔法の杖……蒼のエリシアだっけ?そんなのは後回しにして、陛下を救出しにに行けばいいじゃないか。ねえ、あなたもそう思うでしょう?ジュリアスさま。」
だがセイランは思っていた。今回のジュリアスはどうも歯切れが悪い。恋人である女王陛下が人質になっていることも大きいだろうが、どうもそれだけではない。まるで何かに怯えているようにさえ見える。
案の定、ジュリアスは小さく唸ったきり、俯いて、何も答えない。
自分の知っているジュリアスは、傲慢なまでに、自他に厳しく、自信家だった。
自分の意見を持たない、人の意見に素直に従う、というようなことは絶対ないような男だと記憶していた。
セイランは最初はジュリアスのそんな傲慢さがたまらなくいやだった。だが付き合うにつれ、あながちそうでもない、結構情熱的で、純粋で、可愛いところもある人だ、とわかってきて、興味が出てきたのだけれど……。
「どうしたんですか?ジュリアスさま。お顔の色が悪いんじゃないですか?ねえ、ルヴァさま?」
「……あ、ああ、セイラン。大丈夫ですよ。ただジュリアスは、少し疲れているんですね〜。ね、ジュリアス?」
「あ、ああ。そうかも知れぬな。…セイラン。そなたの心遣い、まことに嬉しく思う。だが、今回のようなことは慎重に事を運ばねば……」
そこまで言って、ジュリアスはがくりと膝をついてしまった。
「ジュリアスさま?!」
「ジュリアス。あなた本当に疲れがたまっているんですよ。陛下をお救いしに行くまで、あなたは休んでいていいんですよ。私たちに任せてくださいね。」
ルヴァはそういってジュリアスを支えながら隣の部屋に連れて行った。
「ふっ。鬼の霍乱、って言うのだっけ?」
セイランがそういってため息をつくと、うしろで人の気配がした。振り向いてみると、リュミエールとジュリアスが立っていた。
(どうして…ジュリアスさま?だって、今……。)
そして、セイランは気づく。
ふたりの瞳が血のような赤い光を放っていることに……。
鈍い衝撃とともに、目の前が真っ暗になった。
続く