リュミエールが汚れたシーツを抱えて部屋の外に出ると、深夜にもかかわらず隣の部屋の灯りが煌々と点いていた。リュミエールは少し気になって、その扉を叩く。
「……はいれ。」
ジュリアスの声だ。
「失礼いたします。」
部屋の中では、ジュリアスとクラヴィスがチェス盤を挟んで向かい合っている。
「……お二人で、チェスをなさっていたのですか?…なんと、お珍しい。」
「……眠れぬので、な。」
クラヴィスの答えに、リュミエールは真っ赤になって、頭を下げた。
「も……申し訳、ありません。やはりうるさかったのでしょうか…」
「……いや、ほとんど聞こえてはいないな。……と、ここだ…な。」
「…ふん、そう来たか…、気にせずともよい、リュミエール。ん?…その布は何だ。」
「……シーツです…。だいぶ汚してしまいましたので…」
「そうか…で、セイランは眠ったのか?」
「は……はい。」
ジュリアスは少し哀しそうな微笑を浮かべて言う。
「よかったな、リュミエール。セイランを取り戻す事が出来て。……もちろん我々にとってもセイランは大切な仲間だ。心から嬉しく思うぞ。」
「ジュリアスさま……」
リュミエールは掛ける言葉も見つからず、ただ深々と頭を下げた。
「あまり、無茶をするのではないぞ、リュミエール。」
「は、はい…クラヴィスさま…。」
クラヴィスは面倒くさそうに欠伸をしながら言った。
「……さて、そろそろ休むか……」
「まだ勝負はついてはおらぬぞ。」
「……よかったな、ジュリアス。…負けずに済んで……」
「なに…?!……んっ!クラヴィス!まだだ、寝るのではない!」
クラヴィスはジュリアスの怒声も気にせずにそのまま、掛けていた長椅子に横になった。
「……まったく、この男は…」
そう言いながら、ジュリアスはベッドから毛布を取り、クラヴィスに掛けた。
「……蒼のエリシアの修復のめども立った……明日にはここを立たねばならぬ。…ああ、…一日も早く…宮殿に戻りたいものだな……」
「ジュリアスさま……」
「セイランはもう大丈夫なのか?明日は共に行けそうか?」
「は、はい…おそらく…」
「そうか。できればみな揃って行きたかったのでな。……よかった。」
「そう……ですね。」
「大丈夫だ。……きっと、我々は『皇帝』などには負けはしない。」
「はい。」
「……もう、夜も遅い。明日は早いぞ。そなたも休め。よいな。」
「……これを洗ったら、休みます。」
「…………そうか……大変だな。では。」
「はい……おやすみなさいませ。」
リュミエールは再び深々と頭を下げ、部屋を出た。


「おはようございます……」
セイランが毛布にくるまったまま、恥かしそうにリュミエールに言う。
「おはようございます、セイラン。体は大丈夫ですか?起きられますか?」
「……はい……あの……」
「なんでしょう?……ああ、早くお湯を浴びて来た方がいいですよ。もうあと2時間足らずで出発ですからね。」
セイランはもぞもぞと毛布から出て来た。もちろん、昨夜のままの全裸である。リュミエールは微笑みながら、その姿を眩しく見つめた。
「あの……シーツは……」
「ああ……あれは昨夜のうちに洗っておきましたから、御心配なさらずに。」
セイランはぺこりと頭を下げると、服をつかんでシャワールームに駆け込んで行った。
「……大丈夫……わたくしは、もう……大丈夫。」
リュミエールはセイランのその姿を見つめながら、小さい声でそう呟いていた。


