倒れなかった帝国
〜 ヒトラー帝国の興亡 リプレイ 〜
◆「青」作戦・ハリコフまでの道〜第5ターン(1942年夏)〜
ロシアの冬を凌いだドイツ軍は、夏季攻勢計画を実施に移した。作戦名は「青」。占領目標はスターリングラードではなく、その遥か手前のキエフそしてハリコフ。ウクライナをめぐる独ソ両軍の激突が始まる。
一方アフリカではアメリカ軍が参戦、イタリア軍に対し総攻撃に入ろうとしていた。
ドイツ軍は東部戦線全域に渡って攻勢に転じます。キエフ南西とレニングラードの攻略戦で幕を開けたこのターンは、レニングラードで航空ユニットを失ったものの計3個ソ連ユニットを撃破、続くラウンドでもレニングラード、オデッサ、ハリコフで攻勢を続け、ハリコフで装甲1ユニットを失ったものの、ソ連軍に歩兵3ユニット、戦車1ユニットの損害を与え、モスクワ並びにハリコフ、スターリングラードの守備隊を除きソ連軍を駆逐してしまいます。
アフリカではイギリス・アメリカ連合軍の前に、イタリア軍が一矢報いてイギリス軍を壊滅に追い込みます。が後詰めのアメリカ軍により敗退、チュニジアの一角に追い込まれてしまいます。
◆イタリア地中海艦隊の壊滅〜第6ターン(1942年冬)〜
アメリカの参戦により、地中海のシーパワーは大きく連合国側に傾いた。イタリア軍は北アフリカを守るため、最後の艦隊決戦を挑んだが・・・。
このターンの始めの海軍フェイズにおいて、戦艦2ユニットを有すイタリア軍と、戦艦
3、空母1ユニットのイギリス艦隊の間で、地中海の制海権をめぐる艦隊決戦が行われました。結局、空母を有し有利に戦闘を続けるイギリス海軍の前にイタリア艦隊が壊滅、地中海の制海権は連合国が掌握することとなりました。
また連合国によるドイツ本土空爆も本格化(計3ユニットによる爆撃)し、枢軸国は苦しくなってきます。
地上戦では、独ソ戦が激しさを増します。ハリコフとモスクワをめぐる戦いで、両軍とも大損害(ドイツは空軍1、装甲2、歩兵3、将軍2、ソ連で戦車3、歩兵1、将軍1)を受けます。が冬という不利な条件の中善戦したドイツ軍は、ついにハリコフを占領、ソ連の生産力を大幅に低下させることに成功しました。もはやソ連には、5ポイント(※9)しか生産拠点が残っていません。
北アフリカでは、補給を絶たれたイタリア軍が敗走を繰り返し、チュニジアを失います。連合軍イタリア上陸は時間の問題となります。
(※9)生産都市2個と工場3個。工場は4生産ポイントで建設可能で、建設後は通常の生産都市とみなします。
◆イタリア降伏〜第7ターン(1943年夏)〜
アフリカからイタリア軍を駆逐した連合軍は、念願のヨーロッパ侵攻・イタリア上陸を開始した。
イタリアの生産力では、6ターンに壊滅した海軍の再建は無理で、連合軍に地中海の制海権を奪われてしまいます。続く作戦フェイズでは連合軍がイタリアに強襲上陸、タラント、ローマと続けざまに攻略し、上陸後わずか1ラウンドでイタリアは降伏しました。
一方のドイツ軍は、独伊国境に1部隊を展開、連合軍の侵攻に対します。またソ連に対する攻勢を続けます。
ソ連はアメリカのレンドリース(※10)で得た戦車部隊をもって反撃を試みますが各所で敗退、ついにモスクワが陥落します。結局前ターンを上回る戦車3、歩兵2、将軍1の損害を受けます。連合国側が西部戦線で積極攻勢に出て、ドイツ軍をソ連領内から引き抜かせない限り、ソ連はドイツに屈する可能性がでてきました。
(※10)アメリカがイギリス・ソ連の代わりに戦車・航空機を生産し供給するルールです。史実でもムルマンスクへの北海航路を用いて、ソ連への武器貸与がなされました。M3軽戦車やP-39戦闘機等がレンドリースとして有名です。
◆フランス上陸「オーバーロード」〜第8ターン(1943年冬)〜
苦境に陥っているソ連を救うため、西部戦線で攻勢を計画する連合軍。上陸選定地は、パ・ド・カレー。「大西洋の壁」をなすドイツ軍支配地域への直接侵攻であった。
イタリア軍が降伏し、ドイツも陸戦の傷の回復に生産力を割かれているため艦艇の生産まで手が回らず、結果大西洋・北海・地中海の制海権は連合軍が難なく握ります。その絶大なる海上兵力を背景に、約半年早い連合軍のフランス上陸が行われます。航空支援をつけて一気に橋頭堡を作りたいイギリスでしたが、リールのドイツ軍は頑強に抵抗、強襲上陸は失敗に終わります。しかしベルギー・ブリュッセルに上陸したアメリカ軍はドイツ守備隊を撃退、ついにドイツ本国への橋頭堡を確保します。
イタリア戦線では、ドイツの反撃によりイギリス軍が壊滅、ドイツはアルプスからミラノに進撃します。ですがイギリスの後詰めとしてイタリアに展開していたアメリカ軍の反撃の前に、ドイツ軍は後退を余儀なくされミラノを奪回されてしまいます。
両軍ともぼろぼろの殴り合いを続けている東部戦線では、キエフ・ハリコフをめぐって、さらなる流血が続いています。ソ連の反撃の前に、ドイツは東部に展開中の装甲ユニットのほとんどを失います。しかし間際で粘り都市の防衛には成功します。
なおドイツ軍は、連合軍への対応に追われ、東部戦線での積極攻勢に転じることができませんでした(※11)。これが東部戦線へどのように影響するのか、予断を許さない状況になってきました。
(※11)ドイツ軍は、東部戦線・又は西部戦線どちらか一方でだけしか、攻撃をかけることができません。一方主戦線以外では、たとえ敵が自軍ユニットに重なっていても、攻撃ができません。