「セイラン、体の方はもうよいのだな?」
いよいよ細雪の町を発つという時、ジュリアスはまずセイランに声を掛ける。
「は、はい。ジュリアスさま。……もう大丈夫です。いろいろ心配を掛けてしまって申し訳ありません。」
ジュリアスは、セイランらしくないその物言いに少し苦笑をしながらいう。
「まだ、その口の利き方では本調子ではないようだな。まあ、無理をせず、私達についてきてくれればよい。リュミエール。セイランを護ってやってくれ。頼むぞ。」
「はい、ジュリアスさま。」
そしてジュリアスは改めて、全員を見回してから言った。
「これより、白銀の環の惑星に向けて出発する。目的はまず、蒼のエリシアの修復のためのエリシア原石の探索。そして、修復し次第聖地に戻り、女王陛下と聖地をわれらの手に奪還することである。
女王陛下無くしては、我々に平安はありえぬ。まずは我々の全力を以って、陛下の救出に当たる。
もとより、陛下のためならこの光の守護聖ジュリアス、命さえ惜しむつもりはない。だがそれは命を無駄にすることとは違う。そなたたちは皆、自分の命も他人の命も…たとえ敵の命といえども、決して粗末にせぬように心して戦って欲しい。よいな!?」
ジュリアスの魂を込めたこの言葉に、一同は固く結束を誓った。
ただ一人を除いては……。


「よう、どうした。眠れねえのか?」
セイランが宿泊所になっているテントから出て夜風に当たっていると、アリオスがそう言って闇の中から現れた。
「ああ……あなたか。ふふ、だってそうだろう?あんなテントの中の雑魚寝で熟睡できるのは子供達くらいだよ。」
「そりゃあ、そうだ。あれはひどいぜ。今回ばかりは女装でもしてアンジェリークと同室にしてもらいたいぜ、まったく。」
「だめだめ、女装しただけでそうしてもらえるなら、オリヴィエさまやメルはあっちに行ってるよ。」
「クッ……違ぇねえな。」
アリオスはあたりを憚ってか、低声で言う。
そのとき、セイランはなぜかとても落ち着かない気分になった。と、アリオスがセイランに近寄って、肩に手を乗せてた。
「……ちょっとたまってるんだ。ヤらせてくれねえか?」
アリオスが耳元で囁いた。唐突のようだがそうでもない。実は、セイランは旅の初めの頃何度かアリオスに抱かれたことがある。
その頃はリュミエールも自分の事を避けていたようで、多少自暴自棄になっていたこともあったし、それにアリオスにも興味を持っていたからだ。
だが、今、何故かセイランの背筋にぞくぞくと悪寒が走る。
「……わ、悪いけど、僕はもう…」
アリオスを押しやりながらセイランは首を振る。もうリュミエール以外には抱かれたくない。だけど、今自分が感じている悪寒はそのせいじゃない。もちろんアリオスに生理的嫌悪を感じているわけでもない。……じゃあ、何故?
「…ああ、ダメなのか?いや、悪かった。気にすんな。厭なのを無理に抱こうってわけじゃねえ。まだ体も本調子じゃねえみたいだしな。すまん。」
「わ…わかってくれれば…いいんだ。気にしてないよ。」
だが、アリオスは口とは裏腹に背中からセイランを抱きすくめた。
「ふう…ん、けど、ちょっとだけ…いいだろ?入れねえから。」
「い……いやだ…っ」
セイランは抵抗するが、アリオスはびくともしない。
「……黙っていろ。」
アリオスはそう言ってセイランの耳朶をごく軽く噛んだ。
そのとき、セイランの脳裏に稲妻のように疾走ったものがある。
…それは…あの時、もう絶望していた自分を寡黙に抱いた、どの偽守護聖とも違う人物。姿こそよく見ることは出来なかったが、僅かに耳にした言葉は驚くほどよく覚えている。
『黙っていろ』
……あれは……あの声は…アリオス?――もしかしてアリオスがあそこにいたのか?いや、あれはアリオスではなかった。はっきり覚えている。黒い髪と黒い影。
……そのとき、セイランの中にひとつの恐ろしい仮定が浮かんだ。
(皇帝・レヴィアス――?)
それはセイランの研ぎ澄まされた感性が警告を発した故の答えであった。

続く

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